無防備な民衆社会に付け込む権力社会
総理大臣が変わっても、この国の政府のコロナ対策は、いぜんとして迷走を続けているみたいです。
まあ民衆の態度だって、僕自身も含めて「なんだかなあ」という感じで、いまいちはっきりしない。日本人のダメなところが一挙に噴き出している、ということでしょうか。
自粛のための補償など何もせずに自粛を「要請」してくる。従わない者には「同調圧力」を演出・醸成して脅しにかかる。うんざりするほど醜悪な景色だが、「空気」というあいまいなものだけで世の中が動いてしまう文化風土があり、政府も民衆も無意識のうちにそういう思考態度になってしまう。だれがどうだという以前に、権力社会も民衆社会も、みんな「空気」に動かされている。あんな愚劣な男に7年も8年も総理大臣にさせてきたこの国の「空気」があるのでしょう。
この国の権力社会の伝統は、外国のように民衆を助けて民衆に恩を売るのではなく、民衆の無防備であいまいな心というかそうした生態に付け込んで文句を言わなくさせてしまうことにあります。
もともと、大和朝廷の発生のときから、民衆に頼りにされて生まれてきたのではなく、民衆と天皇のあいだに寄生して生まれてきた社会なのです。
だから、民衆の心の隙に付け込んでゆくのは彼らの本能なのだ、といえるのでしょう。
政治家も官僚も、本能的にそのことを知っています。
今回のコロナ対策だって、思考停止したまったくの愚策の連続なのだけれど、民衆のあいだからは一揆のような大きな抵抗のうねりは起きてきていません。
われわれはもう、あの醜悪な政治家や官僚たちから、みごとに足元を見透かされてしまっています。
彼らは何も考えていないし、考える頭もない。それでも本能のままに民衆を操ってしまっている。まさに、伝統の力です。リチャード・ドーキンスの言葉を借りれば、権力社会にはそういう「ミーム」が覆っている、ということでしょうか。この国の権力社会に受け継がれてきた共同幻想というのか呪力というのか。
そしてわれわれが権力社会の支配にあまりにも無防備だというのも、この国の民衆社会の伝統なのでしょう。
われわれ民衆は、どうすればこの「呪い」から解き放たれることができるのでしょうか?
僕のこの安普請の脳みそでは答えを見つけることができません。
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ようやくYouTubeをはじめることができたと思った矢先に、操作ミスやらスマホのトラブルやらで、あっさりと全部消えてしまいました。
また一から出直しです。
今、かなり落ち込んでいます。
何とか年内に再開できないものかと焦っています。