団塊世代とビートルズ・4

ビートルズなんてくだらない、といったら誰も読んでくれなくなってしまう、と思うのですが、つまり、ビートルズにいかれていたあのころの自分たちなんてくだらない、といいたいわけで、どうか堪忍してください。
ビートルズ上陸直前のアメリカのガールスヒットポップに「子供じゃないの」という曲が、たしかあった。日本でのカバーは、弘田三枝子が歌っていました。早く大人になって化粧をしてデートをするようになりたい、という歌です。男の子だって車に乗ってそんな女の子を迎えに行くナイトに早くなりたかった。けっきょくそうやって大人になることばかり夢見ていたから、いつのまにかアメリカには若者らしい魅力と勢いをもったポップミュージックがなくなってしまっていたのでしょう。
なんといってもあのころのアメリカは経済的には世界のトップを切って走るよい社会であったのだから、若者がはやく大人になりたいのは当然でしょう。しかし大人になりたいと思うことは、そのぶん若者であることのアイデンティティを喪失していることでもある。
これは、ようやく敗戦のショックも癒えて経済成長に向かいつつあった日本でも同じだった。あのころ吉永小百合という青春女優が大スターになったり、青春歌謡のアイドルが続出したりして、「青春」という言葉があんなにも商品価値を持った時代はなかった。それは、それほどに青春が華やいでいたからではなく、むしろ逆に若者が早く大人になりたがって若者らしさを失っていたために、社会的な存在としてそれを象徴する対象を求めていたからだろうと思えます。
あのころビートルズ吉永小百合や青春歌謡は、若者が大人になろうとすることのひとつの免罪符だった。つまり、どうせすぐ大人になってしまうのだからとりあえずいま若者であることをより確かに実感したい、という無意識が時代を覆っていた。あのころのアメリカや日本の若者には、現代のニートや引きこもりの若者と違って、若者をさっさと社会の一員にしてしまおうとする大人たちの目論見に反抗するような気分はなかった。
全共闘運動だって、大人に取って代わろうとしたのであって、大人になることを拒否する運動ではなかった。早く大人になって社会を動かしたい、という衝動だった。つまり、全共闘運動もまた、大人になろうとすることの免罪符だったのです。
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終戦後の日本は、過去の歴史を断ち切った。そうして、アメリカと競うように「未来」を追いかけ続ける社会をつくっていった。
未来にたいする希望があるということは、それだけ現在を実感する手ごたえが希薄になっているということを意味する。あるいはそれによって、現在を現在そのものとして実感するのではなく、未来との関係においてとらえようとする習性が身についてしまう。
しかしそれは制度的な意識であって、われわれが生きものであるというレベルにおいては、未来という時間はないのです。人は歳をとるにしたがって(=社会に参加してゆくにしたがって)、現在を未来との関係でとらえるようになってゆき、そのために現在が未来に引っ張られ引っ張られして加速度的に時間が早く過ぎてゆくようになってくる。おそらく誰にも思い当たるふしはあるはずだが、子供の時間感覚と大人のそれとではまるで違う。そして若者は、その時間が加速し始める人生のちょうど転換期を生きている。
あのころのアメリカのように豊かな社会の若者ほど「現在」を謳歌していると考えるのは、おそらく正確ではない。豊かな社会であればこそ、若者は、「現在」にとどまることの困難さに追い立てられねばならない。
早く口紅をつけてデートしたいと願っても、いざそのときになればもう、早く結婚したいと思い始めている。そうして子供が生まれてパパとママになり、そこで、私の青春はいったいどこにあったのだろう、と振り返る。欲しいものが手に入って元気に成長を続ける社会は、人びとをそういうスピードに巻き込んでしまう。
未来のない社会では、たとえばヒットラーのような未来を与えてくれる未来の象徴としてのカリスマが求められるが、逆にめまぐるしく未来に連れてゆかれてしまう豊かで安定した社会では、早く歳を取ってしまいそうなその不安を突いて「現在」の象徴としてのスターが現れる。
よい社会であってもわるい社会であっても、人々の意識が均質化してしまう。均質化して誰もが同じ方を向いてしまうから、そこでビートルズヒットラーが登場して社会を席巻してしまう。ビートルズが偉大であったという以前に、社会が均質化していたからビートルズをカリスマにしたのだ。
そしてビートルズは、大人になるのなんかやめよう、とは、けっして言わなかった。早く大人になって、大人に取って代わろう、と呼びかけたのです。現代と違って、大人になんかなるのはやめようといったら、日米の若者のカリスマにはなれない時代だったのです。彼らは、そういうことを、よく心得ていた。というか、彼らには、階級社会であるイギリスの若者のような、大人になんかなるものか、というふてくされた気分はなかった。
ビートルズは、近代資本主義と歩調を合わせた世界的なロックバンドであったが、生粋のイギリス的ロックバンドではなかった。したがってその後の、パンク・ロックをはじめとする生粋のブリティッシュ・ロックバンドは、ビートルズを継承していない。
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何もないところからはじめた戦後の日本社会は、新しいものがつぎつぎに現れてくる社会だった。新しいものが現れることは、「未来」が現れることです。団塊世代は、そういう社会で育ってゆき、自分が大人になる未来を、知らず知らずあたりまえのように受け入れていた。だから、反抗する若者から社会に従順な大人への転進も、あんがいスムーズだった。
団塊世代を批判する人たちはよく、「節操がなく、変わり身が早い」というような言い方をするが、戦後社会がそういうかたちで動いてきたのです。したがって団塊世代に、そういう自覚があろうはずがない。彼らを育てたのは、新しいことに変わってゆくことこそ正義の社会だったのです。
団塊世代は、自分たちの青春がなにかとくべつ純粋で美しいものであったかのように錯覚しているが、彼らの若者時代の写真を見てみればいい、たいていの者が今の若者よりもずっと老けた顔をしている。彼らは、高校生のころからすでに、妙に満足げで弛緩した表情をしているはずです。未来を追いかけ続けて育ってきた彼らは、そのときすでに、いくぶんか大人の世界に足を突っ込んでいたのです。団塊世代は、大人になることなんか怖くもなんともなかった。それよりもむしろ、自分は今ほんとうに若者であることができているか、という不安のほうがあった。だから、若者そのものの顔をしたビートルズ吉永小百合でそれを確認していたのです。「平凡パンチ」だって、まあ同じようにそれを確認するアイテムだった。
そういうあれやこれやの社会的なアイテムを持っているということ自体が、彼らの若者としての内実がいかに貧しかったかということを物語っているのです。青春を謳歌するということは、青春を確認することに過ぎない。
ビートルズ平凡パンチもいらない、生きてあることじたいが青春だ、といえるほどのみずみずしい体験など何もしていないのです。