団塊世代とビートルズ・3

ジョン・レノンは、「戦争のない世界を想像してごらん(イマジン・より)」という。これが、ミスター・ビートルズのメッセージです。こんなわかりやすくて嘘っぽいヒューマニズムもない。
僕は、人が戦争や人殺しをすること否定しないで、なぜそんなことをしてしまうのだろうということを考えたい。戦争のない世界を想像することなんか、かんたんなことだ。幼稚園でもできる。しかし人が戦争をしなくなるための方法なんか、誰にもわからない。アメリカもアラブも、みんなそれを考え、戦争をしなくてすむために、戦争をしているのだ。みんな、「戦争のない世界を想像して」いるのだ。それでも戦争や人殺しは起きるし、そんなしゃらくさいことを想像するから戦争が起きてしまうという側面もある。
誰もが戦争のない世界を想像すれば、戦争は起きないか。そんな簡単なものじゃないだろう。戦争をするのは、悪い人間か。いい人間だって、戦争しようとすることはあるさ。ジョン・レノンよりもずっと清らかな人間が戦争を計画することもあるでしょう。たかが戦争のない世界を想像するていどのことで清らかな平和主義者づらされたら、たまらない。もしかしたら、戦争をしたがる人たち、現にしている人たちこそ、われわれよりずっと熱く切実に「戦争のない世界を想像して」いるのだ。
戦争のない世界なんか想像したらいけないのだ。そんな想像をするから、人は戦争をしてしまうのだ。戦争を否定したらいけないのだ。われわれにできることは、肯定して、深く悲しむことだけだ。
戦争は、邪悪な人間によってなされているのではない。われわれよりはるかに清らかな人間も、その気になってやっているのだ。やるしかない、と思ってやっているのだ。
邪悪だから戦争をするのではない。避けがたく戦争が起きてしまう「状況」というものがある。そういう状況が、清らかな人間にも戦争をさせるのだ。
誰もが清らかな平和主義者になれば戦争をしないなんて、そんな単純なものではない。平和主義者でも、戦争をするときはするのだ。
「戦争のない世界を想像してごらん」という人間が、清らかな心の持ち主だなんて、僕はちっとも思わない。未来のそういう世界を想像するスケベ根性は、嫌いだ。僕は、どんな未来を想像することも拒否する。未来などというものがあるのかどうか、まったくわからないのだから。
戦争のない世界は、時代=状況が実現するのであって、人間の心ではない。あなたたちの清らかでいるつもりの心によってではない。
・・・・・・・・・・・・・・・
ビートルズの曲は、たちまち世界中を席巻していった。しかしこれは、どこか変だ。アメリカの若者も日本の若者も、都会の若者も田舎の若者も、ブルジョアの子弟も労働者階級の子弟も、みんながビートルズに夢中になったのです。
そうして後には、大人たちも好んで聞くようになってゆく。すくなくともビートルズを聴くという体験において、世代間の断絶はなくなってしまった。つまりビートルズによって、若者は若者であるという意味を失ってしまったのです。
ロックとは、ほんらい若者固有の気分を代弁する、いわばマイナーなジャンルの音楽であったはずです。
言い換えればあの時代は、世界的に若者が若者であるという意味を失い、世代間の対立がない時代だったのです。若者も大人も、誰もが社会をよくしようとしたり変えようとして社会と関わっていった時代だった。たとえば今夜の夕飯のおかずをハンバーグにするかコロッケにするかと争っていただけです。若者が一人勝手に自分の部屋でカップラーメンを食べるというような断絶が起きてくるのは、おそらくビートルズ世代が大人になった80年代以降のことです。
ビートルズはいわば目新しいハンバーグであり、けっして大人を拒絶するためのカップラーメンではなかった。そしてビートルズが世界中の家族の食卓に若者の好きなハンバーグを並べさせたことによって、若者は元気を得て社会を変えようとする運動も盛り上がっていった。しかしそれは、社会や大人を拒否する理由を失い、若者であることのアイデンティティを失うことでもあったのです。
・・・・・・・・・・・・・・
社会を拒否するのではなく、よくしよう変えようと積極的に社会と関わってゆく。この現実主義こそ、戦後日本の復興が始まったときの社会的なスローガンでもあった。
ほんらい長い歴史のある国では、すでに社会の構造が定着してしまっているから、若者が非社会的、嫌社会的になってゆきがちです。ところが戦後の日本は、そういう長い歴史を全部捨てて新しく出直そうという気運になっていたから、まるで建国したばかりの国のように、若者が積極的に国と関わってゆこうとするメンタリティが育っていった。全共闘運動のあの盛り上がりは、敗戦の産物らしい。
アメリカの若者も日本の若者も、早く大人になって、大人に取って代わりたいと思っていた。その点は同じです。現在の日本のニートや17歳のように、大人になんかなりたくない、という気分はなかった。
そしてビートルズも、大人に対抗するような発言を繰り返していただけで、世の中なんか関係ない、というロックほんらいのメンタリティではなかった。
全共闘運動なんて、じつは、アメリカ的なあくどい現実主義と嘘っぽいヒューマニズムに汚染された若者たちが、そういうメンタリティで戦っていただけではないのか、とこのごろ思います。そのスローガンを止揚してゆくためには、人間観(ヒューマニズム)など、アメリカやビートルズのメッセージのように嘘っぽく単純であればあるほどいいのです。
嘘っぽく単純であるほうが、人を熱狂させ、グローバルに広がってゆくのです。