内田樹という迷惑・仏説の論証

ここ数日のエントリーは、本格的な仏教論のブログを展開されておられる「半覚斎」氏と「もいかい」氏に対する僕なりの反論というかたちにもなっています。
ど素人の幼稚な反論です。
幼稚すぎて、彼らにとっては問題にもならないのでしょう。だから、彼らのページで取り上げてももらえないし、このブログに再反論が寄せられることもない。
このひと月あまり、僕はときどき「半覚斎」氏や「もいかい」氏のところに、質問のコメントを入れていました。
それは、仏教のことが知りたいというより、彼らに興味があったからです。仏教のことを知るためなら、本を読めばいいだけのことです。
正直言って、仏教のことなんか、あまり興味もなかった。それより、原始的な神道が生まれてくる契機としての「かみ」のことを考えていたかった。やまとことばとしての「かみ」のことです。
でも、それをひとまず中断して、彼らにひざまずいて問うていった。
いっちゃなんだけど、そのとき僕は、ささやかではあるが、「自分」を捨ててひざまずいていったのです。
だから、今になってこんな反論をしてくることは、彼らにとっては青天のへきれきだったのかもしれない。
いまでも悪意なんかないつもりですけどね。
ただ、よく考えたら、彼らの言うことはずいぶん変だと思える。だから、もう少し反論してみようと思っている。そんなことあるものか、という気持ちが、どうしても抑えられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼らは、理論家です。一般的な仏教のオカルトじみた俗っぽさを徹底的に排除し、あくまで論理的に語っている。
まるで高等数学を解くように、仏教の古典を徹底的に論証してゆく。それが、俗に落ちた仏教を再生させる道である、ということでしょうか。
その姿勢を僕は尊敬したのだが、このごろ、それは違う、という思いが抑えられなくなった。
仏教は、「論証」するものではない。「決意」するものだ。論証によって仏教を語るのは、仏教のことがよくわかっていないか、仏教を冒とくしているかのどちらかだ。
仏教は、「わかる」ものではなく、「決意」するものだ、と思う。
人間は、自分は生きてある、自分は存在する、という思い込みで生きている。だから、その思い込みから180度転換してゆき、この世界はすべて空(くう)である、と受け入れ納得してゆくことはもう、「決意」によってしか得られない。釈迦が「出家せよ」といったのも、そういう感慨があったからだろうと思います。「決意」がなければ、「空」を受け入れ納得することはできない。
「空」であるとは、なにものも論証することはできない、ということです。したがって、「論証」によって仏教を理解しようとすることは、仏教に逆行することなのです。
釈迦の仏教は、論証されることを願っていない。
釈迦は、「悟りのことは秘密にしておいたほうがよい」といったそうです。それは、悟りを論証されることを拒否した、ということではないでしょうか。単純に、ただの人格論やオカルトにされたくない、ということとは違う、と思う。そんなことなら、そういえばいいだけの話です。何度もそういえば、みんな「ああそうか」と納得する。そうではなく、たとえ人格論やオカルトにとられることがあっても、秘密にしておきたかった。それは、論証できることではないし、論証できないということそれ自体が悟りであったからでしょう。
「私」などというものはない、それは空である、というのなら、「私は悟った」という自覚など成り立たないじゃないですか。自分で悟ったと思うことができないのだから、それはもう「秘密」にしておくしかない。
悟りを目指しながら、絶対に「自分は悟った」という達成感を持つことができない修行、それが、釈迦の説く仏教の修行だったのではないだろうか。悟ったからこそ、「自分は悟った」と思うことができない。
だから、師が、「おまえは悟った」と認可を授けてやらねばならない。それはもちろん「方便」に過ぎないのだが、ひとまずそういうかたちでしか「悟りは成立しない。
「論証」することは、他者を説得するための手段です。しかし釈迦は、「それは秘密にしておくしかない」といった。彼は、論証=説得することを拒否した。あるいは、できなかった。あるいは、論証=説得しようとする欲望を持っていなかった。
まあそういうわけで、「半覚斎」氏や「もいかい」氏の、論証しようとする態度は、変だと思う。
頭のいい人は、そういう能力を持っているがゆえに、他者を説得しようとする衝動をどうしても持ってしまう。
僕なんかあほですからね、悟りとはまるで無縁でも、自分の書いたもので説得することなんか半分以上あきらめている。ただ誰かに聞いてもらいたいだけです。説得というのではなく、問題提起になればいいかな、と思って書いている。
その提起した問題が、「あなた」と共有するものであったらうれしい、という程度のものです。
なんだか舌足らずになってしまったけど、今日はもう眠たいので、これくらいでやめておきます。