歴史と人間の本性

司馬遼太郎氏は、僕のもっとも信頼できる歴史家の一人ですが、その対談集を読んでいて、ちょっと違うのではないかと思う個所がありました。
・・・・・・
「考えてみますと、日本の歴史というのはある意味で縄文式のころから、餓えるかもしれないという恐怖心の歴史です。飢えからの恐怖心にかられて、個人のレベルでいえば立身出世の努力をしたりイデオロギーにすがったり、国家レベルでいえば戦争をやってみたり、いろいろやってきた。日本だけじゃなく世界的に見てもそうなんで、飢餓への恐怖心が宗教やイデオロギーを生んでいる。キリスト教マルキシズムも、とどのつまりはそこから出発したのでしょう。(・・・中略・・・)ところがこの数十年、すくなくともこの日本には、飢餓への恐怖心がなくなった。」
・・・・・・
縄文人に「餓えるかもしれないという恐怖心」などなかった。なぜなら、彼らは、すでに飢えと背中合わせの暮らしをしていたからです。彼らにとって「飢え」は、「かもしれない」という未来の仮定ではなく、目の前にある現実だった。そして彼らは、その現実と和解していた。いざとなれば、木の根をかじってでも生きてゆく、という覚悟ができていた。彼らが、いろんな野草を口に入れることを試したり、どんぐりや栃の実という面倒なあく抜きをしないといけない木の実を主食のようにしていたのは、飢えが怖かったからではなく、食えるものなら何でもよかったからです。そんな粗末な食生活をしながら、不便な山の高いところに集落をつくって暮らしていた。その集落は、女子供だけのもので、山野をさすらうような生活をしている男たちの来訪を受けやすい場所につくられていた。つまり、彼らにとっての生きる上での第一義的な問題は、食うことではなく、男(女)と出会ってセックスしたり、親しい者と語り合ったり一緒に遊んだりすることにあったのだ。そういうカタルシスが得られるのなら、食うことなんかたいした問題じゃなかった。
18世紀のインドは、下層の人びとが飢え苦しむ社会状況にあり、宗主国のイギリスが、資本主義のシステムでやれば飢えから解放されるぞと教え込もうとしても、なかなかそれが定着しなかった。それは、宗教や社会制度の問題であるという以前に、人が生きてあることのカタルシスが好きな女(男)とセックスしたり親しい者と語り合ったりすることにあるのであって、食うことからもたらされるのではないからだ。
人が生きてあることのカタルシスは、食うことにあるのではない。他者と祝福しあうことにある。たぶん人は、そのことのために生きているというか、そのことがあるから生きていられるのだ。
飢えの恐怖など、食ってしまえば、きれいさっぱり忘れてしまう。そしてそれは、木の根をかじっても得られる心地なのだ。とにかく何かを食っているかぎり、人間は、飢えの恐怖など持たない。
縄文人は、すでに稲作を知っていた。しかしそれは、たんなる神へのお供えとしてつくっていただけで、食生活の安心や充実を得るためのものではなかった。食うためというより、米をつくる楽しみでつくっていただけだ。飢えの恐怖が強かったら、さっさと稲作に適した水辺の低地に移っていったことでしょう。彼らは、水田をつくるための栽培知識と最低限の土木技術は持っていたのです。それでも、つくろうとはしなかった。
彼らは、農耕栽培ということを知っていたのに、そのために男と女が一緒に暮らして大きな集落をつくるということはしなかった。18世紀のインド人と一緒です。三内丸山遺跡という例外はあるが、縄文遺跡のほとんどは、2、30人程度の小集落ばかりなのです。飢えの心配があるなら、こんな非効率的な暮らしはしない。餓えて死んだ縄文人の骨は、ほとんど発見されていません。それは、それほどに貧弱な食生活をしていても、飢えの恐怖など誰も持っていなかったことを意味します。
・・・・・・・・・・・・・
飢えと背中合わせで生きていれば、食うことのよろこびもそれだけ深い。そのよろこびが、飢えにたいする恐怖心を忘れさせる。飢えにたいする恐怖心は、むしろ飢えの心配がないところでおきてくるのだ。心配がないからこそ、もしそうなったらどうしようという恐怖がわいてくる。うまいものが食いたいという気持で生きている現代人には、木の根をかじってでも生きてゆくという野性はすでにない。縄文人より、現代人のほうが、ずっと飢えの恐怖とともに生きているのだ。
飢えの恐怖、というパラドックス。「いい暮らし」がしたいという現代の欲望こそ、飢えの恐怖の上に成り立っているのだ。
だから、原発の推進者たちは、原発がなければ餓えるんだぞ、と脅かしてくる。少しは飢えそうな状況になれば、飢えの恐怖なんかなくなる。人間を生かしているのは、飢えの恐怖なんかではない。そんなものは、飢えの心配のない現代人の強迫観念=妄想に過ぎない。
「飢えの恐怖」は、いい暮らしができるようになったことの「結果」であって、いい暮らしできるようになったことの原動力ではない。人類は、他者と祝福しあう関係をけんめいにつくろうとしてきた結果、いい暮らしができる社会が生まれ、皮肉なことに他者と祝福しあう関係を喪失し、また飢えの恐怖も持つようになったのだ。
「飢えの恐怖から宗教やマルキシズムが生まれてくる」というのはたしかにそうで、現代ほど、人びとが、オカルトとしての「宗教」や、市民とか平和とか民主主義とか、つまりり「いい社会志向」とか「いい暮らし志向」とかいう「イデオロギー」に凝り固まっている時代も、かつてなかったはずです。
煙草のポイ捨てはいけない、なんて、そういう偏狂なイデオロギーによる脅迫以外のなにものでもないじゃないですか。よけいな話だけど。
とにかく、原初の人類の歴史を動かしてきたのは、人類学者のいう「知能」でも、司馬遼太郎氏のいう「飢えの恐怖」でもない。他者と祝福し合おうとする「心」のはたらきなのだ。そういう「心」のはたらきを喪失して人類は、「知能=観念」やら「飢えの恐怖」でものを考える(=世界に反応する)ようになり、戦争の時代へと突入していったのだ。
次回、このことを、もう少し考えてみます。