異人論という他者論

小松和彦氏のいう「異人にたいする恐怖心や排除の思想」は、民俗社会の心性というよりじつは「戦争の時代」を生んだ近代の市民意識そのものにほかならない。現代人は、まさにその観念によって戦争を繰り返しているのであり、アメリカのイラク侵攻はその典型でしょう。
小松和彦氏は団塊世代の人なのだが、それはまた団塊世代においてとくに顕著な他者にたいする意識でもあります。彼が民俗社会の心性をそのようなレベルでとらえようとするのも、なんとなくわからないでもない。
団塊世代は、他者のことがよくわかっている。つまり、わかるレベルでしか他者の存在を認識していない。彼らは、良好な他者との関係を生きてきた。親はしみじみ大事にして育ててくれたし、たとえば1学年12クラス1クラス60人という状況で同世代の仲間はたくさんいたから、いくらでも気の合う友達を選ぶことができた。相手が何を考えているのか忖度する必要もないくらい分かり合える関係だから、友達づきあいはもう、自動的といってもいいくらいスムーズだった。親友は、すぐに、たくさんできた。
戦後社会は、戦後復興というかたちで誰もが同じ方向を向いて生きていた。団塊世代は、そういう情況で生まれ育った。彼らは、みんなが同じ方向を向いてしまう習性を、幼児体験として植え付けられている。だから、子供ながらも1学年12クラス1学級60人というという大きな集団と和解してゆくことができたわけで、じっさいとくに混乱することもなかった。混乱しないくらい、わかり合っていた。
それはつまり、わかり合える範囲でしか他者との関係を持つことができなかった、ということです。
みんなでビートルズを好きになり、大人たちを気味悪いと思うこともなく、あたりまえのように全共闘運動という戦いを挑んでゆくこともできた。
団塊世代の他者にたいするなれなれしさ、小松氏の文章にもそういう気配は垣間見える。彼らは、他者のことがわかっているつもりでいる。わかっているつもりでいると、つい自分のことを他人に当てはめてしまう。
・・・・・・・・・・・
「異人」に対する「恐怖心と排除の思想」は、仲間うちだけの社会で生きてきた団塊世代の特徴的な心性でもある。彼らは、違う世代の子供と遊ぶということはほとんどせず、同じ世代の仲間とばかりつるんでいた。つまりそれは、彼らに「異人」との関係を生きた体験などない、ということです。彼らは、自分たちと違う子供と遊んだことがないから、「他人の気持などわからない」という体験がない。他人の気持ちはわかるものだと思っている。彼らは、わからない子供とは遊ばなかった。
仲間どうしでつるんでばかりいたということは、先験的に他者が排除されてある状態で育ってきた、ということです。そのように「異人」体験がないからこそ、団塊世代は、その意識下に「異人にたいする恐怖心と排除の思想」を共有している。共有しているから、小松氏にとっては、その心性がリアリティを持って感じられる。そして、そういう分析をすることの後ろめたさもない。
しかし人間は、「関係」しようとする動物であって、「排除」の衝動を根底に抱えて生きているのではない。
われわれは、根源において、排除することや排除しようと思うことの不可能性を負って存在している。人と人が別れるこがどんなに困難なことか。別れに際して、人はなぜ涙するのか。そんなことをちょっとでも考えたことがあるなら、「排除」などという言葉は、そうかんたんには使えないはずだ。
わからない相手と最初から付き合わないやつらには、「別れ」もない。それが、団塊世代なのです。だからこそ、無造作に「排除」などといって平気でいやがる。まったく、むかつく。
・・・・・・・・・・・・・・・
民俗社会における異人殺し伝説の主題(思想)は、小松氏のいうように民俗社会の人々が異人殺しの衝動を抱いていることにあるのではなく、「異人殺しをしない人々による異人殺し批判」ということにあるのだ。
遊行の宗教者である「異人」との関係を1000年にわたって続けてきた民俗社会に、そんな「恐怖心と排除の思想」などという意識が先行してはたらいているはずないじゃないですか。はたらいていたら、1000年も続くはずがない。
そういう歴史と伝統がつくられたのは、その心性の根底に「まれびと信仰」がはたらいていたからだ。
そして戦後生まれの団塊世代は、違う世代の子供とは遊ばないという習性を持つことによって、そのような「まれびと信仰」という民俗社会の伝統を屠り去った者たちです。
小松氏の「異人殺し伝説」=「排除の民俗学」という分析は、ただの「団塊根性」の焼き直しにすぎない。
彼は、「日本人には他者がない」というステレオタイプな俗論を、民俗社会の心性に当てはめようとしているのだろうか。しかしそんな程度の低い日本人論は、団塊世代に当てはまっても、「まれびと信仰」の伝統を持った民俗社会とは別次元の話です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
小松氏の「悪霊論」には、村落共同体における「村八分」の制度のことを語った章がある。彼はそれを、まさしく「排除の民俗学」そのものだという。
しかし僕は、そうは思わない。村八分とは、排除しないでそういういじわるな付き合い方をする制度のことです。よくもわるくも民俗社会では、つねに「他者=異人」との関係を生きようとしていたはずです。
民俗社会では、「異人」の来訪を拒まないし、追い払いもしない。彼らはあくまで関係を生きる人々だったから、村八分にしたり、あそこは「異人殺し」の家だという「しるしづけ」をしたりするようになっていったのであり、それは、けっして「排除」することではなく、関係することなのだ。
民俗社会の人々は、「異人」を拒むことも追い払うこともできない。笑顔で歓待するか、恨みがましい目で監視し続けるか、そのどちらかです。「まれびと信仰」を根底に持つ彼らは、他者との関係をすべてひとまず受け入れ、その「反応」として、ときにそうしたいじましい態度をとったりする。
支配者の圧政だって、「まれびと信仰」でひとまず受け入れる。ひとまず受け入れるから、最後に「一揆」となって爆発する。
村八分」や「しるしづけ」をする村人のいじましさは、他者を拒んだり排除したりできないことによる。村八分は、小松氏のいうように、それによって村の秩序が保たれている状態ではない。村の秩序にほころびが生まれている状態です。みんな仲良くできてこその秩序でしょう。仲良くしようと思えばできるのに、しない。それが村八分です。
村人にとって、村の秩序などどうでもいいのです。日本人に公共心はないのです。彼らは、いやなやつと仲良くするかいっそ追い出してしまって村の秩序を保つよりも、いやなやつがそのいじわるに耐えかねて何をしでかすかわからないという秩序のほころびを引き受けてでも、いやなやつとの望む関係を持とうとしたのであり、それが「村八分」という制度です。
彼らは、村の秩序を生きているのではなく、「家と家の関係=他者との関係」を生きている。村の秩序よりも、どうしようもなく「他者=他家」との関係のほうが気になる。その関係を壊したり追い払ったりするのではなく、どうしようもなくその関係にとらわれてしまう。彼らは、「排除」なんかしない、「関係」にとらわれてしまうのだ。それは、よくもわるくも他者を「まれびと」として受け入れてしまう本能を持っている、ということです。
・・・・・・・・・・・・・・・
「恐怖心と排除の思想」だなんて、何をげすなこと言ってやがる。
そうやって人間を卑しい物差しではかることが、あなたたちの研究のリアリティを保証してくれると思っているのか。卑しい物差しではかる能力しかないだけじゃないの?
原初の日本列島で暮らしていた人たちの他者にたいする感受性は、根源的だった。歴史は、ひとまずそこから始まっている。「訪れ祝福するまれびと神」という感受性が、ぼくは、美しいともやさしいとも思わない。ただそれは、他者との関係の根源的な感受性であり、折口信夫に「まれびと」といわれて、ああそうだったのかと納得しただけです。よくもわるくも村人のいじましい根性は、そこを水源としているのであって、「恐怖心と排除の思想」などという近代市民意識団塊世代根性と同じであるものか。論理的に、同じであるはずがないのだ。
日本列島の住民は、先験的に他者を「まれびと」として受け入れてしまう歴史と伝統を持っている。明日は、そのことを考えてみます。