閑話休題・日本サッカーにおけるフォワードの芸

サッカーの話です。
先日のスポーツ新聞のコラムで、金子達人という評論家が、日本のフォワードはシュートを打たなすぎる、と言っていました。外国人は、どんどんシュートする。外れてもいいのだ。たくさん打てば、そのうち入る。たくさん打つから、そのうち入るのだ。その差が、Jリーグの得点ランキングの上位に外国人ばかりが並ぶという現象になっている、と。
つまらない意見です。このていどの意見で評論家がつとまるとは、お気楽な商売だ。
あなたたちは、いったいいつまでそんなことばかり言っているつもりか。
そんなことくらい、いまどき小学校の教室でも言っている。だって、あなたたちが、この十年ずっと言いつづけていることなのだもの。
なんの芸もなく同じせりふの大合唱を繰り返して、それで少しは事態が改善されたのか。なあんも変わっていないじゃないか。
日本人フォワードはなぜシュートを打たないのかということの本質やら意味やら国民性やら、まずそのことをいろいろ考えてから言ってもらいたいものだ。
彼らは、あなたたちがかつてやっていた草サッカーのレベルでプレーしているのではないのですよ。たとえJ2の選手にだって、体に染み込んだ本能のようなものを持っているんだぜ。それが何か、それをどう生かすか。そこのところを考えてからにしていただきたいものだ。
チームがひとりのフォワードにボールを集めてシュートさせるという戦術を取れば、日本人だってたくさんシュートを打つさ。外国人フォワードのいるチームは、どうせやつらはそういうサッカーしかできないのだから、とうぜんそういう戦術になっていきますよ。いや、頭が悪いからじゃなく、言葉が通じないし、ゴールの数で給料が決まるし、少なければすぐお払い箱になる身なのだもの。
しかしそれがいちばん効率のいい点の取り方の場合もあれば、そうでない場合もある。
ひとりのフォワードが10点取るチームより、みんなが2点ずつで20点取ったチームのほうが強いでしょう。柳沢がいた頃の鹿島のように。
むかし、弱かったころのレッズでフォワードの福田が得点王になったが、それで優勝したわけではない。まあ、弱いチームはそういう戦術に徹するのが残留の近道だ、ということはいえるかもしれない。
日本人のフォワードがいるチームは、フォワードがたくさんシュートするような戦術になっていない。それに、強引にシュートを打って外し、近くにいた選手から、俺にパス出してくれたらかんたんに決められたのに、と言われて、そんなの関係ない、という顔ができますか。外国人ならできるが、同じ日本人どうしなんだもの、すまん、という気にもなるでしょう。
日本人は、みんなで点を取る、というサッカーが好きなのですよ。そしてそれこそがサッカーの原点であり、王道でもあるでしょう。
そうしていちばん強かったころの鹿島のそういうサッカーをつくっていたのは、ビスマルクでも小笠原でもなく、柳沢だったのですよ。
柳沢が動き回ってちゃんとポストプレーしてくれたから、ビスマルクも小笠原も前を向いてプレーでき、いいパスを供給することができたのです。
今、日本人フォワードでいちばんポストプレーがうまいのは、柳沢です。
ふつうのフォワードは、しょうがなくポストプレーやっているだけです。できればそのまま自分で持っていってシュートしたいという気持を、どこかに隠し持っている。しかし柳沢は、そんな余計なスケベ根性なんか捨てて、ここはポストプレー以外にないという判断ができる。だから、球離れがじつにきれいです。
高原だって、スケベ根性を残しているから、ミスが多くなるし、スムーズな連携もつくれない。
高原も吉原宏太中村俊輔も、それができなくて何度もゲーム中に小野から叱られているんだよ。僕は、何度もそんな光景をスタンドから目撃した。本人に聞いてごらんよ。小野から叱られたことがないかって。
プロだから、ただやればいいというものでもない。ダイレクトでさばくべきか、いったん止めてから出したほうがいいのかとか、どこに散らせばいいのかとか、いろんな判断ができなければならない。
そういう面で柳沢はほかのフォワードとは心構えが違うから、誰よりも的確にプレーできる。
それに、ワンツーリターンの壁になってやることもいやがらない。
いっちゃなんだけど、小野とのパス交換で壁になってくれたのは、名波と柳沢だけだった。中村も中田も、何十回小野からリターンパスをもらっても、ついに小野に戻してやるというプレーはしなかった。というか、くやしくてできなかったのでしょうね。
柳沢も小野も、ほんとにワンツーが好きなんだなあ、ということがよくわかる。
柳沢なんか、フォワードどうしのワンツーからゴールが生まれたというシーンを、ほんとに何度も見せてくれた。
日本サッカーには、ポストプレーとかワンツーとか、そういう芸がちゃんとできるフォワードは必要だし、それでMFやDFがゴールしたって1点は1点でしょう。
日本人フォワードが強引なシュートでゴールをこじ開けるというシーンなんて、めったにない。僕は、そのへんのあほな評論家みたいに、そんなまぐれなんか期待しない。おまえらもっとゴール前の芸を磨けよ、と思う。
柳沢や小野は、あなたたちが考えるようなレベルでサッカーをやっているわけじゃないんだよ。あなたたちレベルの運動神経ならそんな強引なプレーもできようが、彼らは、考えるよりも先に体が反応してしまうプレーを持っているんだよ。そういうセンスを、尊敬してやろうじゃないの。
猿じゃあるまいし、ばかの一つ覚えみたいに「シュートを打て」と繰り返しているだけじゃなく、日本人の体に染み込んだプレーセンス、そういうものを、もう一度じっくり基礎から検討してみた方がいいと思うよ。
たとえば、道で目の前から歩いてくる人がいたとき、にっこり微笑みかけて、お互い半分ずつ体をよける。あるいは、「どけよ」と言って、自分だけが強引にすすんで行く。
日本人は、両方ともできない。相手をまっすぐ行かせて、自分だけが脇に退こうとする。慎み深いからではない。そういう快感があるからだ。
相手の前から自分の体を消してしまう快感。相撲や合気道には、この行為(快感)の要素がじつに多く含まれている。
わかりますか、評論家先生。柳沢や小野は、この快感の上に立ってプレーしているのですよ。良くも悪くも日本では、この身体感覚を持った選手が抜きん出てゆくのです。そういう文化風土がある。
日本のサッカー選手のプレーセンスを分析しようとするなら、そういうアプローチをしてみるのも無駄ではないと思いますよ。あなたたちの知性と教養じゃ困難なことかもしれないけど。
いや、僕だってもっと知性も教養もないから、ついあなたたちにお願いしてしまうのですけどね。