「さようなら」の身体感覚

ただの言葉遊びです。
知識の不足や論理の破綻やくだくだしさは、ご容赦のほどを。
日本語の「さようなら」は、世界でいちばん美しい別れの言葉だと言われたりしています。
いかにも、別れのはかなさやせつなさがよく滲み出ている響きです。つまり日本人は、別れのはかなさやせつなさを受け入れ、別れとはそういうものだと思っていた。別れを肯定していた。そのはかなさやせつなさを、この生の充実であると感じていた。たぶん、縄文時代から。
英語の、「グッド・バイ」と言うときの響きとは、ずいぶんちがう。
西洋人は、別れをもっとネガティブな体験としてとらえている。
「グッド・バイ」の「バイ」と言うときの「バ」という濁音には、何か分断するとか切れたりすることに対する苦渋の響きがあります。その苦々しさの上に「グッド」をかぶせて、苦々しさを打ち消したり和らげたりしようとしている。
中国語だって、「再見(サイチェン)」と言って、別れを否定している。
「別れ=死」を肯定する文化と否定する文化の違いでしょうか。
別れの言葉には、その国の人間の死生観が反映されているのかもしれない。
西洋人や中国人は、別れに対するネガティブな感覚があり、別れが美しいものであればと願っているにすぎない。しかし日本人は、素直にそれを生の充実として受け入れている。
「さようなら」は、そういう言葉なのだ。
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縄文時代、男たちは狩をして山野をさすらいながら、山中に点在する女子供だけの小さな集落をあちこち訪ね歩いて暮らしていた。これが、その後の日本列島で長く習慣化されていった「ツマドイ」婚のもっとも原初的なかたちです。
そのように一夜の契りを交わした男たちも、いったん集落を去ってしまえば、もう二度と戻ってくるかどうかわからない。しかも、縄文人の寿命は30数年しかなかったから、なおさらそれはおぼつかないことだった。男が戻ってきても、女はすでに死んでしまっているかもしれないし、女が待っていても、男はすでにどこかで死んでしまっているかもしれない。そういう関係の社会だった。今日生きていても、明日は死んでいるかもしれない人たちだった。
だったら、なおさら一緒に暮らして四六時中離れるまいとしてもいいはずだが、縄文人は逆に別れることを受け入れ、それがあたりまえの社会をつくっていった。
男も女も、たくさんの別れと出会いを繰り返して生きていた。
彼らは、死ぬことも別れることも、そのまま受け入れていた。
別れを受け入れることは死と和解するためのトレーニングであり、死と和解している者は、別れをすでに受け入れている。別れることが、彼らの社会を活性化させていた。それは、けっして停滞しない社会だった。
「さようなら」という言葉は、そういう伝統から生まれてきたのだし、その言葉の響きは、縄文人がただあっけらかんと別れていたのではないことを物語っている。
そのとき女はきっと泣いただろうし、男も胸をしめつけられるような思いで去っていったにちがいない。それが、彼らの生の充実だった。
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「はか(墓)」というやまとことばは、もともとは面積とか距離を測るときの単位だったのだとか。ひとはか、ふたはか・・・・・・だから「はかる」と言う。
「はかどる」とか「はかがゆく」というのは、順調に「はか」が消えてゆくさまです。日本人は、「仕事が片付く」というように、そのことに成果が蓄積されてゆくというような「足し算」はけっしてしなかった。「引き算」なのだ。言い換えればそれは、「上昇する知性」ではなく、「知性を解体してゆく知性(感受性)」から生まれてきた表現です。つまり、「引き算」とは、「さようなら」という別れが体にしみこんでいる者たちの思考法にほかならない。
「はか」というときの「は」は、「はあー」というため息のように、たよりないニュアンスを持った発声です。
そして「か」という発声はどうかといえば、これは、とてもたしかな響きです。
「かみ(神)」の「か」です。古代人は、自然(世界)を「神」と認識していた。この世界は、自分よりももっと確かな存在である、と認識していた。「か」は、日本人にとってもっともクリアーな響きを持った発声であるらしい。
自分という意味の「あ」とか「わ」ということばは、いかにもたよりなげです。それは、とまどいとともに出てくる声です。西洋人の「アイ」というほどの確信はない。
「かみ」の「み」は、たぶん「身」でしょう。この世でもっとも確かな存在=世界、それが「かみ(神)」である、ということでしょうか。
であれば「はか」とは、たよりない「か」のこと、すなわち不確かな仮の存在=世界、ということになる。
「仕事が片付く」と「不確かな仮の世界が消えて確かな世界があらわれてくる」という認識らしい。
たとえば、田植えをする。それは、たしかな世界をつくり上げることではなく、苗が植えられていない不確かな仮の世界を消去することだ。どっちでも同じだろうと言うわけにはいかない、両者の思考法には、足し算と引き算くらい、世界を構築するのと世界を解体することくらい、生きることと死ぬことくらい決定的な違いがある。
日本人は、「現在」を解体してゆくことがこの生のいとなみであると認識していた。
それに対して西洋人は、この生を「未来」に向かって構築してゆく。
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「さようなら」とは、「さようであるならおいとまします」というかんじなのでしょうか。つまり「さようなら」とは、現在を解体する心の動きや身振りのことです。「グッド・バイ」や「再見」は、未来に対する希望が語られている。そういう違いです。
日本列島の古代人は、死んだらわけのわからない「黄泉(よみ)の国」をさまようだけだ、と思っていた。「よみ」は「やみ」でもある。
古代人にとって人間は、どこまでもあいまいで不確かな存在だった。そういう認識があったから、別れのはかなさやせつなさも受け入れていった。男と女が一緒に暮らしても、それは確かな生でも充実した生でもなかったのだ。彼らに「確かなもの」を得ようとする発想そのものがなかった。確かなものは、人間の外の世界にしかなかった。逆にいえば、この世界に対して、それほどに確かなものとして驚きときめいていた。
古代人のはかなさに対する感受性は、確かのものに対する深い認識の上に成り立っている。
意識は、両義性としてはたらいている。醜いという認識があるから、美しいという感動も起きてくる。何もかも「はかない」という感じ方など成り立つわけがない。
日本人は、何もかもあいまいにしてしまっているのではない。古代人は、世界の確かさに対するこの身のはかなさを嘆きながら生きていた。この身のはかなさを嘆くことが、この生の確かさだった。
「さようなら」は、そういう嘆きと確信から生まれてきた。
確かなものは、すでに存在している。そういう認識が深かったからこそ、古代人は確かなものを構築しようとする衝動を持たなかった。この身がはかないものであればあるほど、世界は確かな存在として認識された。言い換えれば、この身においては、はかなさこそ確かさだった。だから縄文人の男と女は、一緒に暮らさなかったし、共同体(国家)などというものもつくらなかったのだ。べつに、知能が未発達な原始人だったからではない。
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「はかない」とは、「はか」という仮の世界すら持つことができないほどたよりない、という意味でしょうか。
そして古代人にとっては、それこそがこの生の実相だった。
生きてゆくことは、「はかなさ」に浸ることであって、確かなものを得ることではない。
生きてゆくことは、つまるところ「死」のはかなさを受け入れてゆくことだ、それが、古代人の生きる流儀だった。
だから、別れのときに「さようなら」と言った。
この生は、はかないことこそが、たしかなことだった。
はかなさを実感することこそ、この生を実感することだった。
それとも「はかなし」とは、「かなし(哀し)」にため息の「は」をかぶせて、「かなし」を強調する言葉だろうか。
「かなし(哀し)」と「かなふ(叶う)」は、たぶん反対のことばです。前者は、確かなものである「か」を失うこと。後者は、その確かなものを縒り上げること。それでも「かなふ」という言葉には、なにかおぼろな気配がつきまとう。
英語の「ゲット」というような力強さはない。
日本人にとって達成することは、ひとつの「死」であり、それが「かなふ」ということだろうか。
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やまとことばは、はかなく不確かなものを表現するのに「か」という確かさを実感する発声を交える。「か」という確かさの実感が、不確かさの実感でもある。
「かなし」を英語でいえば、「サッド」とか「ピティ」ということになるのでしょうか。前者の濁音は「苦しみ」が、後者の半濁音には「痛み」のニュアンスがある。彼らにとっての「悲しみ」は、否定するべき苦痛でしかない。「サッド」は「マッド」を、「ピティ」は「ペイン」を連想させる。どちらも、この生の異常事態なのだ。
しかし「かなし」にはそうしたネガティブな体感はなく、もっと素直で知的なこの生の実相に対する「認識」の気配を感じさせる。哀しみそれじたいがこの生の充実であるかのような響きがある。つまり、泣き疲れた果てにそうした「苦しみ」や「痛み」が消えてゆく身体感覚の表現であるように思えます。
西洋人は泣き叫ぶのに対して、日本人はさめざめと泣く。この生の異常事態に混乱している態度に対して、この生の充実をかみしめている態度。
日本列島の古代人にとって「泣く」ことは、この生をまるごと抱きすくめる行為だった。「身(み)」は「味(み)」である。味わうとは、感じるということ。古代人にとってこの身体は、「存在」ではなく、世界の確かさを「味わう=感じる」場(空間)に過ぎなかった。この身体は、確かなものでもなんでもなかった。
古代人であれ現代人であれ、意識にとっての身体は、たんなる「輪郭」なのだ。われわれは、骨も内臓も筋肉も皮膚も、異変が発生しないかぎり、それを「存在」として知覚することはできない。
「身体の輪郭」は、意識の「場」であって、「存在」ではない。極端にいえば、われわれは、観念的には意識の場としての「身体の輪郭」を持っているだけで、「身体」などという確かな存在物は持っていない。人と別れてさめざめと泣けば、そういうことがよくわかる。そのとき身体は、空っぽの空間になっている。縄文人は、きっとそういう体験をしていたのであり、そういう伝統から「さようなら」という言葉が生まれてきた。
かつて日本人にとって人と別れることは、たんなるネガティブな体験ではなかった。それは、この生に対するひとつの確信であり充足でもあった。「さようなら」という言葉は、ただ淡くはかなげであるのでなく、言葉としての確かな輪郭を持っている。たぶん世界の人びとは、そこにおどろき「美しさ」を感じている。淡くはかないだけでは、世界の人びとは「美しい」とは言わない。
日本列島の古代人は、「別れ」を味わうことの達人だった。現代の日本人は、さほどでもないが。