人類拡散の逆説

5万年前の北ヨーロッパで、大きな群れの中に寄り集まりながら寒さに耐えて暮らしていたネアンデルタールは、大量の脂肪分を摂取するために、チームワークによるマンモスなどの大型草食獣の狩をしていた。彼らは、そのさいによく骨折をしたりしていたというから、それはもう命がけの狩だったのかもしれない。つまりその狩のチームは、すでに「軍隊」だった、ということです。
いっぽう、同じころにアフリカのサバンナで家族的小集団による移動生活をしていたホモ・サピエンスは、とうぜん個人または少人数の狩になったのだろうから、そう大きな獲物は狙わなかったでしょう。アフリカのサバンナで象やカバの狩をしてその場で解体していたら、たちまちライオンなどの肉食獣に嗅ぎつけられ、横取りされてしまう。彼らの狩にはスピードや機動力はあっただろうが、それほど激しい肉弾戦をとることはなかったにちがいない。
アフリカのホモ・サピエンスがいきなり北ヨーロッパに行ってマンモスの狩をしようとしてもそんな闘争心も組織力もなかっただろうし、彼らは、ネアンデルタールの敵どころか、ライバルにすらなれなかったはずです。両者が戦えば、闘争心が旺盛なネアンデルタールが勝つに決まっている。
したがって、アフリカのホモ・サピエンスが大挙して北ヨーロッパに移動していったということなどは、論理的にありえない。
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人類は、十万年前の時点で、すでにアジアとヨーロッパのほとんどの地域に拡散していた。そういう在来種のミトコンドリア遺伝子が、いつの時代にもどの群れにも存在する群れをとび出す若者たちによって運ばれ、しだいに世界中がホモ・サピエンス化していっただけです。
最近の研究では、現在の日本人のミトコンドリア遺伝子には、アフリカ・アジアをはじめ、15種類くらいの、世界中の地域から運ばれてきた成分が含まれているのだとか。それは、それらの地域からやってきた人びとが集まって日本列島に住み着いていったことを意味するのではない。おそらく十万年前には、すでに日本列島にもそれなりの数の人びとが住んでいたのです。人が行かなくても、遺伝子はただ、順送りに伝わってゆくだけです。
原始人は、長い距離の旅なんかしない。そんな衝動も能力なかったのだ。もとの群れの外に新しい群れをつくるとか、決められた地域内をぐるぐる回っているとか、隣の群れに身を寄せてゆくとか、せいぜいそのていどの移動しかしていないはずです。しかしそのていどのことを、いつでもどこでもやっていれば、遺伝子はやがて世界中に運ばれてゆく。
すくなくとも十万年前までの歴史においては、われわれ日本人は、すでに日本列島に住み着いていた在来種の子孫であって、アフリカからやってきたわけではないし、東南アジアや蒙古からでもない。つまり、そういう地域から伝わってきた遺伝子を持っている、というだけのことだ。
他者と祝福し合おうとする人類の群れは、祝福し合うがゆえに、若者をはじき出すと同時に、訪れてきた若者を受け入れる習俗を持っている。そういう習俗によって世界中に遺伝子が拡散していっただけです。
1万年もあれば、もっとも遺伝力の強い遺伝子が世界中を覆ってしまう。5万年前の人類は、アフリカからヨーロッパそしてアジアと、くまなく生息していたのです。だからそのぶん遺伝子の伝播もスムーズで早い。アフリカのチンパンジーと東南アジアのチンパンジーとの離れた関係とは、わけがちがう。
ミトコンドリア遺伝子は、母親からしか伝わらない。そして人類においては、けっきょくはもっとも長生きできるホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子が残ってゆくことになる。それは、ミトコンドリア遺伝子が伝播しただけのことであって、現代のアジア人やヨーロッパ人がアフリカからやってきたホモ・サピエンスの末裔である証拠ではない。アジア人もヨーロッパ人も、そんな顔をしていないじゃないですか。
人間の種は、そうかんたんには滅びない。百万年も極寒の北ヨーロッパで生き延びてきたネアンデルタールがそうかんたんに滅びるはずがないし、もっとも寒さに弱い熱帯種であるアフリカのホモ・サピエンスが氷河期に爆発的に人口を増やしながら世界中に移動して他の全人類にとって代わる、ということもまた、さらにありえない話です。
ホモ・サピエンスが熱帯のウイルスを世界中にばらまいて他の人種を絶滅させてしまったとか、そんな幼稚で空々しいつくり話を、誰が信じるものか。
「置換説」の研究者たちは、はじめに置換ありき、はじめに他の人種の絶滅ありきで、何もかもつじつまを合わそうとする。合うはずのないことを、むりやり合わせてしまう。そんなことをする前に、そういうことが起きることの可能性と不可能性を、どうして虚心に検証しようとしないのか。
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原始人は、ほかの人間がまだ住んでいない地域に新しい群れをつくっていったのであって、すでに住人がいるところに競合して新しい群れをつくるということはしなかった。するような種であれば、人類が地球の隅々まで拡散してゆくということなど起きていない。
サバンナの男たちは、個人の能力でパートナーの女を獲得していった。そのために彼らは、個人の能力の通用しない、地域のネットワークの外に出てゆく(=拡散してゆく)ことはしない。それにたいして、ネアンデルタールをはじめとする北の民は、大きな群れの中の祝福し合う心性による「乱婚」の状態を生きていた。そのダイナミズムが、群れの外にまた新しい群れができてゆくというかたちを生み、その繰り返しで人類が拡散していったのだ。
人類拡散は、移動の能力や衝動によって実現したのではない。寒い土地でも寄り集まって祝福し合おうとしたからだ。そのように定住して住み着いてゆこうとすることによって拡散していったのだ。
縄文時代は、寒いはずの関東・東北のほうが圧倒的に人口が多かった。4万年前のヨーロッパのネアンデルタールとアフリカのホモ・サピエンスの関係も、おそらくこんなような状況だったのだろう。そして、弥生時代になって日本列島全体の人口が平均化していったということは、関東・東北人が拡散していったということを意味する。
歴史の法則として、人間の群れは、いい暮らしをしているから人口が増えるというものでもない。ひどい暮らしでも寄り集まって住み着いてゆこうとするところで、人口が増えるのだ。「貧乏人の子だくさん」というように、それは、個人の家庭でも社会のレベルでも同じです。
人間の子供は、成長が遅い。とくに「ネオテニー幼形成熟)」であるホモ・サピエンスは、早熟のネアンデルタールよりもずっと遅い。移動生活をする群れや母親じしんが、そういう形質の子供を一度にまとめて育てるということは困難です。移動生活は、子供を育て人口を増やすということに、とても効率が悪い。人類は、定住することによって、爆発的に人口を増やしたのだ。したがって、移動生活をしていたアフリカのホモ・サピエンスが爆発的に人口を増やしながら地球の隅々に拡散してゆく、ということは論理的にありえないのです。
拡散のダイナミズムとは、新しい群れをつくろうとして定住してゆくことです。定住してゆくことが、拡散することなのだ。だからそれは、寒い土地から起きてくる。そういう逆説として人類拡散が実現していったのであれば、その現象を担う資格は、ホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタールにこそあった。ホモ・サピエンスはただ、ヨーロッパのネアンデルタールやアジアのホモ・エレクトスというそれぞれの地域の在来種に、長生きできるミトコンドリア遺伝子を提供しただけです。
アフリカのホモ・サピエンスは、アフリカから一歩も出ていない。その遺伝子だけが、ホモ・サピエンスと生息域を接していた他の在来種(=ネアンデルタール)を起点として、世界中に拡散していっただけでしょう。