考えてもみてください。ネアンデルタールの遺伝子とホモ・のサピエンスのそれが違うのは当たり前じゃないですか。そして混血しても、母親からしか伝わらない一部の遺伝子(ミトコンドリア)がどちらかのものになってしまうのも、当然でしょう。そのときの気候環境や生活レベルによって、群れのミトコンドリア遺伝子は、数百年のうちにすべてどちらか一方が覆ってしまう。
そうやって混血してホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになった北アフリカ人が西アジア人にその遺伝子を伝え、西アジア人がブルガリア人に伝え、ブルガリア人がドイツ人に伝え、ドイツ人がフランス人に・・・それだけのことでしょう。
どういうミトコンドリア遺伝子のキャリアであるかということなど、、人からもらった飴玉がポケットの中に入っているようなものでしょう。それでその人がどんな人種かということまで決められるはずがない。
人間の暮らし、というものも、もっとちゃんと考えていただきたい。遺伝子のデータを差し出したり、専門用語を使えば、えらいってものじゃない。
原始人が知らない土地を旅するということは、富士の樹海に入ってゆくようなものだったはずです。どうして好きこのんでそんなことをするでしょう。
群れは、旅などしない。あくまで住み着こうとするのが、群れの本性であり「共同幻想」というものです。
原始人にとって、見える景色の外は、「ない」と認識していただけです。誰もが、数頭の象の背中に支えられた円盤の上で暮らしていると思っていた。だから、住み着こうとしたのであり、3千年前のエジプト人でさえ、そう思っていた。
群れから追い出された(飛び出した)者だけが、旅をするほかなかった。旅といっても、近くの群れに身を寄せてゆくだけです。
原始人にとって旅をすることは、ひとつのギャンブルだったのであり、群れ(共同体)は、ギャンブルしない、するのはあくまで個人としての生命衝動に促されたときだけです。まあこの話をすると長くなるからやめますが、とにかく原始人は住み着こうとしたのであり、住み着こうとする衝動が旺盛だったからこそ、ネアンデルタールのように極北の地を生き抜いた群れも現れてきた。
そして住み着こうとする衝動が旺盛だったからこそ、世界中に拡散した。つまり、世界中に住み着くことができた、ということです。
人類拡散は、そういう逆説の上に成り立っているのであって、研究者が言うような「好奇心」とか「獲物を追いかけて」とか、そういう幼稚な空想の中にあるのではない。
4万年前に、ヨーロッパに上陸していったアフリカのホモ・サピエンスなど、一人もいない。
アフリカのホモ・サピエンスには、拡散しようとする衝動も、する能力もなかった。
われわれは、そう考えます。
いずれにせよ、分子学などまだ緒についたばかりで、これからどんなデータが出てくるかわからないですよ。
たとえどんなデータが出てきても、俺は置換したと信じる・・・そのときにそう言う覚悟が、置換説を唱える研究者にはあるのでしょうか。言ってくれないと、困る。それだけえらそうに言うなら、墓場まで持っていくべきでしょう。
われわれは、墓場まで持ってゆく覚悟をしていますよ。そうじゃなきゃ、こんなブログをはじめない。

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