閑話休題・横綱の病気

近ごろ、横綱朝青龍の心身問題が話題になっている。
ねじめ正一という人は、「朝青龍がいつもモンゴルに帰りたがるのは、それほどに彼が孤立し、繊細で素直な傷つきやすい心をもっているからだ」というようなことを語っていました。
僕には、よくわからない論理です。
繊細で傷つきやすい人は、自分の国に帰りたがるのですか。
繊細で傷つきやすい人が、故国を捨て、異境の地でほっとしている場合だってあるでしょう。
べつに食いはぐれたわけでもなく、この国に堂々とした生活の基盤を持っているのにやたらと故国に帰りたがる気持ちというのは、なんか気味悪いなあ、と僕は思ってしまう。
ずるしてモンゴルに帰ったからといって僕は大して悪いことだとは思わないけど、それがばれて心身症になるのは、やっぱり自分に金や名誉を与えてくれている相撲ファンにたいして失礼な態度であり、卑怯だしグロテスクです。悪いと思っているなら、悪いと思っている態度を示すなら、心身症になんかならないで、正気のまま「ごめんなさい」と言って蟄居するべきです。それが、横綱という地位にある人のとるべき態度でしょう。
繊細で傷つきやすいからだ、なんて安っぽいことをほざくあほな知識人がいるから、彼を甘やかし、彼を追いつめているのだ。
それに、なんとかモンゴルに帰れるようにしてやろうと思っている親方の態度も、よくわからない。彼は、朝青龍がアンフェアーなことをしたとは、ぜんぜん思っていない。横綱を立ち直らせることばかり考えている。親方が、そんな小ずるいことばかり考えていていいのかなあ。その人情家ぶった空々しい発言からは、強い横綱が復活すればそれが「みそぎ」になる、そんな手前勝手なことばかり考えているように見受けられる。その態度が、おそらく横綱の病気を進行させている。
心の病気は、本人の気持ちだけでなく、それが進行する「状況」もある。
親方なら、相撲の世界の「みそぎ」の仕方くらい知っているだろう。今の親方に必要なのは、たとえば、安宅の関義経を打ち据えた弁慶のような態度なのだ。それでこそ、相撲ファンが納得する。そういう世界なのではないのですか。
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あの横綱は、おそらく日本や日本人に悪意がある。それはもう、否定しようがないことでしょう。
いや、日本や日本人に、というと正確ではないのかもしれない。自分のまわりの人間に、というべきでしょうね。
横綱としての暮らしにどうしようもなく落ち着かないものがある。
たとえば、横綱の地位を守るためには、これから強くなってきそうな相手にたいしては、稽古のときに徹底的にやっつけて相手に恐怖心を植え付けておいたほうがよい。彼のそのやり方は、すさまじいものがあるのだとか。
そんなことばかりやっていたら、そりゃあ孤立しますよ。自分のまわりの心を許せる相手などひとりもいない。みんな自分にへいこらしていても、誰ひとり心を開いてこない。誰も、自分を愛してくれない。もう心を許せるのは、故国の人たちだけだ、と思う。
べつに横綱なんだから、そういう稽古をしたってかまわないけど、みんなが怖がって心を開いてこないことを、許せないと思うわけにもいかないでしょう。それはもう、しかたのないことと受け入れるしかない。そういうことをしているんだし、それに耐えられるだけの地位や名誉や報酬を得ているはずです。地位や名誉や報酬だけ得て、みんなが自分を嫌うことは許せないし耐えられないというのでは、虫が良すぎます。
そうやって彼は、いつもモンゴルに帰ってゆく。
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遊牧民と農耕民の人づき合いの流儀や勝負にたいする考え方は違うのだ、ということもあるでしょう。
それはさておき、ここには、権力を持ってしまった者の「強迫観念」がはたらいているようにうかがえます。
あるとき突然後ろから切りつけられるのではないかという強迫観念と、自分は権力者なのだから自分が正義だという世界観を、たぶん彼は強く持っている。だから、そうやってまわりの者たちから恨みのこもった目で見られたり無視されたりするのが、どうしても許せない。
で、ことあるごとにモンゴルに帰りたがる。自分は横綱であり権力者なのだから、モンゴルに帰ってもいいのだ。誰も文句いえないはずだ。
今回のことだって、自分はいつもモンゴルに帰っていいのだという意識があったから、あんなこずるい中学生みたいに安直な手段を使ってしまったのでしょう。
帰りたくてたまらない気持は、ほかの外国人力士にもある。まだ関取になっていない力士なら、横綱の何倍も切実であるはずです。
しかし、俺は帰ってもいいのだ、と思えるのは、あの横綱だけだった。
モンゴルに帰りたがるから、繊細で素直なのだ、などということがあるものか。
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それだけの権力と報酬を与えられているのだから、どんなひどい稽古をしたっていばり散らしたってかまわない。しかしそういう態度をとり続ければ、人は心を開いてくれないということも承知するしかないでしょう。どんな権力者になっても、人の心までは支配できない。あの横綱を嫌いになるのは、まわりの人々の勝手でしょう。
彼は、みんなが自分のことを嫌うのを、納得していない。他人のそういう心まで支配しようとするから、その不可能性に身もだえして心身症になる。
それは、「ヒール」としては三流です。邪道です。
「ヒール」は、嫌われてあることと和解しなければならないし、それをみずからの誇りともアイデンティティともしなければならない。
みんなが責めるからモンゴルに帰りたいなんて甘ったれているし、帰ってもいいと思う権力意識はいくらなんでも傲慢すぎる。
彼は、自分が悪いことをしたとはなんにも思っていない。天下の横綱として当然の権利を行使したと思っている。だから、みんなが自分を責めることに耐えられなくなった。耐えられなくなって心身症になるほどの権力意識というのは、いったいどんなものなんだろう。その万分の一の権力も持ったことのない僕には、さっぱりわからない。
俺はモンゴルに帰りたい、というのは、俺は罪の償いなんかしたくない、といっていることですよ。
ずるしてモンゴルに帰ったことなど、僕はべつに悪いことだとはさらさら思わないが、そうやって責められる社会に住んでいることを自覚するなら、その責めは甘んじて受けるしかないでしょう。
まだ受けるつもりがないんだから、たいしたものです。心身症になれば、みんなが許してくれると思っているし、許されてしかるべきだと思っている。それは、いったいどんな思想であり人格なのだろう。僕にはさっぱりわからない。
僕がもし彼なら、嘘でも、もう一生モンゴルに帰りません、という。相撲の世界に残るつもりなら、とりあえずそういう覚悟をする。たとえ明日に気が変わってモンゴルに帰ってしまうとしても、とりあえずそういうしかないでしょう。
心身症になるなんて、ずいぶん傲慢な話です。それは、他人に抗議している態度であって、反省している態度ではない。彼には、そうやって相撲協会相撲ファンに抗議する権利があるのですか。
いつもちやほやされていたい。モンゴルに帰れば、みんながちやほやしてくれる。ちやほやされることへの飢餓感が、トラウマとしてあるのだろうか。そういう人は、あんがい世間にもたくさんいるし、そういう人が誰よりも豊かにその恍惚を体験してしまった。彼の心身症は、そこからきているのかな、と思わないでもありません。げすのかんぐりかもしれないけど。
たぶん親方が、心の病気なんてぜったいに認めない、横綱のプライドにかけて自分で立ち直れよ、という態度を示せば、多少は事態の改善があるのかもしれない。心身症になったからといって、誰もかわいそうだとは思ってくれない。横綱とはそういう立場であり、そのことを親方も本人も、どうして承知しないのだろう。
僕としては、心身症とは無縁に生きてきた北の湖理事長の困惑のほうが、ずっと気の毒だと思う。