団塊世代とビートルズ・2

戦後の日本は、徹底的にアメリカに追いかけていった。そうして60年代前半にはひとまず戦後の混乱と窮乏は収束し、高度経済成長の入り口にさしかかっていた。
戦後の日本復興のエネルギーになった現実主義的な経済活動のダイナミズムとうそっぽいヒューマニズムは、そのままアメリカのスローガンでもあった。というか、アメリカのそのスローガンが、敗戦国日本の絶望を癒し、居直りを後押ししてくれた。
とくに、家庭にテレビが普及してからは、急速にアメリカ的ヒューマニズムに傾いていった。まず、テレビを見るという習慣がアメリカ的であるし、さらにはホームドラマをはじめとするアメリカのテレビ番組が次々に入ってきて、そのスローガンに洗脳されていった。皮肉なもので、アメリカに占領されていた終戦直後よりも、占領が終わって入れ変わりにテレビが普及していった時代のほうが、もっとアメリカ的になっていったのかもしれない。
明治維新後の日本はヨーロッパ帝国主義に学んでいったが、第二次大戦後は、アメリカの資本主義を追いかけていった。60年代前半当時、日本は、世界でもっともアメリカ的な国であった、といえるかもしれない。
つまり、戦後生まれの日本の若者とアメリカの若者は、ほとんど同じような思想で育てられ、環境や気質の違いはあるにせよ、どちらも、社会におけるそうした思想にたいする疑問を抱き始める16、7歳というとしごろにさしかかっていた、というわけです。
しかしこの場合、だからといって大人たちとまったく異質な思想を求めていたかといえば、そうではない。とにかくそういう思想で育ってきたのだから、異質であっても困る。本質的には同じでありながら、それを超えてゆくことのできる何かを、そのとき日米の若者は求めており、それがビートルズだった。
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ビートルズは、アメリカにたいする異質な存在としてアメリカを揺るがしたのではない。停滞しかけていたアメリカ的な現実主義やヒューマニズムをさらに活性化させる起爆剤として機能していったのだ。彼らは、アメリカよりももっとアメリカ的なロックンロールバンドとして、アメリカに上陸していったのです。
そしてアメリカに追随していた日本の団塊世代もまた、同じようにいっそうアメリカ的な音楽として熱狂していった。
そのころ西側世界は、どの国もアメリカ的なコンセプトで国家経営をしようとし始めていた時期だった。というか、アメリカが強すぎて、もう資本主義経済をそういうかたちに持ってゆくしかない状況になってきていた。
したがって、アメリカを制することは、世界を制することだった。
いずれにせよ、ビートルズが、アメリカの若者や日本の団塊世代を熱狂させたということは、それなりにあくどい現実主義や嘘っぽいヒューマニズムをそなえていた、ということを意味するはずです。
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ビートルズが本格的にアメリカに上陸していった記念すべき曲は、「プリーズ・プリーズ・ミー」。リードボーカルであるジョン・レノンの不安神経症的な資質がうまく生かされ、とくに「カモン、カモン、カモン、カモン、プリーズ、プリーズ、ミー、オー、イエイ」とたたみかける部分などは、既成のアメリカンロックにはないしゃれた色気と熱っぽさがあった。この騒がしく攻撃的な感触が、倦怠気味だったアメリカの若者を鼓舞し、熱狂させた。
そしてこの詞は、恋する男の子なら世界中の誰もが思い当たるような気分が語られ、その切り口の鮮やかさがジョン・レノンの詞の真骨頂だった。
初期のビートルズのラブソングは、女の子をかきくどくパターンの詞が多い。それは、世界中の若者たちに向かって発信されており、そういうあくまで全方位的な生活感のない歌詞でグローバルな人気を獲得していったのだった。
彼らは、リバプールというイギリス一の港町で生まれ育った。港町は、世界中の人間がやってくるし、世界中に出てゆくことのできる拠点でもある。じっさい彼らはデビュー前の一時期ドイツのハンブルグで活動しており、そういう無国籍的なある種のセックスアピールとしたたかさとを持っていた。
彼らは、当時のイギリスの若者らしい熱っぽさをそなえてはいたが、けっしてイギリス的であったわけではない。あくまでアメリカ的な、ストレートで屈折のない現実主義と恋愛感に訴えかける魅力を持っていたわけで、それは、イギリスの若者の気質とはちょっと違っていたのです。
イギリスの若者は、いまなお厳然と残る階級社会の中に置かれ、のちにパンク・ロックを生み出したように、どの国の若者にもないような独特の鬱屈した感情を持っていたのだが、アメリカや日本の団塊世代の若者にはそうした固有の意識はなかった。
つまり、60年代前半のアメリカや日本では、みんな同じような恋をしていた、ということです。だから、ビートルズの歌詞がしっくり彼らの気分になじんだし、ビートルズ自身もまた、抜け目なくそこをついていった。