まれびと論・20  日本人の神

僕は、折口信夫が提出する「まれびと」という言葉を、もろ手を上げて受け入れる。しかし、「神は<常世(とこよ)の国>からやってくる」とか「神や貴人をもてなすのが<まれびとの文化>である」というような安直で権威主義的な分析に対しては、殺意すらおぼえる。
折口氏のこの分析は、それが戦前の天皇制の強化に加担していっただけでなく、現代人の「勝ち組み」や「セレブ」を志向せずにいられない強迫観念ともどこかで通低しているのではないかと思えます。
貴人の賓客でなければ、篤くもてなされることはないのか。金持ちや正しく美しい人でなければ人間である資格はないのか。そんな強迫観念を持っているから、鬱病認知症やEDになっちまうのだ。
われわれのこの生における「出会う」という体験は、そんな価値概念だけですむことではないでしょう。
「空が青いなあ」という感慨をもつことだって、ひとつの「出会い」の体験でしょう。そういう体験の深さとして「まれびと」の文化が生まれてきたのだ。
古代人は、貴人の賓客がどうのと言っている折口氏より、たぶんはるかに深く「出会い」の感慨を体験していたのだ。
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われわれは、「間(ま)」に存在している、という自覚がある。生まれてくる前と死んだあととの「間」です。「われわれはどこからやって来て、どこに行こうとしているのか」というフレーズは、世界的普遍的な認識として共有されている。しかし海に囲まれた日本列島の住民は、「われわれはどこにも行けない」という認識を根源的な部分に抱えている。この「間」において生起し、消えてゆくだけだ、と。
日本列島は、この世界の「間」です。「中心」ではない。なぜなら、海に囲まれているから、外側の世界のことを知らない。外側の世界なんか、あるのかどうかもわからない。だから、中心だと思いようがない。
そこのところが、中華思想の国とはちょっと違うところです。彼らは、外側の世界を知っている。
われわれは、知らない。知らないながら、ただもう「間」に存在している、と自覚しているだけです。古代人は、海の向こうになんか行けやしないのだから、この「間」に落ち着くしかない、と思っていた。ほんのひとにぎりの人間である遣隋使や遣唐使が出かけていったからといって、民衆の気持ちがそうかんたんに変わるわけではない。
海を眺めながらこの日本列島で暮らしているかぎり、現代人でも「どこにも行けない」という無意識はどこかしらに抱えている。なぜわざわざ「海外」と言って、単純に「外国」と言わないのか。現代人は、「どこにも行けない」という伝統的な実感を無意識として抱えながら、「どこにでも行ける」という知識を止揚して生きている。
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伝統的な実感としてのわれわれの無意識は、「間」に落ち着くことを探索している。
「間」に落ち着くことを探索する生き方をしているからこそ、「間」の外の存在との「出会い」に深くときめいてしまうのだ。
「間」は、どこにも存在しないと同時に、どこにでも存在する。
この世界、と言っても、この世界と死後の世界とのあいだにも「間」がある。生まれてくる前の世界とのあいだだって同じです。「この世界」だからといって、「間」であるとはかぎらない。
われわれは、「間」に存在していると同時に、「間」に存在できない。
時間的にも空間的にも、「間」は、つねに変化しつづけている。
「なま」な新しいものは、次の瞬間の「間」でもある。
体を動かすということは、新しい「間」に体をはめこんでゆくことです。
生きものは、「間」に存在することができない。「間」を希求しつづけて存在している。
「間」の外にあることが、「間」にはめ込まれてあることでもある。
つまり、「間」にはめこまれて存在することは、「間」の外の存在との「出会い」において実感される、ということです。
おたがいが「間」の存在であると同時に、「間」の存在ではない。ほんとうの「間」は、出会いの場そのものものにおいてあらわれる。
「他者」という「異人」との出会い・・・・・・日本列島においては、縄文時代以来、つねにこのことが模索されてきた。
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日本列島の住民にとって、神はどこに存在するのか。
折口信夫の「国文学の発生・まれびとの意義」では、いともかんたんに「海の向こうの常世(とこよ)の国」である、と決め付けられています。そこから神への信仰が始まったのであり、それがこの国の人間の背骨にある神が住む国のイメージである、と。
そうだろうか。
人びとは、正月にはしめ縄飾りや門松をあつらえて、神との「出会い」をプロデュースする。
そのとき神は海の向こうの「常世の国」からやって来ると思っている人が、いったいどれくらいいるでしょうか。
僕は伊勢の生まれだし、けっこう古くさい因習の中で育ってきたけど、常世の国なんていまいちぴんと来ない。
正月の気分は、独特です。きっと、誰だってそうでしょう。ただの大晦日の次の日にすぎないのに、われわれは、やれ除夜の鐘だ初詣だと、飽きもせず大騒ぎを繰り返している。正月には、空気が新しくなる。すでにもう神と出会っている気分になって、初詣に行かずにいられなくなる。
しかし、神がどこからやってくるかなんて、ほとんどの人が考えたことがない。考える前に、すでに出会っている気分になってしまっている。
神社の向こうのあの山に棲んでいるといわれても、あまり実感はない。だが、あの山そのものが神だといわれると、なんとなくそんなふうに思えなくもない。山の中の松ノ木が、妙に神々しく見えたりする。
神は「そこ」にいる。そして「そこ」は、無限に遠いところかもしれないし、目の前かもしれない。われわれは、神がどこに住んでいるかということを、特定できない。ただ、「出会っている」という感覚があるばかりだ。たとえ無限のかなたに存在する神でも、今ここで「出会っている」という感覚は持てる。
神は、「そこ」に存在している。どこからもやってこない。どんなに遠くに存在していても、会えるときは会える。それが、正月なのではないだろうか。正月には、そういう「出会っている」という格別の空気感がある。
正月の松飾りは、来訪する神を迎えるためではない。誰もがすでに出会っているという気分に浸されるから、貧富を問わずどの家もそうせずにいられないのであって、来訪を迎えるためなら、神社に任せておけばいいだけのことだ。
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そりゃあ、「備後国風土記」の「武塔(むとう)の神」の話にせよ、神がやってくる話は無数にあるでしょう。しかしそれらの神はみな、人間の姿をしてやってくるのです。人間の姿をして、人間としてやってきているだけだ。あるいは、鬼や龍などの妖怪として。
迎えるがわは、神だなんて思っていない。
言い換えれば、神がやってこない国だからこそ、神がやってくるという外来の文化にかんたんにとびついてしまう。かんたんにとびついてしまうのが「まれびと」の文化です。しかし、根源的には、信じていない。海に閉じ込められた島国の住民には、そんなイメージを紡ぐ能力がない。
われわれにとっては、目の前の山そのもの池そのものが神なのです。われわれはすでに神と出会っているから、「やってくる」というイメージを紡ぐ必要がないし、紡ぐ能力がないのです。
池の竜神様だとか、そんなものは、神を形象化したイメージであって、神そのものではない。竜神様と出会った人間など、ひとりもいない。しかし村の誰もが、池そのものに神を感じてはいる。その体験が先にあって、竜神様がイメージされていったにすぎない。
竜神池竜神様が住んでいるというイメージは、村人の誰もが池そのものに神を感じたという体験から生まれてきた。村びとの神観念の根源的なかたちは、竜神様にあるのではなく、池そのものに神を感じた、ということにある。
日本列島に住む人間の根源的な神観念として、神がやってくるというイメージはない。海に閉じ込められた島国で暮らすわれわれは、この世界の向こう側のことを知らない。死後の世界は、わけのわからな「黄泉の国」なのです。神はやってこない。どこにいるのかわからないのだから、やってくる、などというイメージは持ちようがない。ただもう、今ここで「出会う」のだ。
この国においては、どこにいようと、今ここがこの世界とあの世界の「間(ま)」であり、そこにおいて神=他者と出会うのが「まれびと」の文化です。
正月になると空気が一新されて、われわれは、「間」に立たされているような昂揚感を覚える。「間」は、いたるところに存在するし、どこにも存在しない。日本列島の住民は、そういう認識とともに「神」と出会っている。