人間性の歴史・1

数百万年前の直立二足歩行の開始から、現代まで・・・・・・人類の歴史をトータルに考えてみたい、とこのごろ思っています。
いまどきの古人類学や考古学の研究者たちは、そういう視点に立った人間観というか哲学が貧困なまま、「歴史おたく」よろしく、ちまちまと局部をいじくりまわしてばかりいる。だから、われわれからすれば、あほじゃないかしか思えないような倒錯的な仮説ばかり提出してくる。
たとえば、アフリカのホモ・サピエンスが氷河期のヨーロッパに乗り込んでネアンデルタールを滅亡に追い込んだという「置換説」なんかその典型だし、言葉の起源は「知能の発達」とか「象徴化の思考」の芽生えにある、などという幼稚で愚劣な分析ばかりしているのも、けっきょくそういう人間観や哲学の貧困からきている。
もっとも彼らにすれば、「置換説なんかくだらない」というわれわれの主張こそ、古くさく幼稚で倒錯的な思考にすぎない、といいたいのだろうが、まあいい、彼らが、10年先20年先もそのままの仮説でふんぞり返っていられるかどうか。
「置換説」なんか、少しずつ少しずつあやしくなってきているのだ。
人類の歴史を動かしてきた根源的な人間性とは何か・・・・・・それは、「知能」でも「象徴化の思考」でもないわけで、われわれは、そこのところを問いたいのです。
小林秀雄は、こう言っています。
・・・・・・
アニミズムという古い自然観の代わりに、私たちはどんな新しい自然観でも持つ事が出来るが、自然のどんな解釈も、けっして遺伝はしないし、私たちが原始人として生まれてくる事をさまたげる力はない。アニミストは、私たちの中で、いつも顔を出そうと構えている。
・・・・・・
そうなのです。誰の中にだって、原始人的な心性はあるじゃないですか。僕がネアンデルタールを賛美するからといって、「ネアンデルタールの時代に帰ろう」と言っているわけではない。ネアンデルタールのような「他者を祝福する心性」は、いつの時代の誰の中にもある。そしてそういう心性が「いつも顔を出そうと構えている」から、こんなにも文明が発達した世の中になっても、よくもわるくもナイーブな「エコロジスト」が「アニミスト」として登場してくるのだ。
世界をつくり変えようとする「文明」は、原始時代以来の、世界をそのまま祝福してしまう心性が発展し変形してきた「結果」なのだ。われわれは、意識の根源において、世界を祝福している。先祖がえりと揶揄される現代のナイーブな「エコロジスト」の存在は、そういうことをわれわれに教えてくれる。そしてたぶん歴史は、そういう心性とともに動いてきたのであり、おそらく戦争をすることだって「他者を祝福する」行為のバリエーションだからこそ、それを賛美しようとする意見があとを絶たないのだ。
人類の歴史を「知能」だの「象徴化の思考」だのという物差しではかれば、原始人はただの発展途上の存在かもしれないが・・・・・・というか、研究者たちは、そういう物差しではかって見下しているくせに、現代人も原始人も同じだというような欺瞞に満ちた言い方をする。しかし、「心のはたらき」が歴史を動かしてきたのだという視点に立てば、対等どころか、むしろわれわれのほうが学ぶべき立場にあるともいえる。
歩き始めようとする赤ん坊は、歩く能力を持っているのではない。まず「状況」によって歩かされるのであり、歩くことによって歩く能力を獲得してゆくのだ。「知能」の問題も、それと同じようなことです。たんなる「結果」にすぎない。
幼児は、言葉をしゃべるようになった「結果」として、やがてその言葉の意味を理解してゆく。彼に、最初に言葉をしゃべらせたのは「状況」である。「知能の発達」とか「象徴化の思考」から言葉が生まれるのなら、人がしゃべり始めるのは、もっと成長してからのことになるにちがいない。そんな「知能」なんかとは関係なく、ある意味で過剰に世界や他者をを祝福しようとする人間ならではの心性によって、幼児はしゃべったり歩き始めたりするのであり、同じように、そうした心性によって歴史が動いてきたのだ。
・・・・・・・・・・・・・
人類拡散のスタートは、およそ250万年前にアフリカのジャングルに生息していた原初の人類がサバンナに出てきたことにある。このことについては、おそらく誰にも異論はないのだろうと思えます。
では、どのようにしてサバンナに出てきたのか・・・・・・それを、もう一度考えてみます。
まず、彼らは、群れごとサバンナに出てきたのかといえば、そうではないにちがいない。もともと群れは、ジャングルの暮らしを守るための機能であるのだから、まったくジャングルがなくなってしまわない限り、群れごとサバンナに出てゆくことはありえない。
そのとき群れを飛び出した人類は、「群れ」の暮らしを失ったのです。そして、家族的小集団で暮らし始めた。大型肉食獣があちこちに生息しているサバンナにおいて、人間のような弱い生き物が群れをつくって暮らすなどということは、現代に至っても実現されていないことです。そんな考古学的証拠など、なにもないのだ。現代人でもできないことを、石器もおそらく火を使うことも知らなかったであろう250万年の人類にどうしてできよう。
群れが移動してきたのではなく、群れからとび出して来た者たちがあったのだ。そして、群れからとび出したらジャングルに出ていたということは、地球気候の乾燥寒冷化によってそれだけジャングルが狭くなってしまったからか。常識的に考えれば、そういうことになる。しかし、サバンナの暮らしをしたことのない者が、サバンナに出たいと思うはずがない。チンパンジーは、たとえ森が狭くなっても、森から出てゆこうとはしない。したがって、たとえそのとき森が狭くなったとしても、それだけのせいではない。何よりもまず、群れの暮らしとか森の中の暮らしとかがいやになった、という契機があるはずです。それがなければ、たとえ森が狭くなっても、出て行きはしない。
群れがサバンナに出てきたのではなく、群れの暮らしがいやになった少数の者が出てきたのだ。250万年前の気候に対する研究者の推論を総合すれば、そのころは、まだ森が減少し始めたころであって、サバンナが大きく広がってしまったのは、それから数十万年後のことです。
つまり、サバンナが広がって草食獣が増え、そうした獣たちの屍肉が簡単に手に入るようになったのはずっとあとのことだった、というわけです。したがって、群れが食生活を変えようとしてサバンナに出て行った、ということなどありえないのです。
・・・・・・・・・・・・
ではなぜ、森の中で群れをつくって暮らすことがいやになったのか。
食い物のことではない。そういう暮らしをしていれば、チンパンジーの群れを見てもわかるように、食い物にありつくのも餓えるのもみんな一緒です。とくに原始的な人間の群れにおいては、少ない食料をボスが独占するということはしなかったし、できなかったはずです。誰もがいっせいに、食い物にとびついていった。
原始的な人間の群れは、チンパンジーの群れのようにボスの支配によって維持されていたのではなく、個体間の、過剰な他者を祝福しようとする心性によって寄り集まっていただけだ。サルの群れは、知能が高い種になればなるほど、ボスの権限が弱くなってゆく。
現代の、アマゾン奥地で原始人のような暮らしをしている群れのリーダーは、みんなにサービスするのがおもな仕事で、ほとんど権限というものを持っていない。
人間は、サルに比べたら、過剰に他者と祝福し合う。だから、あるていどのレベルまではリーダーがいなくても群れを維持できる。しかし祝福し合って寄り集まろうとするからこそ、そこからはじき出される者も出てくるのだし、絶対的な権力者がいないから誰も止めることができない。また、飛び出した者は他者を祝福してしまう心性を持っているから、チンパンジーのように、力を蓄えて群れに戻り誰かを蹴落とそうとすることもしない。あくまで群れの外で新しい暮らしを始めようとする。
そのとき群れを飛び出したのがようやく成人した若者であったとしたら、彼が飛び出した原因は、食い物ではなく、女がまわってこなかったことにあり、同じように大人からまだ相手にしてもらえないで飛び出した若い娘と出会えば、とうぜんのように結ばれるでしょう。そうして、ふたりしてサバンナに出てゆく。出てしまえば、誰に邪魔される心配もなく、安心してカップルになれる。もともと二人とも、大人たちに邪魔されてカップルになる相手を見つけられなかったのだから、邪魔されないところに出たいという願いは切実だった。
食い物のためなら、サバンナに出てゆくことは出来ない。彼らはまだ、草食動物の屍肉漁りをしたことがないのであれば、それが手に入ることなど知らないわけで、そんなことをして生きていこうとするイメージは浮かびようもない。人類がサバンナで屍肉漁りをしたことは、あくまでサバンナに出てきたことの「結果」であって、そのために出てきたわけではない。もし「原因」があるとすれば、若い男女のカップルになろうとする衝動だろう。とりあえず僕は、それ以外のことは思い浮かばない。
つまり、そのとき人類の歴史を変えたのは、「知能の発達」ではなく、そのような「心のはたらき」なのだ、ということです。じっさい、考古学的証拠においても、人類の脳容量が増えて知能が発達したからサバンナに出てきた、といえるものなどなど何もないのです。サバンナに出てきたときの脳容量は、その100万年前と同じだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
赤道直下といっても、日陰でじめじめしたジャングルと、乾燥して直射日光に当たるサバンナとでは、体感する暑さはまったく違うだろうと思えます。つまり、ジャングルで育つ心性とサバンナでのそれとのあいだには、対照的な側面があるかもしれない。サバンナの暮らしによって変わったことは、ただ知能が発達したとか、そういうことではないはずです。なぜなら、サバンナに出てきた人類は、その日からサバンナで生きていかなければならないのです。何世代もかけての「知能の発達」など、関係ないのだ。
サバンナに出て来て変わったいちばんのことは、群れではなく、家族的小集団で暮らすようになった、ということだろうと思えます。
日陰のジャングルでは、そう暑くもないし、身を潜めることのできる茂みも逃げる樹の上もあるから、いくらでも動き回ることができる。それに対して、もっと動き回りやすい場所であるはずのサバンナは、直射日光に照らされてくそ暑いし、外敵から隠れる場所もないから、かえって行動範囲は狭められる。
サバンナに出て来て人類は、むしろ非活動的になったにちがいない。活動するよりも、頭を使って生きてゆかなければならなくなった。だから、飛躍的に知能が発達したのだが、同時に、動き回ったり群れをつくったりして生きてゆく能力=生態も喪失した。そしてそれを喪失し、暑さに順応した体になってしまえばもう、アフリカの外の寒い土地では生きてゆけない。
暑苦しければ、寄り集まって群れることも、むやみに抱き合うことも、おっくうになる。だから、サバンナでは、あまり人口が増えない。移動の際にひとりの女が複数の子供を抱きかかえることができないとか、一夫多妻制で嫁にきた女もじきに性の対象ではなくなってしまうとか、サバンナで人口が増えない要素は二重にも三重にもある。
したがって、4万年前のサバンナの人口が増えてネアンデルタールのいる北ヨーロッパに大挙して乗り込んでゆくなどということは、ありえないのです。
つまり、サバンナに出てきたことによって彼らは、非活動的になり、拡散してゆく能力を喪失したのです。彼らはもう、サバンナでしか生きてゆけなくなったし、サバンナの暮らしは、能力さえあればたくさんの女を所有できるとか、じっとしていればあまりたくさん食わなくても生きてゆけるとか、まあそれなりにいいこともあった。
・・・・・・・・・・・・・・
200万年前にアフリカを出て拡散していったのは、サバンナの民ではなく、木の根をかじってでもあくまで群れをつくって生きてゆこうとした人たちだった。そのころ西アジアまで拡散していた人類は、サバンナの民よりも脳容量が少なく、石器も未熟で、知能指数が劣った人たちだった。研究者が言うように、知能が発達したから拡散していったというような、そんな単純なことではないのです。
最初に群れをとび出してサバンナに出てきた者たちは、群れを解体して、家族的小集団で行動していった。
しかし同じころ、同じように群れをとび出してもサバンナに出てゆかなかった若者たちは、そこでまた、とび出した者どうしの新しい群れをつくっていった。群れの外に新しい群れをつくる、この能力によって人類は地球上に拡散していった。べつに、群れごと旅をしていったのではない。原始人の生活で、そんな事態がそうかんたんに起きるはずがないのです。
人間が他者と祝福し合おうとする生き物であるということは、群れつくって住み着こうとする習性を第一義的に持っているということであり、そうした地道な行為の無限連鎖によって、地球の隅々まで拡散してゆくということが実現したのだ。
いずれにせよ、人類がサバンナを出てきたのも他者と祝福し合おうとする衝動によるのであれば、拡散していった要因もまたそうした「心のはたらき」にほかならない。
研究者たちの言う「知能の発達」なんか、なんにも関係ない。