閑話休題・バスルームとスタジアム


バスルームを仕事場にしている女が休日にサウナに行って骨休めするというのもなんだか変な話だが、それがこの一年つづいた彼女の暮らしの習慣だった。
まあ、ホストクラブ通いするよりはずっと健全だといえるかもしれない。
さいころから、長風呂だった。裸のひとりになって、ゆっくりと体が溶けてゆく。
やっぱり大きなシティホテルのサウナがいちばん落ち着く。何もかもおしゃれでサービスが行き届いていて、つまらないところについ苛立ったりするということをしないですむ。バスタオルひとつとっても、街の雑居ビルのサウナとはぜんぜん違う。
東京中の大きなホテルは、だいたい全部利用している。
でも、観光地の娯楽センターの大浴場も嫌いではない。
シングルマザーの友人がいて、その子供と三人でときどき出かける。
いや風呂が好きだからこの仕事をはじめたのではもちろんない。
二十三歳の弟がカードローンの借金を抱えて首が回らなくなってしまっていたから、というのが決心のきっかけだった。
東京のソープランドは吉原に集中していて、高級な店はほとんどそこにしかないが、大衆的な料金の店なら、山手線のたいていの駅近くに一軒か二軒はある。
彼女の仕事場も、下町の駅近くにあるそういう店のひとつだった。
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弟のことだけがきっかけというのでもない。
それまでの2年近くをニートになってぶらぶらしていたから、何かしないといけないと思っていた時期でもあった。
会社勤めをしようと思ってもなかなか決心がつかなかったのに、弟の話を聞いてから一週間で、えいやっ、と決めてしまった。
ニートのあいだは中年オヤジに知り合いが何人かいて、ときどきエッチさせてやってお小遣いをもらっていたから、客扱いには自信があった。
高校のころから、遊び仲間からオヤジキラーといわれていたのだ。
それにまた、いつも家の中でスエットの上下でごろごろしているという怠惰な暮らしをしていたから、かなり太ってしまっていた。
で、仕事をはじめるときに3ヶ月で20キロ近く減量し、別人のようにスリムな女に変身して見せた。このあたりの気合の入れ方は、生まれついての能力だった。
ただ、そのせいでおっぱいが少し垂れてしまった。もともと自信があっただけに、もうもとに戻らないと思うと、これにはかなりめげた。
ダイエットするとおっぱいが垂れるなんて、どの本にも書いてなかったじゃないか。

彼女の両親は、彼女が幼稚園のときに離婚した。
父親が幼稚園の先生と浮気をしたからだ。
それで父親は幼稚園の先生と再婚したのだけれど、慰謝料の負担を抱えてしまったために、彼女は小学一年から隣の県の祖父母の家に預けられた。
祖父はやさしかった。それにたいして祖母のほうは、冷たいとかいじわるというのではないが、ほとんどこの孫に関心を示さなかった。
彼女は、この祖母に何かを買ってくれとねだった記憶がまったくない。
彼女は、なぜおねだりするのができなかったのか、自分でもよくわからない。子供心にも自分の立場をわきまえていたからとか、そういうのとはちょっと違う。年に一、二度訪ねてくる父親に対しても、おねだりなんかしなかった。
オヤジキラーといわれたくらいで甘えるのは上手なのだが、おねだりすることはできないたちなのだ。
ニートのころに知り合いの中年オヤジから小遣いをもらっていたといっても、ちゃんとエッチさせてやっていたのである。だまして巻き上げるとか、自分から金額を決めて要求するとか、そういうことはしなかった。
気が強いからかな、と思うことはときどきある。
甘えて見せるけど、なれなれしくはしない。そういうところが、中年オヤジの胸をくすぐるのかもしれない。
「それは、孤児根性てやつだな」と、ソープランドの中年客から言われたことがある。
そうかもしれない。父親に聞くと、赤ん坊のころからそんなふうだったらしい。
その中年客とは、よく外でデートをした。そして彼は、ただでエッチさせてやるようになっても、客としてやってくることもやめなかった。キスが上手で、遊び慣れてるのかなと思ったが、もしかしたらその客にも、孤児根性というのがあるのかもしれない。
お客からプレゼントをもらうこともよくあるが、その男からは、桜の木の鉢植えをもらった。三十センチくらいの背丈の木には、まだつぼみしかついていなかった。
咲くかどうかわからないけど、といって渡されたのだが、「ぜったい咲かせてみせる」と彼女は思った。
十日後、ひとり住まいのマンションのベランダで最初の一輪を見つけたときは、泣きながら拍手してしまった。
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親のもとに戻ったのは、中学になってからだった。
継母は何しろ幼稚園のときの先生だから、緊張や戸惑いはとくになかった。
三歳下の弟とも、それ以前に何度か会ったことがあるから、すぐに仲良くなった。
裕福ではなかったが、ああこれが家族か、と胸に満ちてくるものがあった。
両親は、淋しい少女時代を過ごさせてしまった彼女に対して遠慮しているところがあり、よその家の親たちのように強く支配しようとすることはしなかった。
都心の女子高に通っているころは怖いもの知らずだった。
彼女は、家族の鬱陶しさを体験しないまま社会に出ていった。
OLになって、集団とはこんなにも鬱陶しいものかということを身にしみて思い知らされた。気持がどんどん不安定になってゆき、そこから逃れるために家を出て男と同棲したりということもしてみたのだが、それもけっきょくは鬱陶しさに拍車を賭ける体験にしかならなかった。
生まれつき社会的な人間関係に耐えられる神経を持っていなかった上に、それに耐えるトレーニングもしてこなかったのだ。
彼女は、少しずつ壊れていった。
他人も自分も気味悪くて、しまいには人の顔がのっぺらぼうに見えてくる。
ビルが倒れてきそうで、街を歩くのが怖い。
引きつった目をして街を小走りに歩いている女がいる。それが彼女だった。
医者からもらった精神安定剤が手放せなくなった。
そうして、ニートになって家に引きこもるようになっていった。
人との関係に敏感な若者ほどニートや引きこもりになりやすい。

趣味は、サッカー観戦。
出会いは、中学二年のときにテレビで見たワールドカップ。まだ日本など出ていない大会で、しかもルールもよくわからなかったのに、なぜかわくわくしてしまい、毎晩ひとり深夜のテレビにかじりついていた。
それはもう、同級生の男子がふだん校庭でやっているのとは、まったく別のゲームのように見えた。
そこには一瞬一瞬移り変わってゆく攻防があり、ときに繊細であったりときに激しかったり、見ていて飽きることがなかった。
ルールもよく知らない中学二年の娘が、なぜそんなことに気づいてしまったのか。
女とサッカーは、けっしてミスマッチな関係ではない。べつにスポーツに特別な関心があったわけでもない普通の女が、誰に教えてもらうでもなくいつのまにか自分でサッカーファンになっていた、ということがときどきある。
女は「女という身体」を生きなければならない。毎月の生理があり、大人になれば子を産み、そして男に見られる存在として、いつも自分の体をチェックして生きていかなければならない。そのしんどさとなやましさはたぶん、サッカーの「足しか使えない」という制約とどこかで通じているのだろう。
サッカーは、ただ男性的というだけのスポーツではない。とてもなやましく官能的なスポーツなのだ。あちこちでミスが起きて絶えず攻守が入れ替わってゆくというサッカーのなやましさは、女のほうがよく知っている。
それに彼女の場合、人との関係の距離感にひといちばい敏感だった、ということもあったのかもしれない。
高校になるとJリーグが始まり、サッカー選手の追っかけに夢中になっていった。
ジュビロ磐田がお気に入りのチームだった。
宿舎のホテルに押しかけてゆくのはいつものことで、中山ゴンとツーショットの写真が新聞に載ったこともある。まあ、ファンに囲まれた中山選手、というだけの記事だったのだけれど、その切抜きは彼女の宝物だ。
中山ゴンは、テクニックは下手くそだが、日本でいちばんひたむきで勇敢なフォワードである。それにポジション取りやゲームの流れを読むインテリジェンスも持っている。そういうところが、彼女の心を熱くした。
彼女がスタンドから「いけえっ!」と叫ぶとき、ゴンはもう、ゴールポストに顔をぶつけるのもいとわない勢いでとびこんでゆく。サイドラインを割りそうなこぼれ球も、けんめいに追いかける。負けるとわかっているゲームでも、けっしてあきらめない。自分が下手くそなのをよく知っている。でも、ほかの選手がどんなプレーをしようとしているかということも、誰よりもよくわかっていた。だから、いつもラストパスをもらえそうないいところにいる。
スタンドにいても彼女は、ゴンと一緒にプレーしていた。
フランスワールドカップのときにはヨーロッパまでついて行った。日本チームのふがいない戦い振りはもう忘れてしまったけれど、帰りにオランダに寄って、ドラッグ・バーでマリファナを吸ったのは楽しかった。
しかし彼女は、選手とセックスしたりするグルーピーにはついにならなかった。ほんとにサッカーそのものが好きなのだ。
そのあと日本サッカーを応援するとき、ゴンの後継者として柳沢に期待したのだけれど、柳沢にゴンほどのファイティング・スピリットがあればなあ、と思った。しかしそれは、ゴンに柳沢ほどのスピードとセンスがあればと願うのと同じくらいせんないことだった。
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彼女の親友は、サッカーファン仲間ではなかった。
高校のときに同じクラスだったユウちゃん。
ユウちゃんは、小柄でころっとした体型をしている。
彼女と違って茫洋としてあんがい神経は図太いのだが、かなしいことに、ついていない女だった。
十九のときにできちゃった婚をして二年で亭主に逃げられ、それ以来シングルマザーとしてソープランドやキャバクラなどで働いて子供を育ててきた。
ユウちゃん親子の暮らしは、じつにアバウトだ。おやつにラーメンとアイスクリームを食べてさらにペットボトルのコーラを飲むということを当たりまえのようにしている。だから、二人ともけっこうデブになってしまった。
二人とも、それくらい淋しいのだ。
現在小学校二年の息子は、お母さんの親友である彼女にとてもよくなついている。
お母さんのユウちゃんだって、彼女が誕生日のプレゼントは何が欲しいかと聞いたら、友達でいてくれたらそれでいい、と答えた。
彼女たちはよく深夜のファミリーレストランでおしゃべりする。
彼女は、ユウちゃんと息子の暮らしを、はらはらしながら眺めている。わたしだったら、親子心中しちゃうかも、と。
だから、ユウちゃんはすごい、と尊敬もしている。
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彼女は今、猫二匹と一緒に仕事場近くのマンションで暮らしている。
小学校のときに道端で拾ってきて以来きょうだいのようにして暮らしてきた一匹が、もうすぐ老衰で死のうとしている。