団塊世代とビートルズ

あと2週間くらいしたら、「団塊世代が犯したエラー」という本を出します。小さな出版社だから、アマゾンかセブンイレブンの検索でしか見てもらえる機会はないと思うけど、もし興味がある人がいたら、当たってみてください。
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団塊世代の青春を色濃く染め上げたビートルズという存在は、いったいなんだったのか。その音楽性はともかくとして、いわゆるビートルズという精神に対する疑問は、少なからずあります。
まずビートルズが登場した60年代前半の、時代背景から考えてみたいと思います。
ビートルズはもちろんイギリス出身のロックグループだが、あのころヨーロッパ先進資本主義諸国は、けっして幸せな時代ではなかった。産業革命いらい、つねに世界のトップをきって資本主義経済と近代合理主義を展開してきた疲れが一挙に表面化してきた時代だった。どこか暗く、元気がなかった。とりわけイギリスは、古い階級社会を残しているということにおいて、いっそう深刻な停滞を余儀なくされていた。アメリカ経済の急激な拡大に、世界におけるみずからの既得権益が次第に侵食されていった、ということもあるのかもしれない。それまでアメリカにたいしてはかつての宗主国としての優越感はとうぜんあったはずだが、逆にうらやむ立場に立たされることになった。
おそらく旧来の制度を守ろうとする階層にはそれを認めるまいとする気分や鈍感さはいぜんとして抜きがたくあったろうが、社会に不満を抱く若者たちは、いちはやくそうした時代の流れに気づいていたはずです。
当時アメリカのブルースやプリミティブなロックンロールに世界じゅうでもっとも熱狂していたのは、イギリスの、ことに労働者階級の若者たちだった。彼らにとってアメリカ文化を受容することは、そのまま今なおアメリカへの優越意識を守ろうとする自分たちの階級社会にたいする反抗でもあったし、その音楽は歴史上どの時代にも存在しなかったまったく新しいそしてもっともアメリカらしいサウンドであった。彼らにとってアメリカは、みずからの国をルーツとする同じ英語圏でありながら、新しさと古さと、そして住みやすさと住みにくさにおいても際立って対照的であり、そのあこがれは彼らならではの何かひとしおのものがあったに違いない。
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一方おなじころのアメリカにおいては、その音楽はもう納屋に置き去りにされた使い古しの芝刈り機のようなものでしかなく、彼らは彼らでヨーロッパの伝統にたいするあこがれが拭いきれず、シャンソンやカンツオーネなどのテイストもときに巧みに取り入れた、より舌ざわりのいいポップサウンドに傾いてゆきつつありました。
当時のポップミュージックの世界的な潮流はアメリカとフランスとイタリアが拮抗しており、アメリカのヒットチャートにフレンチポップスやカンツォーネが登場してくることもすくなくなかった。
そんな状況の間隙を縫っていちばん影の薄かったイギリスから、ビートルズをはじめとする時代を決定するようなさらに大きな波がアメリカに上陸していったのは、いかにも皮肉であった。しかしまったく必然性がなかったともいえない。フランスやイタリアがつねに自国の音楽にたいするプライドを手放さなかったのにたいし、イギリスの若者たちにはそういうものがないぶん、そこにはアメリカ以上にアメリカの音楽にたいする尊敬と愛着がこめられており、そのストレートな熱い気持ちがアメリカを誘惑したのでしょう。
ビートルズの成功は、当時のアメリカのもっとも求めるものを完璧なかたちで提出して見せたことにある。それは、アメリカのアイデンティティのうえにかつての宗主国イギリスのにおいとヨーロッパの洗練を装飾してゆくことにあった。アメリカに上陸した当初のビートルズサウンドは、ロックンロールの熱っぽさとどこかヨーロッパ的なエレガントな甘さをみごとにかねそなえていた。その甘さは、おそらく伝統的な社会に堆積したいわば無意識の「こく」のようなものであり、新世界アメリカにはない悩ましい色気がその音にも歌詞にもこめられていた。そうやって揺らぎかけていたアメリカの若者たちのアメリカにたいする信頼を再構築し、前進させてやったのだ。
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ビートルズは、アメリカのヒットチャートからフレンチポップスとカンツォーネを駆逐してみせた。そうしてそれ以後、それらは世界のポップミュージックの市場からも、イギリスアメリカをはじめとする英語圏の国によるロックのムーブメントに押されてしだいに後退してゆくことになる。
おそらくそのころのアメリカには、社会状況的にもナンバーワンなりの不安はあったのでしょう。キューバ危機以来の東西冷戦のさなか、つねに西側のリーダーとして立ち続けねばならないという緊張感にそろそろ疲れてきていたのかもしれない。ケネディという強力なカリスマを失った直後であったし、黒人による人権運動の高まりもあった。たとえは悪いが、政治家とか会社の社長とかそうした権力を手にしている人種がよくSMプレイをひそかな趣味にしていたりするように、当時のアメリカもまた何かに席巻されたいというマゾヒスティックな衝動がはたらいていたのかもしれない。
いったん上陸したビートルズの人気は、またたくまにアメリカ全土を覆っていった。コカコーラが世界中を覆い尽くしていった時代、アメリカを席巻することは世界を席巻することでもあった。そして当時のアメリカを席巻できるのは、世界中にイギリスをおいてほかにはなかった。なんといってもイギリスはアメリカのルーツであり、しかもそれは、アメリカのアイデンティティであるブルースやロックンロールを世界中の誰よりも熱く慕っている若者たちによってつくられた音楽だったのだから。
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アメリカは世界のナンバーワンであると同時に、世界でもっとも歴史の浅い国のひとつです。したがってみずからのアイデンティティにたいするこだわりと不安は、並々ならぬものがある。
現在世界でもっとも盛んなスポーツはサッカーであるが、アメリカ人にとってはそんなものよりアメリカンフットボールや野球のほうがずっと熱狂できる。アメリカの愛するものは、アメリカ的でなければならない。
アメリカは、世界のナンバーワンを自覚するがゆえに、もっとも辺境的なのです。屋根の上に昇ってはしごをはずされているようなものだ。これ以上昇ることも降りることもできない。そんなアメリカのしかも一番強かったときのアメリカを、ビートルズはほとんど一夜にして席巻してしまったのです。こんなことはもう二度とないであろう、と思えます。
これは、示唆的です。もっともよい国(社会)であることは、ときにもっともだめな国(社会)であることと同義である、ということです。
現在の日本にしても、歴史上人々がもっとも生きやすい時代にたどり着いているはずなのに、かつてないほど多くの自殺が発生している。
よい国(社会)であると自覚すればするほど、そのぶん生きものとしての衝動が希薄になってしまう。そしてだめな国(社会)だと自覚すれば、終戦直後の日本のように、生きものとしての衝動が抑えきれないほどエネルギッシュになったりする。前者が六十年代のアメリカだとすれば、同じころのイギリスは後者の状況におちいっていた。つまりそのときビートルズは、「よい国」であるアメリカの若者にはない生きものの匂いをむんむんさせながらアメリカに上陸していったのです。
われわれ団塊世代の子供たちは、敗戦直後の生きものの匂いをむんむんさせた大人たちの、そのあくどい現実主義とうそっぽいヒューマニズムによって、生きものの匂いを剥ぎ取られて成長していった。人間としてのしたたかさや傲慢さやのうてんきさだけはたっぷり植えつけられたが、その社会を生きてゆくバイタリティこそ、生きものとして生きることの熱っぽさを喪失していることの証しなのです。
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ビートルズが偉大だったというのではない。あくまでそういうめぐり合わせだったわけで、ビートルズが歴史をつくったのではなく、歴史がビートルズをつくったのだ。
ビートルズサウンドには意識的だったが、社会にたいする拒否反応においては、それが自覚的に歌詞にあらわされているというほどでもなかった。むしろイギリスという枠を越えた社会にたいする関心の多様さによってスムーズに世界に広まっていったのであり、ビートルズは時代をつくったのではなく、時代と歩調を合わせるように成長していったグループだったといえます。
ビートルズだけではない。時代をつくった人間など、いまだかつてひとりもいない。時代が人間を動かし、そうしたムーブメントになってゆくのです。