ラグビーは、サッカーから派生してきたスポーツです。
もともとサッカーは、体をぶつけ合い、ボールを奪い合うゲームだった。つまり、その起源において、すでにラグビーの要素も併せ持っていた。
というわけで、イングランドのサッカーは、伝統的にあたりが激しい。ヨーロッパのチームは、おしなべてそういう傾向があります。とくにスエーデン・ノルウェー・ロシア等々、北に行けばいくほど肉弾戦を仕掛けたがる。
彼らは、肉弾戦が好きなのです。これは、ネアンデルタール以来の伝統でしょう。
ネアンデルタールは、集団で大型草食獣を窪地に追い込み、接近戦を挑んでゆくという狩をしていた。
だから、骨折したり、生傷が絶えなかった。
10−5万年前の地球上には、ヨーロッパのネアンデルタール、アフリカのホモ・サピエンス、アジアのホモ・エレクトス、この三つの人類種がいた。しかし、こんなに激しい狩をするのは、おそらくネアンデルタールだけだった。
マンモスなどの大型草食獣を仕止めるのは時間がかかるし、集団でチームを組まなければできることではない。それだけのチームを組めるだけの群れをつくっていたのは、寒冷地のネアンデルタールだけだった。
また、獲物を持ち帰るにも、その場で時間をかけて解体し、持てる大きさに分けなくてはいけない。こういうことができるのは、肉食獣の少ない北の果てだけであり、赤道直下でそんなことをしていたら、たちまち嗅ぎつけられて横取りされてしまう。
鉄砲や弓矢があったわけでもない原始人にとっての大型草食獣の狩は、集団で肉弾戦を挑んでゆく以外になかった。
そしてネアンデルタールがそういう狩をしていたということは、そういう必要があったということだけでなく、そういう肉弾戦が好きだった、ということを意味します。一人だけ向かっていっても、蹴散らされるだけです。みんなで、一斉にぶつかっていった。それほどに、そんな荒々しい狩が好きだった。血がたぎった。
そんなことをしていたら、死ぬ者だって出てくる。それでも、やめなかった。
しかし、死ぬことを恐れなかったら、これほど興奮するゲームもない。もう死んでもいい、と思えるほどのエクスタシーが、そこにあった。
彼らは、アフリカのホモ・サピエンスと違って、川魚なんか見向きもしなかった。
そういう伝統から、サッカーやラグビーが生まれてきた。
イギリス貴族のジョンブル魂というのは、戦いのとき貴族は、リーダーとして先頭に立って突き進んでいかなければならない、というものです。これは、ただたんに責任感とか、犠牲的精神というようなものではない。先頭に立って戦いを挑んでゆくことほど、血沸き肉躍ることもないからです。そういういちばんおいしい役目こそ、貴族の特権だ、というわけです。責任ではなく、特権なのです。それが、責任とか犠牲的精神というように変わってきたのは、おそらく近代のころになってからのことでしょう。
レヴィ=ストロースがレポートしたアマゾン奥地のナンビクワラ族の群れの首長だって、首長の特権のいちばんのものは、戦いのときに先頭に立てることだ、と答えている。
だからイギリスでは、肉弾戦そのものであるラグビーは上流階級のスポーツで、実際上流階級の子弟のほうが上達する。彼らは、血沸き肉躍る喜びを遺伝子の中に持ち、そういう教育をされて育ってゆく。
一方テクニカルな要素の強いサッカーは、労働者階級の子弟のほうが、圧倒的にうまくなる。彼らは、人生の困難に耐えてやりくりしてゆく生き方を強いられているし、サッカーはまさに、そういう人生の中の喜びを表現するスポーツなのです。
ネアンデルタールは、死を恐れないメンタリティを持っていた。それは、彼らが、明日も生きてあるかどうかわからない状況(環境)を生きていたからであり、現代人と違って、明日のことを勘定に入れて生きるようないじましい根性は持っていなかった。

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