縄文人の定住化

「人類史のなかの定住革命」の著者は、なんだかうきうきして「戦略」という言葉を乱発しています。知能が発達した人類の戦略が、人類の歴史をつくってきたのだ・・・・・・ほとんどが、だいたいこういう調子の語り口です。そしてこういう語り口は、一見歴史を止揚しているようで、じつはコケにしているだけなのです。人間が歴史をつくってきたのではない、歴史が人間をつくってきたのだ。このことは、何度でもいいます。けっきょく彼らのいうことのいいかげんなところは、このことをちゃんと自覚していないことにあるのだから。
遊動生活からはぐれて新しい土地で暮らしをはじめなければならなかった者たちは、どんな「戦略」立てる余裕もなかったし、立てないで新しい環境のすべてを受け入れてゆくことこそ、どんな戦略よりも有効な手段だった。
そうやって受け入れていったからこそネアンデルタールは、マンモスを狩猟するという共同作業と、それにともなう社会性を身につけていったのです。
人類は、戦略的に定住していったのではない。定住するほかない状況に置かれたからだ。200万年前にアフリカを出た人類は、150万年後に行き止まりの地である極寒の北ヨーロッパにたどり着き、定住するほかない状況と出会ってしまったのです。そしてその経験が、やがて地球の隅々まで住み着いてゆくという歴史につながっていった。
遊動生活が定着した民族は、けっして拡散してゆかない。このことは、歴史が証明している。拡散していったのは、遊動生活であれ定住生活であれ、つねにそういう群れから脱落したりとび出したりしていった者たちだったのだ。そしてそういう者たちの「戦略」を持たないメンタリティによって、はじめて人類の地球拡散が可能になった。
人類の地球拡散は、人類の戦略ではない。戦略を喪失した「結果」なのだ。戦略を持たなかったから、見知らぬ土地の住みにくい環境と和解してゆくことができたのだ。
でなけりゃ、誰が好きこのんで氷河期のシベリアやアラスカに住み着いていったりするものか。言い換えれば、遊動生活は、つねに戦略的であるがゆえに、戦略外の事態に対処してゆかねばならない拡散という行動のエネルギーが生まれてこないのです。
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そこで著者は、「生態人類学」というカテゴリーを提唱します。世は、エコロジーブームですからね。たしかに、そういうかたちのアプローチもあっていい。しかしそれが、「蓄える戦略」が身についたから定住していったのだ、というのであれば、何の説得力もない。
また、縄文人の定住化は水産資源の確保を覚えた地域から始まった、というのでは、生態という概念のとらえ方があまりにも安直過ぎます。つまりここでも、定住化しようとする意図が生まれたから定住していったのだ、と言っている。そしてその意図がどこから生まれてきたのかといえば、魚や貝をたくさん獲れるようになったからだ、なんて、そんな論理は、従来の合目的因果律による説明とたいした変わりはない。狩猟採集生活から農耕生活に移ったからではなく、それ以前に水産資源を確保できるようになっていったからだ、と鬼の首でもとったようにいうが、どちらだって同じことです。
生態とは、その人たちの世界観や人と人の関係など、食糧生産以外の時間の過ごし方とも関わっている生活形態のことでしょう。ほとんどの原始人の場合、食糧生産に費やす時間は、一日のうちの2、3時間以内です。ネアンデルタールのように、運がよければまとめてマンモスをしとめて、あとのひと月は遊んで暮らす、という生活だってある。
定住しようと思って定住していったのではない、定住したから、定住していこうという気になっていっただけです。定住していない段階で定住しようという衝動が起きることは、論理的にあり得ない。なぜなら定住したことがないんだもの、それがどんな暮らしになるのかわからないのだから、「したい」となんか思いようがない。だからアフリカのブッシュマンは、200万年も遊動生活をしてまだやめない。
定住したから、魚や貝もたくさんとるようになっただけです。そんなことは、「原因」ではなく、「結果」なのだ。
この著者がそういう仮説を立てる根拠は、縄文時代前期の福井県の鳥浜遺跡から三方五湖若狭湾で取れた魚介類がたくさん出土していることから説明されているのだが、そこが最初とはかぎらない。それ以前に、魚や貝なんか獲れなくても、もう住み着くしかない状況に置かれて住み着いていった人々だっていたかもしれない。
縄文時代最大の遺跡が、前・中期の青森県三内丸山遺跡だとすれば、それほどの大きな集落になるまでには、きっと長い長い定住の歴史があったのでしょう。もしかしたら、鳥浜遺跡よりもずっと前からかもしれないじゃないですか。
べつに水産資源を確保できなくても、クリやクルミやドングリなどを貯蔵して、なんとか冬を越すこともできる。水産資源を確保できる地域もあれば、できない地域もある。確保できることが先駆者であることの資格ではない。定住しようとする意図を持つのではなく、定住するほかない状況に置かれた者たちが先駆者になるのだ。
定住する能力が定住という生態を生んだのではなく、定住したから定住する能力が獲得されていったのだ。
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ブッシュマンは、定住がいやなのではなく、定住というイメージを持っていないのです。定住したことのない人間が、定住のイメージを持つことは不可能なのです。それでも人間の歴史には、定住するほかない状況がやがて生まれてくる。
遊動する群れの暮らし振りがよくなって定住していったのではない。暮らし振りがよくなれば、なお遊動することにこだわるでしょう。だからブッシュマンは今でも遊動しているのだし、一定地域を遊動し続けるアフリカ・サバンナのホモ・サピエンスが世界中に拡散していったということもあり得ないのです。
拡散していったのは、そういう群れやネットワークから追い出されたりとび出したりしていった者たちであり、そういう漂泊する者たちが、人類史上最初の定住者になっていったのです。
人類は、定住したくなったり定住できるようになったから定住していったのではなく、定住するほかない状況に置かれたからであり、もっとも定住とは縁のない者たちが定住してゆくというパラドックスとして実現していったのだ。だから、シベリアやグリーンランドやアラスカなどという、とんでもなく住みにくいところにも住み着いていった。もしも意志や能力だけで住み着くのなら、チンパンジーやゴリラと同様、今なお温暖な限られた地域だけにしか住み着いていないはずです。
シベリアに住み着く能力は、シベリアに住み着いてから獲得されていったのです。ゆえに、4万5千年前のアフリカのホモ・サピエンスが、氷河期の北ヨーロッパに進出する前に、そこに住み着いてゆくことのできる能力をすでに持っていたということもまた、あり得ない話であり、そこでもしネアンデルタールと共存すれば、脱落してゆくのは、まちがいなくホモ・サピエンスのほうなのだ。
ミトコンドリア遺伝子がどうのというような安直な判断からひとまず離れ、そういうことを考えてゆくのが、「生態人類学」というのではないのですか。よくはわからないけど。