ネアンデルタールは、ほんとうに滅んだのか。

世の研究者に対する不満をもうひとつ。
4万年前から3万年前のヨーロッパで先住民であるネアンデルタールにとって代わったといわれているクロマニヨンは、アフリカから移住してきたホモ・サピエンスではなく、じつはホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになったネアンデルタールである、と僕は思っています。
そのときアフリカのホモ・サピエンスが大挙してヨーロッパに移住してきたなんて、どうしてそんな幼稚で空々しいことを平然と妄想していられるのか、まったく理解に苦しみます。3万年前のアフリカの原始人と、18世紀にアメリカに移住していったヨーロッパ人とでは、ぜんぜん事情が違うでしょう。後者は、すでに地球が丸いこともそこにアメリカ大陸があることも知っていたのです。それに対して前者は、まわりに見える景色だけがこの世界のすべてだと思って暮らしていたのですよ。5千年前の人間だって、この世界は数等の象の背中に支えられた円盤の上に成り立っている、と思っていたのです。その向こうは、何もないと思っていた。
いやこれは、意識のはたらきの根源についての問題でもあります。
意識は、さいころの、見えない向こうがわの目を類推しようとするはたらきがある、と現象学者は言います。しかしそれは、見たことがあるからこそ生まれてくるスケベ根性に過ぎない。ようするに、そんなものは、意識の根源のはたらきでもなんでもなく、近代合理主義的な観念の一傾向にすぎない。そういうげすな言い方は、明日のスケジュールを埋めようとあくせくしている現代人には説得力を持つだろうが、生まれたばかりの子供や原始人にはピンとこない意識のはたらきなのだ。2の向こうがわの目は5であると知っているから、5つの目が並んださいころの面をなんとなく想像してしまう。しかし、根源的な意識は、何も知らない。知らなければ、想像するはずがない。向こうがわが「ある」ということすら、知らない。
自分たちのまわりに広がる景色の向こうがわに何があるのか知らなかった原始人は、向こうがわに行こうとはしなかったし、行こうとも思わなかった。現代の研究者たちは、「地平線の向こうに対する好奇心」だとか、どうしてそんなくだらないことを平気で言えるのだろう。そんな好奇心は、地平線の向こうから人がやってきたり、こちらからも行ったことがある時代になってから生まれてきた観念のはたらきにすぎない。最初に移動していった原始人には、そんな体験は、いっさいなかったのです。
群れの個体数が増えてくれば、追い出される者や逃げ出す者は、とうぜん生まれてくる。そういう少人数が五月雨式に群れの外側に移動していった結果として、そこに新しい群れが発生する。そういうことの繰り返しで、人類の生息域が広がってきただけでしょう。アフリカのホモ・サピエンスが大挙してヨーロッパに乗り込んでいったなんて、どうしてそんな途方もないことを、平気で妄想していられるのか。
何百人何千人の原始人が、どうやって道なき道を移動してゆくのか。彼らは、地平線の向こうやあの山の向こうに何があるか、まったく知らなかったのですよ。何もないと思っていたのですよ。しかも、旅をするためのどれほどの装備を準備できたでしょう。
だいいち、アフリカのホモ・サピエンスは、十人かせいぜい二十人くらいまでの家族的小集団で決まった地域内を移動生活していただけの人種ですよ。彼らに、何百人もの集団を組織できる能力があったと証明できる、どんな考古学的証拠や人類学的根拠があるというのですか。
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4万年前の地球上で、一番大きな群れを組織できる能力を持っていたのは、北ヨーロッパネアンデルタールだった。極寒の地で暮らす彼らは、そういう大きな群れで寄り集まって体を温めあわないと生きてゆけなかったし、多人数のチームプレイで大型の草食獣を狩してゆかないことには、寒さに耐えて生きてゆくための脂肪分を摂取できなかった。
人類は、極寒の地で暮らすことによってはじめて大きな群れで暮らすことを覚えたのであり、大きな群れで暮らす能力を持っていたから極寒の地で暮らすことができたのだ。したがって、アフリカのホモ・サピエンスネアンデルタールよりも大きな群れを組織してヨーロッパに乗り込んでゆく、などということがあるはずないのです。僕には、そんな空々しい仮説を真実らしく妄想してゆくことは、とてもじゃないができない。
また研究者たちは、その大移動の理由を、「狩の獲物を追いかけて」などとも言う。まったく、あほじゃないか、と思う。人間よりも、狩の獲物である草食獣のほうが走るのが速いのです。そういうウマやシカの群れを、車もなければ乗馬も知らない原始人が地平線の果てまで追いかけてゆけるわけないじゃないですか。
だいいち大型肉食獣がうようよいるアフリカのサバンナは、人間のような弱い生きものが大挙して大移動できるような土地ではないのです。遠くまで獲物を追いかけ、その獲物を女子供のいる群れに持ち帰るなんてことをしていたら、途中で大型肉食獣の餌食になってしまうだけじゃないですか。
だから、アフリカのホモ・サピエンスが大挙して大移動する習性を持っていたなんて、ありえないのです。少人数で隠れるようにして移動してゆくのが、彼らの移動の流儀です。しかもその移動ルートは、いつ襲われても逃げ場を見つけられる、熟知した地域でなければならない。彼らには、知らない土地に出かけてゆこうというような現代人のごときスケベ根性はない。彼らのそういう傾向が、同じアフリカなのに、すらりとしたニグロ族や尻の大きなホッテントット族や背の低いピグミー族といったふうに、極端に体型の違う人種が混在するというボトルネック現象を生み出したのでしょう。
人間は、住み着こうとする生きものです。とくに強い者は、みずからの生息域の外に移動してゆこうとなんかしない。移動していったのは、いつだって弱い者や不満を抱いて逃げ出そうとした者たちばかりであったはずです。ヨーロッパ人のアメリカ移住だって、つまりはそうした事情を抱えた人たちだった。したがって、そういう者たちの旅が大集団になることはありえないのです。そしてそういう者たちは、もう帰るところがないから、少々住みにくくてもなんとか頑張って住み着こうとする。そうやって人類の生息域が徐々に広がってきたのであって、何が「好奇心」だ、何が「狩の獲物を追いかけて」だ。安っぽいことばかりほざきやがって。アフリカのホモ・サピエンスによるヨーロッパへの大移動なんか、あるはずがない。何が悲しくて僕が、そんな漫画みたいな仮説にうなずかなければならないのか。
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子供を産んだことのない若いメスや生意気になってきた若いオスが群れのそとに追い出されたり逃げ出したりすることは、人類がチンパンジーのごとき猿であったころから繰り返されてきたことです。そういうことがどこの群れでも起きていれば、大移動なんかしなくても千年や二千年のうちには、アフリカのホモ・サピエンスの遺伝子が北ヨーロッパネアンデルタールのところまで伝播してゆくことはありうることじゃないですか。
ネアンデルタールミトコンドリア遺伝子は、極寒の地を生き延びるために、乳幼児期を早く成長して通過してしまえる性質があるが、その代わり早く老化してゆくために長くは生きられないデメリットもある。だから、ネアンデルタールの寿命は、30数年しかなかった。
いっぽう熱帯種であるホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子は、ゆっくり成長して長く生きられる性質があった。これを、ネオテニーというらしい。
したがって、地球が温暖化してくれば、人類のミトコンドリア遺伝子は、長生きできるホモ・サピエンスのものばかり残ってゆくことになるし、逆に寒い氷河期がやってくれば、すくなくともアフリカなどのもともと温暖な地域以外のところでは、ネアンデルタールの遺伝子を持っていないと生き延びることができなくなる。だから、8万年前から始まった氷河期においては、ヨーロッパだけでなく、西アジアから北アフリカの一部までネアンデルタールの遺伝子を持った人種に覆われることになった。
そうして4万5千年前ころから間氷期がやってきていくぶん暖かくなり、しかも人類の生活レベルが上がってきたこともあって、北ヨーロッパネアンデルタールでも、長生きできるホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子を持った者が生き残ってゆく状況になっていった。
しかし、文化のレベルが上がってより大きな群れを形成できるようになってくると、その大きな群れ(=社会)だけで自足して、遺伝子の伝播が起きてこなくなる。つまり排他的なヨーロッパの都市国家の原型は、このころのクロマニヨン=ネアンデルタールによってつくられた。つまり、群れ=社会が自足してゆくようになって、ネアンデルタールの群れにおけるホモ・サピエンス化が加速度的に進み、ついにネアンデルタールミトコンドリア遺伝子のキャリアはいなくなってしまった。
そうして2万5千年前以降にふたたび激烈な寒さが襲ってくるのだが、そのときはもう、ネアンデルタール的な形質を持った個体が増えることはあっても、ネアンデルタールミトコンドリア遺伝子そのものを取り戻すことはできなかった。
もともとネアンデルタールは大きな群れをつくって自足してゆこうとする傾向があるから、いったんホモ・サピエンスの遺伝子が入り込んでしまえば、それがたとえ一個体のものでも、その遺伝子をもつことによって長生きできるのなら、たちまちその遺伝子のキャリアばかりになってしまうのです。そしてミトコンドリア遺伝子は、女からしか伝わらないという性質を持っているから、ホモ・サピエンスのそれを持った子供が生まれることは、そこでネアンデルタールミトコンドリア遺伝子が消滅した、ということを意味する。そうやって仲間内で交配しながら、どんどん消滅していったのでしょう。
べつに、アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパにやってきて混血したわけではない。北ヨーロッパネアンデルタールと、アフリカのホモ・サピエンスは、出会ってなどいないのだ。
アフリカのホモ・サピエンスは、大挙して大移動するような人種ではない。そんな考古学的な証拠など何もないし、現代のアフリカ人にそんな伝統を持っている痕跡を見つけ出すことも、さらに不可能なのだ。
何が「アウト・オブ・アフリカ」だ。くだらない。そんな程度の低い「物語」や「ロマン」などあてにしなくても、人類の歴史は、じゅうぶんに僕の脳髄を刺激してやまない。なぜならそれは、「人間とは何か」と問うことだからだ。