内田樹という迷惑・あきはばら2

秋葉原の事件のことは、どうしても気にかかります。
いろんな側面があると思う。
ただ、格差とか雇用というような社会問題だけではすまない。
彼は、社会に復讐しようとしたというより、「人間」に復讐しようとしたのではないだろうか。
このまえ都知事が、「あの男は半狂人である」であるというようなことを言っていました。やっぱりな、という感じです。このような事件が起きるたびに、かならずそういう愚劣でていどの低いことを言うやつが現れてくる。そんなことないって。威張りくさっているあんたの方が、ずっと気味が悪い。
僕がなぜ「復讐」といったかというと、誰もが何かに追いつめられて生きているということはあるだろうと思えるからです。
都知事が威張りくさっているのも、それはそれで何かに追いつめられているからでしょう。どんなに威張りくさっていても、誰だって「人生」とか「死」とかいうものに追いつめられている。高層ビルの眺めのよい広い部屋にふんぞり返っていても、歳をとればどんどんぶよぶよの醜い体になってゆかねばならない。威張りくさってそれを隠蔽できるのならとりあえず幸せかもしれないが、傍目にはずいぶんグロテスクな眺めだ。
なにはともあれ、年寄りほどそういうものに追いつめられている。
若者は、年寄りと違って、みずからの運命を受け入れてしまう。その従順さと人一倍敏感で人恋しい性格のために、勝者でなければ生きるに値しないという観念を植え付けられてしまった。それは、親のせいでもあり、社会のせいでもあり、時代のせいでもあり、彼にとってはもう抗しがたい運命だったのかもしれない。
とはいえ、そのままあの都知事のような勝者の人生を歩めれば、何の問題もなかった。
途中までは、そういう人生だった。しかし、ある時期を境に反転してしまった。
彼には、敗者として生きる資質を与えられていなかった。なのに、敗者として生きることを余儀なくさせられてしまった。
彼はもう、絶望をまさぐりながら生きるしかなかった。
自分のことを不細工だ不細工だと言い募る、あの「自虐癖」は傷ましい。
世の中には、ほんとに不細工なくせにちっともそう思っていない人間がいっぱいいるというのに。
そして彼の親たちが世間に申し訳ないとあやまるのはけっこうなことなのだろうが、それ以上に息子にあやまってほしいと思う。
彼をあそこまで追いつめたのは、親だけの責任ではないが、あやまってやれる他者は親しかいない。
あそこまで追いつめられるほどの内面の地獄を体験したことのないものが、よく「半狂人」なんていえるものだ。彼は誰よりも人恋しく、誰よりも人嫌いだった。人恋しいから追いつめられたのであり、人嫌いだから追いつめられた。そのダブルバインド
彼のその計画がずっと前からあったということは、ずっと前から追いつめられていた、ということを意味する。
追いつめられっぱなしで生きてゆけるはずがない。
彼女と二人だけの小さな世界を夢見ながら、ワイドショーを占拠することを空想していた。
内田樹氏が若者に勧奨する「あなたなしでは生きてゆけない」という愛、そして空想すること、そして人生を終わりまで想像すること。彼はまさにそうした観念によって生きていた。そうしてそれらは、勝者の立場にいるあいだは有効だが、敗者になったと自覚した瞬間から当人をどこまでも追い詰めてしまうものに変わる。
内田氏には、敗者であることの観念のかたちはわからない。勝者でないと生きてゆけない観念で生きている。彼にとって離婚体験はひとつの敗北だったのだろうが、敗者としての受け止め方をしていない。
あの若者は、自分に彼女がいないのは自分が不細工だからだといった。しかし内田氏は、自分が離婚したのは奥さんが勝手に逃げていっただけで、自分が不細工だったからだとはさらさら思っていない。
あの若者と内田氏では、人恋しさの純度や熱度がまるで違う。内田氏に、あの若者のような人恋しさはない。なぜか。あの若者は自分は敗者であると自覚したが、内田氏はなにがなんでも自分が不細工であることを認めようとしない。そして今、自分がいかにナイスなおじさまであるかということを、見苦しいほどに吹聴しまくっている。
それは、もしかしたら自分にはセックスアピールがないのかもしれない、という不安があるからかもしれない。金とか浮気とか親族との関係とか、そういう物理的なトラブルもなく別れたのなら、つまりはセックスアピールの問題さ。
敗者にしかそなわっていないセックスアピールというものがある。敗者として生きてゆくのに必要なものは、ほんの少しのお金とほんの少しのセックスアピールだ。
ほんの少しのセックスアピールが必要なこと、あの若者はそれを痛感していた。そして痛感していながら、自分にはけっしてそれが得られないと絶望していた。たぶん、セックスアピールまでも勝者のものだと思っていたから。
金やセレブであることはセックスアピールの代替物でしかないのだということは、内田教授がいいお手本なのに。