内田樹という迷惑・日本列島の米作り

keiさんから指摘されて、思い出したことがあります。
以前、お前の書き方はフーガみたいだな、と、ある人から言われたことがある。主旋律を繰り返し繰り返し変奏してゆく、という中世音楽の手法みたいだ、と。
いや、ほめられたのではない。ただ、そういう性分なのだな、ということです。
言いたいことは、たぶんひとつしかない。しかし、何度言っても、どうしてもうまく言えない。だから、死ぬまで同じ踊りを続けるのかもしれない。
なんだか知らないけど、こんなふうに生きなさい、といわれると、すごくむかつく。
まともな生き方とそうでない生き方を選別するなんて、卑しい態度だ。
誰の「今ここ」も、もはや取り返しがつかないのだ。取り返しがつかないのであれば、愚かであろうと醜くかろうと、すべての人の「今ここ」を「イエス」というしかないではないか。
だからとりあえず、世間の常識的な清らかな生き方とか態度というものは、ぜんぶ「くだらない」といってやりたい。自分を清らかな人間のつもりでいるやつの言説は、ぜんぶ否定してやりたくなる。
清らかな生き方と醜い生き方、なんてないのだ。
どんな生き方だろうと、とりあえず「イエス」なのだ。
まっとうな市民の生き方が「イエス」なら、ニートやフリーターやホームレスの生き方だって「イエス」だ。自分たちが彼らよりましな人間でましな生き方をしているようなものの言い方をされると、くだらないと思うし、悲しくもなる。
彼らには、彼らならではの「本領」というものがある。おまえらだけにあるのではない。おまえらみたいな意地汚い単細胞には、そこのところはわからない。
まあ、そういうことを、芸もなく繰り返し書き続けているだけです。
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フェミニストには、人類の原初的な歴史に対する視点が欠落している」と内田氏は言う。
欠落しているのは、あんたのほうだろう。あんたが提出してくる起源に対する仮説なんて、くだらないものばかりじゃないか。
小手先で思わせぶりなことを言っておきながら、いざとなればいつも「誰も貨幣や交換や共同体や家族の起源を知らない」という緩衝地帯に逃げ込む。
というか、塹壕から一歩も出る度胸も想像力もないくせに、すぐかっこつけて思わせぶりなことを言ってくる。意地汚い態度だ。
フェミニストは、「女」という概念を人類の起源までさかのぼって考えようとしている。しかし内田さん、あんたが語る「女」の概念なんか、共同体の規範の範疇から、一歩も外に出たことがないじゃないか。一度でも、共同体以前の人類の起源までさかのぼって「女」を考えたことがあるか。一度もないし、そこまでさかのぼることのできる度胸も想像力もないのだろう。
「私は構造主義者である」なんて、何を気取ったことほざいていやがる。
構造主義者が最初に出会う<よくわからないもの>は自分自身です」だってさ。「始原の遅れ」といったのは、いったい誰だったのですかね。最初に出会うのは、「他者」に決まっているだろうが。
自分自身や人間そのものに対する「幻滅」から出発して、まず「他者=構造」と出会う。レヴィ=ストロースフーコーも、みなそういう「ペシミズム(嘆き)」を持っている。それが、構造主義的な態度というのではないのか。
意地汚く自分自身の「わからなさ」をまさぐっているだけのお気楽野郎は、内田さん、あんただけさ。
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内田氏によれば、弥生時代に稲作が始まったのは、つまるところ「投資できる手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを考慮しているうちに」けっきょく米がいちばんいいだろうということにいつのまにか落ち着いたからだそうです。
なんと安直な「下部構造決定論」であることか。
内田氏が考える「歴史の起源」なんて、みなこのレベルです。
稲作の起源なんかどうでもいい人にとっては一見もっともらしい解説だろうが、こんなふうに効率だけで物事を考えようとするのは、すごく卑しい態度だと思う。
こんな言い方をして「はい、いっちょ上がり」とすませているこの低脳ぶりというか想像力の貧困さには、ほんとにむかつく。
中学校の教室で昼休みの雑談をしているのじゃないのですよ。「構造主義者」を自認する人が、こんな雑駁な思考でいいのか。
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米作りというのは、ものすごく手間ひまがかかって、天候に左右されたりして収穫が不安定で、しかも、半湿地帯という限られた場所でしか栽培できない。
米は、古代人にとってもっとも非効率的な作物だったのです。
つまり「投資できる手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを考慮」していたら、とても作れるような作物じゃなかったのです。
弥生人の誰もが米の飯を食っていたと思ったらとんでもないまちがいです。
日本人の誰もがいつも米の飯を食えるようになったのは、厳密には、戦後の数十年前からのことでしかない。
戦時中は、誰もが、効率よく栽培できる粟(あわ)・稗(ひえ)・芋などを食べていた。
戦後の10年くらいは、貧しい人たちや水田のない漁村の人たちはみな、麦を混ぜた麦飯を食っていた。
古代人だって、「投資できる手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを考慮」していたら、米以外のもののほうがずっとよかったのです。
それでも日本列島の住民は、米作りにこだわっていった。
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古代において「米」は、まず神の食べ物だった。
縄文中期から弥生時代初期にかけて、そうやって神に供える食べ物として米づくりが始まったのです。
これが「新嘗祭」の起源です。
米は、まったく味のしない食べ物です。その「不在性」が、神の食べ物としてイメージされていった。
この世のすべての現象は、神の「入れもの」である。これが、古代人の神のイメージだった。鳥は神ではないが、鳥の中に神が宿っている。そういう「不在性」こそが、神が存在することの確かさだった。
というわけで、米は、まさに神の食べ物にふさわしかった。
だから、どんなに効率が悪くても、けんめいに米をつくっていった。
人間が、「定住」することは、しんどくて不安なことです。それに耐えられるのは、「ここは神の住処だ」という信憑があるからです。そうやって神とともに生きることのいとなみとして米作りがはじまったのだ。
古代人は、米のことを「よ」と言っていた。「よ」とは、「神の祝福」という意味です。そして「世(よ)」とは、「神に祝福された土地」という意味であり、「よい」とは、「神に祝福されている」という意味なのだ。
古代人が米作りをはじめたのは、「投資できる手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを考慮」したからではない。
内田さん、あなたの考えることは、安直過ぎる。
古代人にとっての米は、「主食」ではなく、まず神の食べ物であり、それを常食にしていたのは支配階級くらいのもので、庶民にとってはあくまでたまの祝祭におけるご馳走だった。
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米は、味がないからこそ、料理しだいでどんな味にもなる。そして、味がないことの味わいというのがある。純粋に、ものを食べるという行為それ自体の味わいがある。「コシヒカリ」や「ササニシキ」の「ほのかな甘味」とは、そういう味わいのことだ。
だから人間は、「主食」としてパンや米や芋などの味のしない食い物を持った。
縄文人は、どんぐりや栃の実を、水につけたり煮沸したり粉にしたり、手間ひまかけてあく抜きして主食にしていた。南米のインディオだって、毒性のあるジャガイモをそれ以上の手間をかけて毒抜きして食べている。
それは「効率」の問題ではない。人間の「食べる」という行為には、味のしない「主食」が必要だ、ということだ。
味がしないことが、いちばんおいしいのだ。
もっとも高級な日本酒は、水のような味がする。
味のしない「主食」こそ食うことのよろこびをもたらすものであると同時に、食うことの卑しさから解放してくれるものでもある。
味がしない、ということの「不在性」、そこに、日本人が米にこだわることの本質がある。
また、構造主義的に言うのなら、それは、日本列島において「定住」してゆくことの困難さを克服するための食べ物だった、ということです。「定住」することの「構造」が、米作りを本格化させた。
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弥生人は、米作りを覚えたから定住していったのではない。定住したから、米作りを本格化させていったのだ。
米作りなど、縄文時代からすでに知っていたのです。それは、定住する女子供だけの小集落において、祭祀のときの供物として栽培されていた。そのころ男たちは、山野を駆け巡る狩猟生活をしていた。男たちは、つねに女子供の集落の「客人」だった。そういう男たちが平地に定住して女子供の「家族」のいとなみに参加してゆくようになり、男たちを労働力として組み込めるようになったから米作りが本格化したのだ。
また、山野を駆け巡って暮らしていた男たちが「定住」する暮らしと和解してゆくためには、「米」という神の祝福の「かたしろ(担保)」が必要だった。
そういう社会の構造の変化が、まず先にあった。
大陸から伝えられて、はい今日から米作りをはじめます、というような単純なことではないのです。大陸から伝わったから米作りをはじめたのではない。そういう「社会の構造の変化」があったからであり、米作りなどとっくのむかしから知っていたのだ。
男が治水・土木の工事をして、女が稲を育てる。そういう共同作業を本格的にできるような社会の構造にになったのは、弥生時代に入ってからです。そのころ地球の気候が乾燥寒冷化して、日本列島の住民が南下しはじめた。そうして平地の湿地帯が干上がりはじめ、そこに集落がつくられていった。おそらく、そういうタイミングで米作りが本格化してきた。
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すくなくとも、弥生時代初期に大陸(朝鮮半島)から日本列島にやってきたのは漁民とか商人だけで、農民が移住してくることなど、めったになかったはずです。それに、そのころの朝鮮半島では、米作りがすたれかけていた。
漁民や商人だって、弥生時代初期のころは漂着しただけで、わざわざ好きこのんでやってきたという証拠などない。好きこのんでやって来られるような船ができたのは、ずっとあとの時代のことです。そのころから7、8百年後の遣隋使や遣唐使だって、かならずたどり着けるとはかぎらない、命がけの航海だったのです。
くわしいことは、よく知りません。しかし僕は、米作りが大陸から伝えられたなんて、信じない。縄文時代に海流に乗って運ばれてきた種子が自生していったのが始まりだろうと思っている。
米作りは、日本列島的な米に対する感性とともに本格化していったのだ。彼らの米に対する愛着が米作りを本格化させたのであって、いずれにせよ、「投資できる手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを考慮したから」だなんて、やめてくれよという話です。
効率のことしか頭にないゲス野郎は、そのていどのことしか考えられない。
60年近く生きてきて、日本人にとって米とは何だろう、ということを一度も本気で考えたことがないのだろう。本気で考える想像力がないのだろう。それとも、本気で考えてもそのていどだ、ということだろうか。
それで構造主義者を名乗っているのだから、いい気なものだ。