アンチ「私家版・ユダヤ文化論」・16

さらに引き続いてユダヤ人のメソポタミア時代のことを考えます。
「私家版・ユダヤ文化論」の著者である内田樹氏は「そういうことは想像もおよばない」といってすませているが、われわれは頑張ってこだわってみたい。
現在、考古学で発見されている世界で最も古い都市は、9000年前の新石器時代のもので、トルコ中部の平原を流れる川の岸辺にあり、そこは、ユダヤ人の祖先が住んでいたメソポタミア平原の北西部とは目と鼻の先でもあった。そこでは、約2,000戸の住居がひとかたまりの集合住宅としてぎっしりと建ち並び、8千人が暮らしていた。
そしてこの都市は、母系社会だった。西アジアからヨーロッパにかけての原始社会は、まず母系社会として始まっている。母系社会だったということは、女が強かったというより、ほとんど乱婚状態で父親が誰であるかわからない社会だったということです。
そこでの一軒一軒の家はすべて女と子供だけで構成され、男たちは、屋上が入り口になっている家々を渡り歩いて暮らしていた。男がそんな気ままな暮らしができる社会なんて、男が強かったからだともいえるし、現在のような父権社会は、女によって男が家につなぎとめられこき使われているだけかもしれない。
余談ですが、その集合住宅都市の壁画の動物にペニスが描かれてあり、それは父権社会だったことの証拠だといっている研究者がいるのですが、それは違います。ペニスにこだわって描きたがるのは女であって、男はそんなことには照れてしまうだけです。画学生のヌードデッサンをしている教室をのぞいてみればいい。若い娘が、いかに熱心にリアルにそれを描いているか、きっと驚くにちがいない。もしもその壁画を描いたのが男だったとしても、それは女たちへのサービスだったのでしょう。いや、たぶん、絵を描くのは女の仕事だった。そういうタッチのものがほとんどです。この都市の壁画は、2万年前のクロマニヨンのものよりむしろ稚拙です。しかし、ずっと力強く情念的である。それは、女のタッチの特徴です。
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この人類最古の集合住宅型都市は、おそらく計画的につくられたものではない。あとからあとから家屋をどんどんくっつけていったのでしょう。その地域は、近くに小麦の群生地帯があり、狩の獲物である野生の草食動物もたくさんいたから、人がつぎつぎに集まってきた。
それまでの人類の歴史は、大きな群れをつくる能力がなかったから、群れの外に新しい群れをつくるというかたちで地球上に広く拡散していった時代だった。それが1万3千年前までの氷河期の時代で、拡散してしまったら、もう群れの外に新しいスペースがない。しかし氷河期が明けて地球環境がよくなって狩猟だけでなく食物になる植物も採集できるようになり、また家畜を飼育することもおぼえたりして、より多くの人間が一ヶ所で暮らせるようになった。つまり、拡散してゆくことができなくなったこともあって、今度は人が一ヶ所に集まってくる時代になった。
そうやって人びとは、多くの人間が集まって暮らせる「共同性」を身につけてゆき、ついには農耕栽培を基礎とした「国家」を形成するようになっていった。
メソポタミアの平原は、人類最初の文字を持った国家が生まれた地域です。どちらかというと荒涼とした環境の中東地方で、メソポタミアの平原は例外的にきわだって肥沃だった。そのために、際限なく人が集まってきた。しまいには、先住民よりもよそからやってきた者のほうが多いくらいになっていった。そうなったらもう、統一的な規範を文字として固定しておかないと収拾がつかない。文字があったほうがまとまりやすい。よそ者どうしだから、文字がないとうまくやっていけなかった。おそらく、文字が生まれてくるくらい、雑多な人の集まりになっていたのだ。
逆に日本列島において、文字が生まれることなく、中国から何千年も遅れてやっとその文字を輸入したのは、海に囲まれた島国であったために異民族がやってくるという状況がなかったからでしょう。
そして、文字を輸入したときの日本列島においては異民族はほんの少しだったが、そのとき先住民族であるユダヤ人の祖先たちの置かれた状況は、異民族のほうが圧倒的に多くなってしまっていた。で、彼らは、そのような文字による国家支配を拒否した。彼らがその後「ヘブライ文字」をつくったということは、そのときメソポタミア楔形文字を拒否していたことを意味する。
彼らは、さまざまな民族が集まった国家の文字による合意をよそに、すでにユダヤ教の神に対する「純血の合意」で結束してしまっていた。
もともとそのような集合住宅型結束は歴史とともに緩やかに解消されて国家へと発展してきたのだろうが、ユダヤ人の祖先集団だけは、まわりの圧力が強かったために、例外的に孤立したかたちのままの歴史を歩んでしまったのかもしれない。
メソポタミアの法典が「目には目を」と記すとき、ユダヤ人の神は、「汝らは先験的に有責性を追っているのだから、受難は甘んじて受けよ」と教えた。キリストだって「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」といったじゃないですか。それが、少数の先住民だけで結束してゆくための共同性であった。しかし雑多な民族が寄り集まっているところでは、「目には目を」というかたちで解決するしかなかった。そういう意味で両者はまったく異質な共同体だったのであり、やがてユダヤ人の祖先集団が追い出されるのも、歴史の必然的な帰結だったのかもしれない。
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家族であれ学校であれ会社であれスポーツのチームであれ、「ちいさな社会」では、理不尽さを受け入れることが集団のイニシエーションになり、それがより強い結束を生むことにもなる。ユダヤ人は、理不尽さを受け入れるマゾヒズムが強く、どうやらそれが彼らの知性を育てているらしい。彼らにとって家族に「父」が存在することはひとつの「理不尽さ」であり、それを受け入れてゆくことによってさらに強い結束と高い知性を獲得していった。
そのとき「父」は、理不尽な「神」になった。
「私家版・ユダヤ文化論」は、反ユダヤ主義者とユダヤ人との違いを、次のような結論で締めくくっています。
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この隔絶は・・・・・・「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」と考える人間と、「私は遅れてここにやってきたので、<この場所に受け入れられるもの>であることをその行動を通じて証明してみせなければならない」と考える人間の、アイデンティティの成り立たせ方の違いのうちに存している。
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しかし問題は、それほど単純ではない。
古代のメソポタミアにおいて、ユダヤ人は、「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」と考えて「原始共同体」に固執し、それにたいしてまわりから集まってきたユダヤ人以外の人々は、「私は遅れてやってきたので、この場所に受け入れられるものであることをその行動を通じて証明しなければならない」と考えて「国家」をつくっていったのだ。
どちらがいいとか悪いとか本性的であるかとか、そういう問題ではない。どちらも人間の共同性(制度性)のかたちにすぎない。
あえて言うなら、立場=状況の問題です。だから、そのような歴史を持っているユダヤ人だって、ヨーロッパにやって来て後者の「立場」に置かれれば、そういう自覚の上で頑張っていった。しかしユダヤ人は、歴史的には前者の立場に立とうとする衝動を濃密に持っているから、放っておけばどんどん特権階級にのぼりつめてゆく。特権階級とは、「これまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」ものたちのことです。一部のユダヤ人は、そういう立場に対する欲望がものすごく強い。
「すでに存在している」というメンタリティを誰よりも強く持っている者が「遅れてやってきた」者の立場に立つこと、それがユダヤ人の「ディアスポラ(離散)」であり、そこがユダヤ人問題の厄介なところです。ユダヤ人は、良くも悪くも、誰よりも強く制度的非人間的な一面を持っている。われわれは、レヴィナスや内田氏のように、「ユダヤ人は誰よりも深く人間性を体現している民族である」という認識は、とてもじゃないがもてない。
またこの時間意識の違いは、家族における「母・子」と「父」の、「立場」の違いでもあります。父は、共同体から使わされた(遅れてやってきた)ものとして、子供を、母に抱かれたまどろみ(「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」という自覚)から共同体の空間に引きずり出してしまう存在です。そこで、子供の中に「父殺し」の衝動が芽生える。「汝らは先験的に父殺しに対して有責である」という教えは、父殺しが起きないようにするための共同体の「制度」にほかならない。
問題は、ややこしいのです。内田氏の言うような単純な図式でユダヤ人と非ユダヤ人を区別してもらっては困ります。それは、「立場」の問題であり、また誰の中にも両方の自覚が存在している。
「遅れてこの世界に到来した」という自覚は、誰の中にもある実存意識です。そしてわれわれが死を怖がるのは、「私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」という考えが胸の底で疼いていることからどうしても逃れられないからでしょう。われわれが「人間」として共同体の中で暮らしているかぎり、ユダヤ人であろうとあるまいと、この「引き裂かれた自覚」を携えて生きてゆくしかないのです。
人間は、受難からのがれようとする存在であると同時に、受難を引き受けてしまう存在でもあるのです。そしてそれは、「善性」の問題などではない。それは、すでに直立二足歩行の仕組みの問題として存在している。生き物としての生存の仕方の問題なのだ。まあこのことをつついてゆくとますます話が長くなってしまうから、今はやめておきます。
とりあえず、何を短絡的なことを言ってやがる、と言わせて下さい。
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おそらく、母系社会の伝統を残したユダヤ人の共同体が内向きに閉じてゆこうとする傾向があるのに対して、まわりからどんどん人が入ってくるメソポタミアの国家は、外向きに開かれていた。彼らは、よそ者を受け入れもするし、他の地域を侵略することにも積極的だった。それは、父権社会の論理です。
しかしユダヤ人の共同体は、ひたすら結束し、内向きに孤立していった。内向きに孤立したがるのは、女の本性的な傾向であり、そういう母系家族にあとから男(父)を挿入していったのが、彼らの共同体のかたちだった。
ユダヤ人の社会には、生まれてすぐに男の子のペニスの表皮を切り取るとい「割礼」の儀式がある。それはおそらく、女がそういうかたちのペニスを好むからであり、その儀式もまた、母系家族に男(父)を挿入してゆくための手続きとして始まったのかもしれない。一晩だけならともかく、常時使いつづけるペニスはそういうかたちであらねばならない、と女が要求したのでしょう。
少数の先住民だけの結束、これは、ヨーロッパの都市国家の伝統でもあります。だから、ユダヤ人や、ユダヤ教から派生したキリスト教がヨーロッパに受け入れられた。つまりユダヤ人は、中東のメソポタミアにいるときから、すでにヨーロッパ的な民族だったのです。
彼らは、雑多な民族が寄り集まって暮らしてゆくことに耐えられなかったし、メソポタミアは、どこよりもダイナミックに雑多な民族が集まってくるところだった。彼らがそこで孤立し、やがて追われてゆくことになるのはもう、歴史の必然だったのかもしれない。
内田氏が「どうしてこのような文明的スケールの断絶が古代の中東で生じたのか、私はその理由を知らないし、想像も及ばない」といったのは、おそらくこういうことではないかと思えます。たんなる「想像」ですけどね。
いずれにせよユダヤ人は、内田氏のいうように、ヨーロッパ人の思考原理と逆立するようなそれを持っているのではない。両者はともに雑多な民族が寄り集まって暮らしてゆくようなことには耐えられないのであり、そこにおいて手を携え、そこにおいて対立するほかなかったのでしょう。そして彼らの神は、耐えられないこと(理不尽さ)に耐えよ、と教える。だから彼らは移民を受け入れるのであり、そうやってアメリカ合衆国もあるのだが、もともと雑多な民族が寄り集まって暮らしてゆくことに耐えられない彼らほど差別意識の強い民族もまたない。そこは、なかなかややこしいところです。