アンチ「私家版・ユダヤ文化論」・15

まず、前回書いたことのおさらいをしておきます。
現在、考古学で発見されている世界で最も古い都市は、9000年前の新石器時代のもので、トルコ中部の平原を流れる川の岸辺にあり、そこは、ユダヤ人の祖先が住んでいたメソポタミア平原の北西部とは目と鼻の先でもあった。そこでは、約2,000戸の住居がひとかたまりの集合住宅としてぎっしりと建ち並び、8千人が暮らしていた。
そしてこの都市は、どうやら母系社会だったらしい。西アジアからヨーロッパにかけての原始社会は、まず母系社会として始まっている。母系社会だったということは、ほとんど乱婚状態で父親が誰であるかわからない社会だったということです。
そこでの一軒一軒の家はすべて女と子供だけで構成され、男たちは、屋上が入り口になっている家々を渡り歩いて暮らしていた。
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ここで仮に、この原始的集合住宅都市を、ユダヤ人の祖先の集団だとしてみます。
そこは、メソポタミア西北部のとても肥沃な地域です。つまり、まさしく「エデンの園」だった。
したがって、まわりの雑多な地域から、どんどん人が集まってくる。
では、新しくやってきた人たちは、その集合住宅の外側に新しい家をくっつけてそこの暮らしに参加していったでしょうか。
その集合住宅は、ひとかたまりになっているのだから、とうぜんとても結束力の強い集団です。それが「都市」といえる規模にまで大きくなっていったのは、よその土地からやってきた者たちを積極的に受け入れていったからではなく、自分たちの生活レベルがよくなっていって人口が増え、そこで成人した女の家を外側にどんどんくっつけていったからでしょう。
彼らは、先住民としての誇りと結束力を強く持っている集団だった。したがって、よそからやってきた者たちがその暮らしに参加してゆくのは、けっしてかんたんなことではなかったはずです。
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原始時代の移動する群れの規模は、アフリカのサバンナの民の例でもわかるように、おそらく家族的小集団が限度だった。原始人が大集団を組んで移動してゆくなどということはありえないのです。彼らはあの山の向こうに何があるのかわからない人たちだったのであり、明日の食料の確保も保証されていない旅だった。だいいち、そんな集団行動が取れるなら、ちゃんともとの所に住み着いて、わざわざ旅なんかしない。
彼らは、もとの群れから飛び出した者たちだったのだ。まあ、駆け落ちした若い男と女、というくらいが一般的なかたちだったのでしょう。いずれにせよその旅をする家族的小集団には、男がいた。男がいなければ、食料を確保しながら旅を続けることなんかできない。それに、女は、方向音痴ですからね。もともと旅に出ようとする衝動など持っていない。したがってその移動集団が家族的な単位であったとすれば、まちがいなく男が率いる「完結した家族」だったはずです。しかも、一緒に旅をして、男と女の結束は、一段と深まったにちがいない。
だったら、その集合住宅都市に着いたとき、そこでの「男を共有する女たち」「女を共有する男たち」という暮らしに参加してゆくでしょうか。するはずがない。彼らはきっと、集合住宅都市の周辺に、自分たちの家族的集団や群れをつくっていったことでしょう。
で、そういう集落が集合住宅都市の周辺にいくつもできてくれば、先住民である集合住宅都市の人びとは、根底的にライフスタイルの違うそうした集落民と対立してゆくことになる。もともとひとかたまりになって暮らして結束力が強かった彼らだったが、その結束力はさらに強くなっていった。まわりの集落民のほうが多くなっても、決して同化しようとしなかった。
しかしそんな状況で、自分も周りの集落民の女のようにひとりの男に守られて安全にらくに暮らしてゆきたい、と願う女はとうぜん出てくる。人間はもともと、「異人」に魅力を感じてしまう生き物なのだ。この異なったふたつの共同体間で、若い男女の恋愛はとうぜん生まれてくる。まあ、「禁断の恋」です。禁じられれば禁じられるほど、ふたりの想いは燃え上がる。
しかしそのとき、男(父)のいる家の女を奪ってくるのは、そうかんたんなことではない。それにたいして、男(父)のいない家の女(娘)を奪ってしまうことは、わりとかんたんだ。また、女なら誰にでも手を出す男との恋と、一人の女だけを守って生きてゆこうとする男との恋と、どちらが激しく燃え上がるかといえば、考えるまでもないことででしょう。
であれば、集合住宅都市の女はどんどん減ってゆく。そうして、その集団の中の女たちも、ひとりの男に守られてらくに安全に暮らしたいという意識に変わってゆく。つまり、男女の意識にずれが出てきて、都市の結束力も崩れてくる。
そうやってまわりの集落の人口はますます増えてゆき、集合住宅都市はさらに衰弱してゆく。彼らの共同体の「危機」だった。
このままではだめだ、なんとかしなければけない、と男たちは考えた。なんとしても自分たちの共同体を守りたい。
だったらもう、女たちが望むように、こちらも男(父)と女(母)のいる「完結した家族」をつくってゆくしかない。
そうするよりほかなかった。それが、先住民族の誇りを保って生きてゆく唯一の選択だった。
とはいえ、彼らには、そういう家族をいとなんでゆく伝統も文化もなかった。
そこで、男たちはむやみにあちこちの女に手を出してはいけないということと、女子供は男(父)の言うことを聞かなければならないということを守らせる「掟=法」をつくる必要があった。
そしてそれは、まわりの集落のシステムを模倣することなのだから、ユダヤ教のような「人類の起源は父の支配する社会だった」という発想もとうぜん生まれてくるでしょう。なのにわれわれは「父」を殺して(追放して)しまったために、このような衰退の運命をたどらねばならなくなったのだ、と彼らは考えた。
それが、父不在の文化の中で生きてきた彼らが「父」という存在を肯定してゆくための唯一の思考方法だった。
たぶん、いつの間にか自然に、そういう思考方法になっていったのでしょう。彼らにとって、家族の中に「父」という存在を置くことは、けっしてみずから望んだことではなく、ひとつの「掟」だった。
そう考えて自己否定していかなければ、家族の中に父を存在させることができなかった。
そして、そう考えることによって、自分たちの先住民族としての誇り、すなわち「神に選ばれた民」であるという自覚を取り戻していったし、またそれによって、さらにひとまわり大きな共同体に成長してゆくこともできた。
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共同体が一人一人の個人をまとめてゆくのは限界がある。それぞれの家を完結したかたちにして、個人ではなく、家々をまとめていったほうが効率はいい。それに女は、行動範囲が狭く、子供を産んで育てるから動けないことも多く、意識も内向きだから、共同体の論理にそぐわない面がある。家には行動範囲が広くて意識が外に向いている男がいたほうが、共同体はまとまりやすい。
家族は、女と子供だけのほうが安定するが、共同体が成立するためには、そこに男(父)を挿入しなければならない。
上記の都市はまとめて集合住宅にしてしまうことによって8千人の規模になったが、8千軒の家をまとめれば、3万人以上の共同体をつくることができる。人類は、国家をもつまえにまず、個人ではなく「家族」を統合していった。国家が生まれる前に、そういう原始共同体の段階があった。
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そのときユダヤ人たちの祖先は、共同体の結束(システム)を構築するために、母親と子供だけの家に、男(=父)を送り込んだ。彼らの父親のいる社会の歴史は、ここから始まった。
男(父)は、最初から家族の中にいたのではなく、「遅れてやってきた」存在です。歴史的に見てもそうだが、現代のわれわれだって、少なからずそういう気分はある。家族の中の男は、どこか身の置き所のないような気分を抱えている。だから、その反動としてむやみにいばりたがったりもするし、粗大ゴミ扱いされたりもする。
そのとき原初の人類は、男(父)が家族の中にいるという文化(伝統)を持っていなかったため、母親の庇護のもとにある子供はそうたやすく男(父)になつかなかった。
現代の子供が父親と仲良くできるのは、そういう文化が伝統として出来上がっているからであって、べつに父と子の絆が人間の本性だからではない。
とにかくそういうわけで、父と子が仲良くできる制度が必要だった。
そこでユダヤ人たちは、「おまえたちはかつて父親を追放したのだ」という「父殺し」の教えをつくった。そういう「罪の意識」を植え付けることによって、父が家族の一員であることを認めさせようとした。
共同体のこういうやり方を、「共同幻想論」を書いた吉本隆明氏は、「恐怖の共同性」として説明している。
レヴィナスや内田氏は、こうした「いまだ犯したことのない罪に対する先験的な有責性」の概念を「善性」の希求だというが、歴史的に考えれば、たんなる共同体の「制度性」にすぎないのではないか。
ユダヤ人の原初の共同体においては、そうやって「恐怖の共同性」で脅迫していかないといけないくらい、家族における父の存在感が薄かった。
父のほうも、むかしの習性を引きずってしばらくのあいだはなおもあちこちの女のところに出かけていっていたのかもしれないし、なつかない子供に対して虚勢を張って暴君になってしまったりもしたかもしれない。そんなとき、「父殺し」の教えは、そんなことばかりしていたら子供に殺されるかもしれないぞ、という脅迫の効果になった。
ユダヤ人の祖先集団は、共同体を組織するのに際し「父殺し」の教えをつくらないといけないくらい、母系社会の伝統が深くしみついていた。はじめに「父が支配する社会」があったのではない。「父が支配する社会」をつくるために「父殺し」の教えが必要だったのだ。
そういう教えをつくらないと女子供が父の言うことを聞かなかったし、父のほうも、父であるという自覚をもてなかったからだ。
ユダヤ教キリスト教の「父殺し」の物語は、レヴィナス先生が説明するような、「善性」がどうとかこうとかというような高邁な教えである以前に、まず共同体の「制度性」であったのだ。
というか、「善性」という概念自体がひとつの制度性であって、人間性の問題ではないのだ。