まれびと論・23 新室のほかひ

やまとことばは、概念的な構造や機能を持った言葉ではない。だから、その語源をたどろうとするときに、概念的な意味で片付けてしまわないほうがいい。たとえば「祝う」といったって、体の中心が暖まってゆく気分を表現していただけであり、「めでたい」という概念は、その背後にそっと寄り添っていたにすぎない。
「めでる」という言葉じたいが、もともとは、ひとつのものをじっと見ている行為や感慨を表現していただけのはずです。
語源的には、直接概念を表現する言葉などほとんどないのだ、と考えたほうがいい。
「はかなし」の「はか」だって、もとはといえば、土地の広さや長さを測る単位のことだった。「はか」とは、「仮の世界」のこと。その「仮の世界」すらないさまが、「はかなし」です。そのようにして、概念は、二次的な意味として言葉の背後に潜んでいる。
折口信夫は、新嘗(にひなめ)の「なめ」は「神への畏れ」という意味だった、と言います。そんなことあるものか。「なめ」という発声に、「畏れ」を意味するような音韻はない。「なめ」は、「舐める」そのものだったのだ。しかし、「舐める」という行為には、「出会いの瞬間」というニュアンスがあるじゃないですか。そういう瞬間の「ときめき」や「よろこび」が、言葉の背後にそっと潜んでいる。
それがやまとことばだ、と僕は思っている。
やまとことばの語源を考えるのに、安直に概念をこじつけてしまうべきではない。
概念を表現しようとしてやまと言葉が生まれてきたのではない。
「空が青い」という言い方には、どこかしら「かなしみ」の感慨が潜んでいる。それは「かなしい」という意味ではないのに、それでももっとかなしい感じが伝わってくる。やまとことばは、そんなような言葉です。古代人は、「かなしみ」を表現するのに、「かなしい」という概念ではなく、「空が青い」という言葉を必要とした。
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折口信夫の「国文学の発生・まれびとの意義」では、奈良時代に山から下りて来て祝い歌を謡いながら村の家々を門付けしてまわった「ほかいびと」の「ほかい」は、「祝う」という意味(概念)だったといっている。
「寿(ことほ)ぐ」の「ほぐ」が転化して「ほかい」になった。「ほかいびと」とは「祝いびと」のことである、と。
しかし「ことほぐ」とは、「ことをほぐす」ということでしょう。たしかにそれは「祝福する」というニュアンスではあるが、もともとは「もつれた糸(縄)をほぐす」とか、「喧嘩の仲直りをさせる」とか、「慰め励ましてやる」とか、そういうかたちで使われていた言葉であるはずです。
「ことほぐ」の「ほぐ」と「ほかいびと」の「ほか」が同じであるとは考えにくい。。
「ほ」は、体のよけいな力が抜けて落ち着く感じの発声。だから「ほっとする」という。
「く」は、行為を意味する助詞。とすれば、「ほぐ」は、物や事柄を分けたり整理したりすること。だから、捨てることを「ほかす」という。「惚(ほ)く」といえば、呆けるとかボケるという意味です。つまり、あるべきかたちを失って「ほか」のかたちの変化してしまうさま。「ほか」は、あくまで「他=ほか」という意味でしょう。
語源的には、「ほぐ」という言葉にも「祝う」という概念はなかったはずです。
「いわう」とは、ひとつのことに向かって喜んだり驚いたり心が大きく揺れ動くさま。「い」は、ひとつのことに注目する感慨。「わ」は、「わいわいがやや」とはしゃいだり、「わっ」と驚いたりする感慨。だから「岩」とも言う。
「ほかいびと」の「ほかい」にしても、後世に「祝い」という意味になってきたとしても、それが最初に名づけられたときは、もっと別の直接的な意味があったのではないか。
「ほかす」が捨てることで「ほぐす」が分けて整理することであれば、「ほかい」だってそういうニュアンスの言葉だったはずです。つまり「ほかいびと」とは、「ほかの土地に住んでいる人」という意味だったのではないか。この場合のほかの土地とは、「山」です。山からやってくるよそ者、おおよそこんなようなニュアンスだったのではないだろうか。そしてその意味の背後に、「祝う」という概念が寄り添っている。山からやってくるという行為それじたいが、「祝う」という態度だったのだ。
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「ほか」は、そのまま単純に「他」という意味でしょう。
「新室(にひむろ)のほかひ」という言葉があるそうです。
「室(むろ)」とは、家とか作業場とか貯蔵庫のこと。そういう土間をつくるときに、土に巣食っている精霊(悪霊)を祓う儀式をする。それが「新室のほかひ」です。もちろん、家を新築するときの儀式でもある。
つまりそのときの「ほかひ」とは、精霊(悪霊)を「ほかす(捨てる=他のところに追いやる)」という意味であるはずです。
しかし折口氏は、「ほかひ」とは「祝い」である、という解釈にこだわっているから、それは「家人ことに家長の健康を祝福する」ことが主な目的であったのだ、と言います。新しい室(むろ)をつくることは、家長の健在を意味するのだとか。しかしそういうときは、またべつに家人どうしで祝福しあう「相嘗(あひなめ、あひむべ)」という儀式があったわけで、この儀式の意味が「新室のほかひ」にもあったというのでは、まったく、こじつけもいいところです。
室(むろ)の床の地面のことを「とこ」と言います。日本列島の住民にとって「床(とこ)」は特別なものです。「とくべつ」とは「床(とこ)だけは別」というのが語源でしょう。日本列島は、われわれが住むこの世界の「床(とこ)」です。そういう限定された世界を、ここが世界のすべてだと思い定めて生きてゆくのが日本列島の住民の世界観であり、古代の信仰のかたちだったのです。
したがって新室の「床(とこ)」を「ほかひ」すること、すなわち土に住む悪霊を「ほか」に追い払うことは、折口氏のいう「家長の健康長寿を祝福する」などということ以上に大切なことだったはずです。折口氏は、古代人の信仰のかたちというものがよくわかっていない。だから、語源の解釈も杜撰になるのだ。
古い室(むろ)であっても、「ほかひ」はしていたのです。すくなくとも語源にさかのぼれば、「ほかひ」に「祝う」という表立った意味などなかったのだ。
だいいち、折口氏の解釈では、「嘗(な)め」は、「忌み」であったはずです。それが、どうして「祝う」に変わるのか。家人どうしで、忌みの畏れ会うことが「相嘗」ですか。それじゃあ、つじつまが合わない。また、神どうしが祝うことを「神嘗(かむなめ)」というそうだが、なおさら「忌み」などというものとは無縁の行事であるはずです。神と神が「出会う」ことは、「舐(な)める=嘗(な)める」ことであり、それをを「神嘗(かむなめ)」というのでしょう。
その「嘗(な)める=舐(な)める」という言葉の背後に、「祝う」という感慨が寄り添っている。
波(なみ)だって、海岸線を舐めているじゃないですか。それは、海と陸地が「出会っている」というさまにほかならない。
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古代人とっての「祝う」という行為は、「めでたい」という概念に向かってなされたのではなく、日々の暮らしの行為そのものの背後に「祝う」という感慨がともなっていただけなのだ。山人が村に下りていって村人と出会うということ、それじたいが「祝福」のかたちだったのだ。だから彼らは、「祝う」とは言わずに、「ほぐす」と言い「ほかす」と言い「ほかいびと」と言ったのだ。
「祝う」という言葉だって、ひとつことに気持が盛り上がってゆく感慨の表現だったのであって、べつに折口氏がいうような神や貴人のありがたさを祝福するなどという小ざかしい概念だけを表現していたのではない。飼っている鶏の卵が雛にかえったことだって、めでたいでしょう。そんな体験を古代人がしていなかったはずはないでしょう。「祝う」という言葉はそういう体験の日々の蓄積から生まれてきたのであって、貴人や海の向こうからやってくる神を祝福するなんて、そんな絵空事から生まれてきたのでは断じてないのだ。
神や貴人でありがたさをめでるなんて、グラビア雑誌を見ながらオナニーしているようなものです。貴人のありがたさなんて、エロ写真みたいなものだ。エロ写真はたしかにありがたいけど、本物ではない。そうやって神や貴人をありがたがりながら折口氏は、庶民がブスな女の体を抱きしめた体験なんて屁みたいなものだ、と言っているのです。けっこうな「まれびと論」だ。