団塊世代が犯したエラー・8

ダンテの「神曲」の地獄篇に、次のような一節があります。
「永劫の呵責に遭わんとするものは、この門をくぐれ。
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 この門を過ぎんとするものは、いっさいの望みを捨てよ。」
打ちひしがれた戦後日本の人々は、この地獄門をくぐることを回避した。
われわれはもう、死者の怨霊と付き合ってゆかねばならない義理はない。そんなことは、勝者のすることだ、というわけでしょうか。
そして、あくどい現実主義と嘘っぽいヒューマニズムに居直って、望みを捨てることもしなかった。
天皇の戦争責任がどうたらこうたら、誰が戦犯であるかとかないとか、そんなことはどうでもいいことだ、と僕は思っています。戦犯が誰かといえば、日本人全体だろうし、日本という国だろう、と思っています。
そのときどんな清らかに生きた人だって、日本人として日本という国に生きていたのであれば、まったく関係ないとはいえないはずです。
戦争の罪は、悪いやつだけにおっかぶせればすむというものではない。いい人だって、それなりに「呵責」も「悲しみ」も引き受けなければならないところが、戦争の理不尽なところでしょう。
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無残に死んでいった人の横で自分だけ生き延びてきたなんて、そりゃあ、罪悪でしょう。なぜその人たちと、生と死を共有しなかったのか。できなかったのか。するのが人間だろう・・・・・・そう責められてもしかたない。いい人であればあるほど、そうやって自分を責めることから逃れられないでしょう。
生き延びてきたことを、生命力があったからだ、などという論理で納得できるなんて、よほどげすな根性の持ち主でなければできることじゃない。
僕の父は、撃沈された軍艦の、乗組員数百人のなかのたったふたりだけの生還者でした。ほかの人たちはみな、数日後に救助の船がやってくるまでに、こらえきれず海の底に沈んでいった。
僕が高校生のときに、父がその話をして自慢するものだから、僕は、上のようなへりくつをこねて口答えしてやった。あんた、それでよく恥ずかしくないな、と。
父は、苦い顔をして、黙ってしまいました。
殺してやりたいくらい憎たらしいやつだったけれど、彼は彼で、それなりに誠実な人間だったのかもしれない。
そして、そんなにも生命力の強い男の息子が、こんなにもひ弱で愚かなのだから、笑っちゃいますよね。
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日本人は、戦争責任を深く自覚していない、という声は内外から聞こえてくるけれど、さんざんB29の大空襲にあい、あげくに原爆を落とされ、世界一みじめな敗北を喫した国なのだもの、反省する心の余裕なんかなかったのだ。
ナチスがあんなひどいことをしたドイツの軍人や国民だって、日本人よりずっとたくさん生き延びたじゃないか。おまえらに、善良な日本国民に戦争責任を問う資格があると思っているのか。
われわれ戦後に生まれた子供たちは、大人たちの戦争責任なんか問わない。戦争があったかどうかということすら、よくわからないのだから。
そして、自分たちの育てられ方が間違っていなかったかどうかということも、問わない。そういう育て方をするしかない状況だったのだろうから。
しかし、自分たちがいい育てられ方をしたとよろこばねばならない義理は僕にはないし、いい育てられ方をしたと自慢できるほどいい思いをして生きてきたという記憶もないし、そんな立派な人間になったという思いも、さらさらない。
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明日からは、若者とはなにか、17歳とはどういう年頃なのかと問いつつ、団塊世代ビートルズの関係について考えていきたいと思います。