アンチ「私家版・ユダヤ文化論」・14

「私家版・ユダヤ文化論」の著者である内田樹氏は、最後の章で、「ユダヤ人はとくべつな民族で非ユダヤ人とはほとんど逆向きの思考習慣を持っている」と力説し、こう締めくくっています。
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どうしてこのような文明的スケールの断絶が古代の中東で生じたのか、私はその理由を知らないし、想像も及ばない。私たちにわかっているのは、このような不思議な思考習慣を民族的規模で継承してきた社会集団がかつて存在し、いまも存在し、おそらくこれからも存在するだろうということである。
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ここでの「その理由を知らないし、想像も及ばない」という原初の歴史の部分を、われわれはひとまず大まかに想像してみたつもりだが、もう一度もう少し分け入って考えてみることにします。
で、そのためには、「善性」がどうとかこうとかといって盛り上がっている部分を引用しておいたほうがいいようです。
「善性」なんていわれても、われわれのようにひねこびた人間には鬱陶しいだけなのですけどね
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「私」は歴史的にどのような事実があったかどうかにかかわらず有責である。私は隣人を歓待するか追放するかの選択をなす以前の過去においてすでに隣人を追放しているのだが、この追放の事実は、「いまだ到来しておらず、一度として現在になったことのない」出来事なのである。なぜなら、私自身が私自身の善性の最終的な保証人でなければならないからである。神への恐れ、神の下すであろう厳正な裁きの予感が私を善へと導くのではなく、善への志向は私の内部に根拠を有するものでなければならない。私がほんとうに主を追い払い、その罰を主から受けることを恐れているとしたら、その有責感は単なる懲罰への恐怖にすぎない。私は善であるのではなく、単に恐怖しているにすぎない。
(・・・中略・・・)
だから、「神=隣人を追い払う」という起源的事実は、善性を基礎づけるためには、決してあってはならないことであるにもかかわらず、私の善性を基礎づけるために、「かつて私は主を追い払った」という起源的事実にかかわる偽りの記憶を私は進んで引き受けなければならないのである。
(・・・中略・・・)
善が存立するためには、人間は「一度も存在したことがない過去」を自分の現在「より前」に擬制的に措定しなければならない。そのためにこそ、そのつどすでに取り返しがつかないほどに遅れて到来したものとしておのれを位置づけなければならないのである。
(・・・中略・・・)
ユダヤ人はおそらくその民族史のどこかで、この「不条理」を引き受けられるほどの思考の成熟を集団成員へのイニシエーションの条件に課した。
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善とか悪などという「判断基準」は、「共同体」によって与えられる。倫理について考える人間の知性は、最終的には「判断基準」という知性そのものの解体に向かう。善も悪もない、「すべては許されている」という地平こそ、最終的な着地点なのだ。どこまでも「善」の高みに昇ってゆこうなんて、われわれの趣味じゃないし、知性の運動の普遍的なかたちだとも思えない。そこのところでまず、この記述の騒がしさには辟易してしまうところがある。
そして、「遅れてこの世界に到来した」という自覚は、べつにユダヤ人だけではなく、人間の意識の普遍的なはたらきなのだ。反ユダヤ主義だって、そういうレベルで無限に上昇しようとするユダヤ的知性にいらだち恐れているのです。たんなる「ねたみ」や「やっかみ」じゃない。
そして、ここで言う「神=隣人」とは、「父」のことでもあります。つまり、われわれはすでに「父殺し」に対して「有責」である、というわけです。内田氏やレヴィナスは、原初の社会は父が支配する社会だった、という認識を前提としてそう言っている。しかし、原初の社会は、母系社会だったのです。乱婚社会で「父」などという存在はなかったのです。したがって、先験的な「父殺し」に対する「有責性」という論理も成り立たない。
「善性」を希求するからえらいというものでもない。これは、知性がどうのという前に、共同性=制度性の問題なのです。良くも悪くも、ユダヤ人はそういう制度性を持っている。
「善」を希求することじたいが、人間の本性から逸脱した「制度性」なのだ。
ひとまず、そういう事柄を確認した上で、原始社会における「父」という概念の発生について考えてみようと思います。
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ユダヤ教は、原始的な宗教です。ユダヤ人の祖先は、原始的な共同体の段階で、すでに国家のレベルの規模に拡大してゆくことを拒むほどの完成された「共同性(制度性)」をつくり上げていた。そういう状況から生まれてきたのが、ユダヤ教です。
そしてそのために彼らは、自分たちが属する国家から追われ、やがては世界中に離散してゆくことになった。
おそらく彼らは、古代メソポタミアの国家の中で自分たちだけの共同体(都市)をつくり、独自の宗教を信仰しながら孤立してしまっていた。
現在、考古学で発見されている世界で最も古い都市は、トルコ中部の平原を流れる川の岸辺(ユダヤ人の祖先が住んでいたメソポタミア平原の北西部とは目と鼻の先です)にあり、9000年前の新石器時代のものであるのだとか。そこでは、約2,000戸の住居がぎっしりと建ち並び、8千人が暮らしていたという。
そしてこの都市は、どうやら母系社会だったらしい。西アジアからヨーロッパにかけての原始社会は、まず母系社会として始まっている。母系社会だったということは、ほとんど乱婚状態で父親が誰であるかわからない社会だったということです。
ここでの「2千戸・8千人」という算出は、固定した父と母のいる家族形態を前提にしているのだろうが、そうではないでしょう。おそらく男たちはそれらの家の一員としてではなく、どの家にも出入りして不特定多数の女を相手にして暮らしていたのだろうと思います。母系社会だった、ということは、そういうことです。家の主人は女であり、財産は女から女へと受け継がれていった。
べつに女のほうがえらかったとか、そういう問題ではない。その家にも社会にも、父などという存在はいなかった、というだけのことです。したがってユダヤ人の出自の物語である旧約聖書で語られているような「父殺し」という観念もなかった。
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この都市が母系社会だったということは、この集落ひとつだけの社会だったのだろうということを想像させます。まわりには敵の集落も仲間の集落もなく、この都市だけでかたまっていた。それは、散らばっていた家々が、一ヶ所に集まっていってできた都市だった。
そうして最終的には、すべての家がくっついてひとつの塊(集合住宅)になり、人々は平たくなっている屋上伝いに行き来する構造になっていったのだとか。つまりそれは、ひとつの巨大なマンションだった。
彼らは、なぜかたまっていったのか。人びとが行き来しやすいように、でしょう。そうやって男たちが女を共有していたのか、女たちが男を共有していたのか、そこのところはよくわからないが。
その都市は、大きくなるにつれて一軒一軒の家の独立性が希薄になっていったのです。そして独立性が希薄だったから、協力し合わねばならないことも多く、そのためにもくっつき合っていたほうが便利だった。たとえば女は、妊娠出産の期間は、何かと人の助けが必要です。その集合住宅型都市は、それぞれの家族が独立してゆくためではなく、協力し合って暮らしてゆくための構造になっていた。
一軒一軒の独立性があれば、もっと散らばって住むでしょう。
独立性が希薄だったということは、父と母がそろっている完結した家族ではなかった、ということです。
であれば、この都市に「父」という概念が存在していたことはもう、どうあっても考えられない。彼らは、家族も、おそらく個人も、それぞれ「不完全」だったからこそ、大きな集団になれたのです。
人間は、家族も個人も、レヴィナスのいうような「人間の全き成熟」などというものをもってしまったら、大きな集団になれないし、他者との出会いに驚きときめくという人間としてもっともプリミティブな体験すらできなくなってしまうのです。
人類は、「完全」になってゆくことによってではなく、「不完全」になってゆくことによって進化してきたのです。進化するとは、不完全になってゆく、ということです。
では、いつごろから「父」という概念が生まれてきたか。つまりヨーロッパから西アジアにかけての人類は、固定した父と母のいる「家族」という形態をいつごろから持つようになったか。
それを、明日考えてみます。