前頭葉の働きは、石器を作り出すためだけのためにあるのではない・・・引き続きこのことを考えてみます。
そのもっとも重要な働きのひとつに、対人関係をやりくりしてゆくことがあるのだとか。
たとえば、家族は、けんかしたってすぐ仲良くなれる、わざわざ仲良くしようとする必要のない集団です。
しかしいったん家族の外に出れば、たとえ友達どうしでも、それなりの気遣いは必要になってくる。
家族的小集団で移動生活をしていたアフリカのホモ・サピエンスと違って、家族を持たずに大きな群れで行動していたネアンデルタールの人間関係は、ホモ・サピエンスよりもずっと複雑で、それなりの「気遣い」という前頭葉働きを必要としたはずです。
研究者たちはよく、ホモ・サピエンスのワンランク上の石器文化は彼らの未来を見通す計画(発明)能力をあらわしている、という言い方をするが、人間にとって「未来」とは何か、と問うた場合、他者もまたひとつの「未来」であり、他者との人間関係をやりくりしてゆくということもまた、「未来」を見通す能力の上に成り立っている。
家族のようにすでに仲の良い関係であれば、わざわざ仲良くしようとする必要もないが、家族の外では、「未来」に向かって仲良くしてゆこうとする関係の上に成り立っている。そのとき「私」という存在にとっての「他者」は、つねに「未来」としてたち現れてくる。「他者」は、「私という現在」の外部なのです。そういう空間的な要素を含んだ「他者という未来」のほうが、単なる時間的な未来より、はるかに高度な前頭葉の働きを必要とする。人間の頭を混乱させるのは、いつだって、そういう人間関係であって、明日のスケジュールではない。明日は必ずやって来るが、他者の心も行動も、自分の思った通りにはならない。
研究者は、こういうことをよくクロマニヨンと比べたがるのだが、それはフェアではない。まず、アフリカのホモ・サピエンスと比べて、後者の人間関係のほうがネアンデルタールのそれよりずっと複雑だったと証明してみせなければならない。それをして、初めて置換説が成り立つ。
家族的小集団で行動していたアフリカのホモ・サピエンスの人間関係は、単純で予定調和的であった。おそらくそういう人間関係を洗練させていったから、その後の歴史で「国家」をつくれなかったのだろうと思えます。
一方、家族を持たないネアンデルタールの群れは、ほおっておけば、すぐばらばらになってしまう危険をはらんでいた。
七万年前の時点で、アフリカの中南部に閉じ込められていたホモ・サピエンスに対して、ネアンデルタールは、ヨーロッパから西アジア中央アジアおよびおそらく北アフリカまで拡散していた。それは、群れから飛び出す者を生み出しやすい集団だったからでしょう。そういう者たちが、当時の氷河期の寒冷気候に強いネアンデルタールの遺伝子を運んでいった。べつにネアンデルタールの群れがまるごと膨らみ拡散していったのではない。どんな人間も生きにくい環境であった氷河期に、そんな安手の劇画みたいなことが、起こるはずがない。要するに、アフリカのホモ・サピエンスは、家族間のネットワークである「部族」の外には出たがらない人種であったが、ネアンデルタールは、現代のヨーロッパ人のように、群れから飛び出す者を生み出しやすい傾向があった、ということです。
しかしそれでもネアンデルタールは、その前頭葉の働きで、けんめいに群れを維持し続けたのです。群れを維持してゆくことのできる生態とメンタリティを持っていたのです。
ネアンデルタールは、寒さというストレスを、群れ集まることによって処理していた。そしてそのためには、豊かな前頭葉の働きが必要だったから、脳が発達したのでしょう。
江戸時代の百人から百五十人の村落だって、さまざまな村独自の習俗や掟(制度)をもっていた。人間が百人から百五十人集まって群れをつくることは、そういうことが生まれてくるくらい厄介な事態なのです。何の知能も努力も必要ないような簡単で当たり前のことではない。
人類は、アフリカを出て北ヨーロッパにたどり着くことによって、初めて百人から百五十人の群れを組織できるようになった。つまり、そこから都市や国家が生まれてくる歴史の第一歩が踏み出されたということではないか、とわれわれは考えます。

人気ブログランキングへ