アンチ「私家版・ユダヤ文化論」・8

現代のイスラエルの「キブツ(共同農場)」では、子供を、それそれの家ではなく集団でまとめて育てているところもあるのだとか。これは、ネアンデルタールの伝統です。家族意識が希薄で、その代わりに集団の結束力が強いから、こういう習俗が生まれてくる。現代のエスキモーの一部の部族にも、このような習俗が残っています。南の地方では、けっして生まれてこない。寒いところで寄り集まって暮らそうとするから、こんな習俗が生まれてくる。
つまり彼らは、「家風=親の趣味・思想」で子供を育てるということをしない。集団の合意から生まれてきた知恵(思想)で育てる。ユダヤ人が共通の思考傾向を持っているのは、このためであろうと思えます。そしてこれがネアンデルタールの伝統であるということは、彼らにはヨーロッパ人よりももっとヨーロッパ的なところがあるということです。もっとヨーロッパ的に集団の結束力が強く、しかもヨーロッパからもっとも遠いかたちで共同体(国家)にたいする帰属意識が薄い。彼らは、ヨーロッパ人であると同時に、ヨーロッパ人ではない。
とにかく彼らがメソポタミアで異分子になってしまったのは、まわりのどの民族よりもヨーロッパ的な傾向を持っていたからだろうと思えます。彼らはたぶん、中東人よりも、ヨーロッパ人の気持のほうがよくわかったのだろうと思います。だから、古代の中東でいちはやくローマに接近していった。
彼らは、紀元前2千年ころにメソポタミアを追われ、西のシリアをさまよったのち、南下してイスラエルの地にたどり着いた。そうして国をつくり、エルサレムユダヤ教の神殿を建てた。
彼らが、現在にいたるユダヤ的ネットワークの習俗をつくってゆくのは、おそらくこのときからだろうと思います。
地中海に面したイスラエルは、ナイル河畔のエジプトのすぐ隣です。
エジプト・バビロニア・ペルシア帝国・ギリシア・ローマと、いやもういつの時代もまわりの強大な国から圧迫され、小さくまとまってゆく能力しかないイスラエルユダヤ人は、自分たちの国と信仰を守ってゆくのが大変だったらしい。
彼らは、まわりの国に人質として自国の民を移住させる。あるいは、奴隷として連れて行かれる。そんなことを繰り返しているうちに、国で暮らしている者よりディアスポラ(離散者)のほうが多いくらいになってゆき、しかしそれが自国の安全保障や交易に欠かせない機能を果たしていった。
メソポタミアにいるころは、メソポタミアとの一対一の関係だった。しかしイスラエルにおいては、まわりのどの国と仲良くするわけにも敵対するわけにもいかない状況に、つねに置かれていた。たとえば、南と仲良くすれば、北からに攻められる。北と仲良くすれば、南から攻められる。だから、両方に人質を差し出して、どちらの属国にもならないし敵対もしないという関係をつくっていった。
しかもエジプトに近いその地域では、ヨーロッパ的なユダヤ人は、まわりのどの民族とも気質が違っており、ますます孤立主義の傾向が深くなっていった。彼らは、メソポタミアから逃れてきたとき、南下して来るのではなく、たぶん北に行くべきだったのだ。彼らには、話の合う隣人がいなかった。おそらくこのこともまた彼らの選民意識に拍車をかけただろうし、選民意識があったから、そう苦にもならなかったかもしれない。彼らは、むやみに異民族の隣人に興味を示さない。
つまり、もともと一ヶ所に集まって結束してゆくヨーロッパ的民族であったのが、南のイスラエルにきて、南方的なネットワークも身につけていった。そして結束力が強い民族だからこそ、より高度なネットワークを構築してゆくことができた。
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人類の歴史で、最初にネットワークのシステムを実験していったのは、アフリカのサバンナの民だった。彼らは、家族的小集団で移動生活をしながら、移動エリア内における小集団どうしのネットワークで女や情報を交換し合っていた。
北のヨーロッパにおける都市国家型の閉鎖的な結束に対する、南のアフリカにおける広い地域での開放的なネットワーク。この対照的な暮らしのシステムが、両者の中間の地域である中東で混じり合うことによって、広い地域のたくさんの人間がひとつの集団としてまとまってゆけるようになり、エジプト・メソポタミアに人類最初の国家が生まれた。
そしてこのかたちが、国家という枠を越えて実験されていったのが、ユダヤ人の離散型ネットワークであり結束だった。彼らは、国家として結束するのではなく、ネットワークで結束していった。彼らにおいては、国家という枠にたよらなくても、神に選ばれた民として、はじめから結束が約束されていた。だから、無限にネットワークを広げてゆくことができた。
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ユダヤ人は、国を失ったから世界に散っていったのではない。自前の国を持っているときから、すでに国家の枠を越えたネットワークとしての「ディアスポラ(離散者)」を多く生み出していたのです。離散していったから選民意識が強くなったのではなく、選民意識が強くて強大な国にも属国にもなることができなかったから、離散者を生み出しながら生き延びていったのです。彼らは、はじめから結束が約束された民なのだ。
彼らは、ローマ帝国によってイスラエルを追われる前から、すでに国民の7、8割が積極的に離散していた。
彼らは、離散してゆくことの醍醐味を知っている民族なのだ。
彼らは、既成の共同体(国家)に所属することの拒否反応を持っている。しかしそれは、共同性を持たないからではない。エホバの神への忠誠と選民意識というかたちのもっと原始的な共同性と、広汎で強力なネットワークをつくることができるもっと高度でしたたかな共同性をすでに身につけているからだ。
彼らは、ジプシーのようなさすらい人とは違う。共同体の内部に入り込んで特権的な地位を獲得してゆく達人たちである。もともと共同性が強く、しかも数千年におよぶさまざまな受難に鍛えられた、筋金入りの共同体人なのだ。
彼らほど共同性としての「法」に縛られ、またにそれ従順であることのできる民族もいない。すなわちユダヤ教の律法を守るためなら、命も財産もすべて捨てることができる民族なのだ。それを守るために離散し、他の共同体とのさまざまな軋轢を起こし、最終的にはイスラエルを追われることになったのだ。
たとえば、ユダヤ教の割礼や安息日の戒律にどれほどの普遍性があるかといえば、おそらく外部の者にとってはどうでもいいことでしょう。その戒律は、みんなして戒律を守るという共同性の上に成り立っている。そして彼らは、そういう共同性に対する執着が異常に強かった。よそ者としてやってきた彼らは、その共同体への帰属意識は薄かったが、共同的(制度的)なメンタリティは、地元民以上に強かった。だから、のし上がってゆくことができた。
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おそらくユダヤ人の祖先は、メソポタミアの先住民だった。彼らは、数千年前のメソポタミアで国家の共同性が生まれてくる以前に、すでに自分たちの完成された原始的宗教的な共同性をつくり上げていた。それが、シャニダールのネアンデルタールが花を供えて埋葬していたことと関係があるのかどうかは知らないけれど、共同体の論理とは矛盾するその先行的原始的な宗教性ゆえにメソポタミアを追われたのではないか。
ユダヤ的な知性とは、宗教性でもあるのだろうと思えます。おそらくそこに、彼らの凄味と反ユダヤ主義者に迫害されつづけてきた由縁がある。その宗教性は、国家を信仰する者にも、別の宗教を信仰する者にも、そして国家や宗教をしかたなく受け入れたり呪ったりしている者にも、けっして小さくはないいらだちと怖れを与える。
人間にとって国家という共同性は、「しかたなく受け入れてゆく」ものです。しかしユダヤ人は、そういうしがらみから逃れて、みずからの宗教だけを共同性のすべてとして「すでに受け入れている」。誰だって国家の共同性は鬱陶しくできれば受け入れたくない。受け入れないで、家族や恋人や友達との関係だけで生きてゆきたい。だから、受け入れないものに対しては、みじめでかわいそうな存在でないかぎり、嫉妬と苛立ちをおぼえる。共同体の外部の異人は、異人であることの孤独や生きにくさをしかたなく受け入れている。
しかしユダヤ人は、その宗教性によって、「しかたなく受け入れる」ということをけっしてしない。能動的に受け入れることができるものだけを受け入れて生きている。
で、地元民は、そんなの勝手だ、と思う。彼らにも「しかたなく受け入れる」ということを味わわせたい。しかし相手は、生半可なことでは、そんな心境にはならない。狭苦しい「ゲットー」に詰め込まれることくらい、その原始的宗教的な共同性によって、かんたんに馴染んでしまい、そこそこの暮らしを手に入れてゆく。もう襲撃して殺してしまうしかない。それくらいのことをしなければ、やつらは「しかたなく受け入れる」ということをしない。どれくらいの負荷を与えればその木が折れてしまうかと実験しているようなものです。そういうことの繰り返しの果てに、ナチスの大量虐殺が生まれてきた。
ユダヤ人は、おそらくその起源において「遅れてやってきた者たち」ではなく、「先住民族」だったのだ。そして彼らは、その先住民族として築き上げた原始的共同性の完成度の高さゆえに、国家という共同体を体験しなかった。彼らは。原始的共同性から、近代的な非国家的なネットワークへと「命がけのジャンプ」を果たした。彼らは、国家を逸脱した共同性(制度性)を持っている。だから、国家の未来を実現する者として権力者に頼られもするし、現在の国家の共同性を否定する者として激しく憎まれもする。