まれびと論・19 「翁」の意義

「なまぐさい」とか「なまいき」とか「なまけ」とか、日本列島の住民は、「生(なま)」であることをとても嫌う。
そのくせ生の刺身を食ったり、「旬」のものをとても大事にしたりもする。そこに、新しいものとの「出会いのときめき」がある。
「なま」とは、生まれる前(過去)の世界と死後の世界(未来)との「間」であるこの世界(現在)にうまくおさまっていないこと。だからこそ、嫌われもするし、その超越性が尊ばれもする。
子供は、「なま」な存在です。かといって大人たちが「なま」ではない存在としてうまく「間」におさまっているかといえば、やっぱり大人たちだっておさまりきれない「なま」な存在でしかない。
そこで、「なま」ではない存在として「翁(おふな・おきな)」という老人がイメージされる。
中国の「仙人」もそうだが、この国の能の世界でも「翁」はとくに神聖視されている。
世阿弥は、「萎れたる姿こそ花(=美)なり」といった。
「翁」は、「なま」であることのアクが抜けた存在です。
狂言は、ふたりの人物の「かけあい」としてストーリーが展開してゆく。そして一方がやっつけられてあわてふためく、というかたちで終わる。「かけあい」という形式は、日本の芸能の原点なのだとか。折口信夫は、それを、古代における「神」と「精霊(悪霊)」の対話という宗教儀式に見出す。神が邪悪でさかしらな土地の精霊を屈服させてゆくことによって作物の収穫が約束される、という儀式です。
この神が「翁」になったのが、中世の「能」や「狂言」や「神楽」なのだとか。
「翁」は、高い徳と深い知恵をそなえている。だから「神」になぞらえられていった、と折口氏は言う。そこで「翁」についての分析の締めくくりを、こう語っています。
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わが国の村々の宗教演劇において、みなこうした「翁」の出現して、土地の精霊を屈服させる筋を演出していた。・・・(中略)・・・わが国の「まれびと」の雑多な内容を単純化して、人間の上に翻訳すると、驚くべく歓ぶべき光来をまっとうした貴人の上に移される。賓客を「まれびと」といい、賓客の取り扱い方の、人としての待遇以上であるのも、久しい歴史あるところとうなずかれるであろう。
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「翁」が神聖視されていったことは、高い徳と深い知恵による高貴さというような、そんな単純なことじゃない。すくなくとも世阿弥は、そんなうさんくさい道学者みたいなことも、権威にへつらうあほな中学校の校長みたいなことも言っていない。「萎れたる姿」と言っているのです。「翁」が神聖視されていった由縁は、そこにこそあるのだ。
それは、「なま」が脱け落ちた姿である、ということ。
別の言い方をすれば「洗練の極み」ということになるのでしょうか。
たんなる美意識ではない。世界観あるいは実存の問題です。「この世界」でも「あの(死後の)世界」でもない「間」に入っていこうとする態度のことです。能の舞は、そういう「間」で動け、と世阿弥は言っている。そして「間」に入ってゆくことは、じっとしていることではなく、動くことすなわち「舞(間)う」ことなのだ、と。
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人間がダンスを覚えたのは、じっとしていることが生きものの常態ではないからであり、二本の足で立っていることがとても不安定で居心地の悪い姿勢だからでしょう。
能の舞は、そういう「人間」としての与件とつきつめたところで和解しようとする身振りです。じっと立っていることと、動ききってしまうこととの「間」で動くこと。
じっと立っていることは、鬱陶しくて、とても身体を意識させられる状態です。そしていい気になってはげしく動いてしまうこともまた、別の意味で意識が身体に淫している状態であり、やがては苦しくなったりぐったり疲れたりしてしまいもする。その「間」で動くことによって、身体の鬱陶しさから解放されようとするのがダンスであり、世阿弥は、その究極のかたちを探っていった。
社交ダンスにおけるパートナーは、動ききってしまうことを抑制してくれる存在であると同時に、じっと立っていることの鬱陶しさから解放してくれる来訪者でもある。
海に閉じ込められた日本列島で暮らす人々は、じっと立っていることの鬱陶しさが骨身にしみている。そして、海に閉じ込められてどこにもいけないというその与件と、起伏の激しい山野を歩き回るしかない暮らしによって、動ききる(駆け回る)ことを止揚する文化も育たなかった。この国の動きの文化は、その「間」において熟成されていった。
この国の「伏す」という文化は、じっと立っていることの鬱陶しさと、どこにもいけないという絶望の「間」から生まれてきた。深くお辞儀をしたり、腰をかがめて戸の出入りをしたりする文化。そして「畳」は、座ることによって立っていることの鬱陶しさから身体を解放し、動ききることを抑制する役割も果たしている。
能の舞だって、「伏す」という動きの探索であるともいえる。つまりそのとき、動ききることが伏せられているのだ。
そういう「伏す」というかたちの理想形として、「翁」があらわれる。
じっと立っていることも、動ききることも、この国では「なま」なかたちなのだ。
「翁」はもちろんだが、旅する「異人」の蓑笠をまとった乞食姿にしても、いわば俗世間の「なま」を拭い去ったかたちにほかならないのであり、そういう対象を「まれびと」というのではないだろうか。
貴人の賓客だから「まれびと」だなんて、言うことがあさましすぎる。
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天皇は、よけいなことは言わないし、何もしない。天皇に、精霊(悪霊)と対話(かけあい)して屈服させる力なんかないですよ。
この国の「神」は、ほんらいそういう存在なのです。
天皇が神であるのなら、そういう能力をもった「翁」は神ではない、ということになる。
人びとは、「翁」を、神としてではなく、自分たちの未来形として、あるいは理想形として描いていった。神ではないこの身の昇華されたかたちとして「翁」を描いていたわけで、「まれびと」とはそういう存在(異人)のことをいうのだ。
縄文人は、たった30数年の人生(寿命)と和解していた。不老長寿などという思想は、大陸からやってきて権力者や僧侶という知識人のあいだに受け入れられていっただけであり、古代の庶民はつねにこの生や老いと和解しようとして生きていたのです。
養老とは、老いを養う、ということです。「養老の滝」のあの話は、老いを養いきれない愚かさを説いた説話であって、不老長寿の願いを語っているのではない。
「翁」もまた、老いを養うことのできる人としてイメージされていった。
われわれは、死んだら「あの世」に行くのではない。あの世とこの世の「間」で消えてゆくだけだ。「老い」は、あの世とこの世の「間」にある。「翁」は、その「間」と和解し、消えてゆこうとしている存在です。
「間」の世界からこの世(村)をけがしにくる精霊(悪霊)に対して、「翁」は、すでに「間」の世界に安んじている。だから、そういう「なま」な邪心を持った精霊は、「なま」を拭い去った「翁」には勝てない。
「翁」は、すでに「間」に安んじている「まれびと」であるが、村びとが「なま」であることを祝福してもいる。彼もまた、さんざん「なま」であることの煩悶を繰り返して生きてきた人なのだ。そして、祝福している証しとして、精霊を屈服させてくれる。
村の暮らしにおいて、精霊を屈服させてくれるのは、ほんらい村を訪れる「異人」である旅の宗教者の仕事です。ただ、村びとは、けっして旅する「異人」にはなれない。しかし、いつか「翁」にはなれるかもしれない。そこに、希望がある。
姥捨て山の話があるように、古代・中世の村の暮らしにとって「老人」はただのやっかいものです。そういう状況を生きていたからこそ、「翁」という希望が必要だったのだ。
「翁」は、人間の最終的なかたちとしてイメージされているのであって、「貴人」とか「賓客」とか、そういう安直でもったいぶった概念で分析してすむ存在ではない。