[ネアンデルタールの脳容量は、現代人より多かった」

まず、このことからはじめようと思います。
置換説では、誰もが、ネアンデルタールは知能が劣っていた、という前提で考えようとしている。だから強引に、前頭葉が発達していなかった、という証明できるはずもない結論に持ってゆく。
ネアンデルタールの脳容量が多かったのなら、そのぶん知能も発達していたのだろうと、なぜひとまず信じようとしないのか。
なにも新しい石器を作り出すことだけが、知能の働きではない。寒さに耐えて北の地で生きてゆこうとすることにも、みんなで仲良くして大きな群れを維持してゆこうとすることにだって、知能は必要でしょう。
ネアンデルタールは、百人から百五十人の群れをつくっていた、といわれています。研究者の言によれば、これは、軍隊の一個師団の数とほぼ同じで、人間がいちばん群れとして集まりやすい数なのだとか。冗談じゃない。人間は、すぐ勝手なことをしたがる生き物です。寒さに震えながら生きていたネアンデルタールのように、集まらないと生きてゆけないような状況におかれたときに、はじめてその意欲を持ち、その必要に応じて群れの規模が決定されてゆく。家族的小集団で移動生活をしていた歴史と伝統を持つアフリカ人の軍隊は、それだけの数ではまとまりがつかなくなってしまうといわれています。
つまりヨーロッパの軍隊の一個師団は、ネアンデルタールの群れの規模に由来しているのだ、ということかもしれない。
いずれにせよ、現代の軍隊がそれだけの数の集団を組織できるのは、厳しい規律で個人を縛っているからです。では、そういう規律などほとんどなかった原始人のネアンデルタールがなぜそれだけの数の群れを組織できたかといえば、それだけの必要と、それだけの意欲と、それだけの人間関係をやりくりしてゆく知能を持っていたからでしょう。
また、ネアンデルタールの脳容量が多かったということは、彼らはそれだけたくさんの食糧を生産し、たくさん食べていた、ということです。たくさん食べなければ、大きな脳を維持できないし、寒さにも耐えられない。アフリカのホモ・サピエンスネアンデルタールよりワンランク上の石器文化を持っていたからといっても、実際の食料生産においては、ネアンデルタールのほうが上だったはずです。それが、ネアンデルタールの脳容量のほうが多かったということの意味するところなのではないでしょうか。
ホモ・サピエンスには新しい石器を作り出す知能と軽薄さを持っていたし、ネアンデルタールは古いままの石器を使いこなしてゆく知能と技術に対する探究心を持っていた。まあこのことには、狩猟の方法や狩猟の対象の違いなどもかかわってくる問題であろうとは思うのだが、その考察は、いずれまた、ということで。

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