自意識と宗教・神道と天皇(158)

偏見を承知であえていわせていただくなら、宗教者なんかみな自意識過剰の俗物さ、と思わないでもない。
とはいえ、宗教とは何か、ということの定義も、けっしてかんたんではない。
世間ではよく「ほんものの宗教」と「にせものの宗教」というような分け方をするが、ほんものであればいいのかとい疑問も湧く。
オウム真理教は、最初のころは吉本隆明中沢新一をはじめとする宗教シンパのインテリたちから「ほんものだ」と評価されていた。その評価が間違っていたとはいわない。「ほんもの」だからこそあんな事件を起こしたのだろう。9・11の事件で世界を震撼させたイスラム教だって、「ほんもの」だからこそにちがいない。
彼らにおいては、世界や宇宙の仕組みはすでに決定されているのであり、それが何かと問うことはないし、彼らと違う世界観や宇宙観はすべて排除しなければならない。排除しなければ、彼らの正しさは証明されない。
宗教とは、この世界や宇宙の仕組みが神や仏によってすでに決定されている、と信じ込むことだとすれば、それはとても変だ。われわれにとっては、世界や宇宙どころか、道端の草や石ころの存在だって不思議そのものであり、この世に不思議でないものなど何もない。「自分とは何か」ということも、死ぬまで問い続けるほかない問題にちがいない。
日本人は宗教心が薄いから、そうかんたんに信じ込むことなんかできない。それはひとつの病理ではないか、とさえ思う。
日本列島に入ってきた仏教は、時代とともに宗教的な性格がどんどん薄められてゆき、たんなる哲学とか民間の習俗とか政治や金儲けの道具とかになっていった。
中世の禅などは「宗教からの解放」こそがその中心命題になっていたし、それゆえに広く流布してゆくことになった。日本列島の伝統においては、そのように逆説的にしか宗教を肯定するすべはないのだ。
あるオウム信者がこういった。「世の中の人の多くは宗教を哲学か思想のように考えているが、それは間違っている」と。そうかもしれない。だからオウム真理教は「ほんもの」であり、「ほんもの」であるがゆえに病んでいる。

僕の知り合いに、30代の5,6年を禅の寺で修行した男がいる。20代のころは風来坊のような暮らしを続けていたが、ずっと宗教には興味を抱いていたらしい。
禅はもともとインテリ好みの宗教で、今や世界中で認知されている。そうして彼は優秀な修行者でもあったとかで、住職からは、早く得度して正式な坊主になれとせかされた。
でも、けっきょくふん切りがつかずに逃げ出した。
宗教という秩序の世界に安住することができなかった、ということだろうか。
そのあとの俗世間での仕事は20年くらい続いたらしいが、老母を養うという家庭の事情があったからで、仕事も人間関係もいやでいやでしょうがなかった。
だから老母の死とともにその仕事もやめ、今度は50代半ばの身でインドや東南アジアのバックパッカーの旅に出た。もともと仏教に対する素養があるから、いろんな寺院を訪ね歩くことができたし、安いゲストハウスに泊まってさまざまな外国人と出会うこともさらに楽しかったという。
彼が巡礼したのは仏教ゆかりの土地ばかりだったっが、ゲストハウスに泊まっているときは、毎日村や町を歩き回って気が向いたら茶店に立ち寄るということばかりしていて、ほかのバックパッカーのようにお寺を訪ねて座禅をさせてもらうということは一切しなかった。旅をする前はそんな計画も立てていたのだが、いざ来てみるともう、そういう気分にならなかった。
最初は二・三か月のつもりだったのに、気がついたら二年くらい飽きずに放浪していた。
人生で初めて解き放たれた気分を味わった、という。
彼の人生は、若いときから宗教にこだわって社会からドロップアウトしていったのだが、宗教の世界もけっして安住の地ではなく、俗世間に戻ればさらに居心地が悪く、最終的には宙ぶらりんの旅人になって、やっと人心地がついた。
たぶん彼は、そこで自分の体にたまった宗教の垢を洗い流してきたのだろう。彼は彼なりに、真に「清浄」な世界を夢見て生きてきたのだろう。何しろ日本人なのだから。
もと禅坊主がインドやネパールを旅して、誰よりも非宗教的になっていた。ダライ・ラマとも握手してきたらしいが、彼に言わせると、敬虔な宗教者というよりは天皇陛下のようなほのぼののとしたお人だったのだとか。

宗教によって宗教の垢を洗い流す……禅をはじめとして、日本列島の宗教はおおよそそのような傾向を持っているのかもしれない。
日本列島の住民は、俗世間とも宗教の世界とも無縁の、そういう「異次元の世界」に対する遠い憧れを持っている。日本人にとっての聖なる世界は、宗教の世界ではない。宗教だって、しょせんは俗世間のことだ。だから宗教は、政治の世界と結託することができる。
日本人にとっての「漂泊」とか「遁世」というのは、宗教からも離れてゆくことにある。
中世の法然空也も一遍も親鸞も、あのころの真に「聖=清浄」なるものを求める僧の多くが、比叡山の修業を捨てて「漂泊」の旅に出た。乞食坊主こそが、彼らの理想の姿だった。
仏教の修行なんか捨てるのが、日本列島の仏教なのだ。修行なんか俗物のすることで、そうやって自意識を満足させているだけのこと。前述の彼は「現在の禅僧の90パーセントは俗物ばかりで、残りの10パーセントは俺が会ったことのない人だ」といっていた。まあ、そんなところだろう。
僕は、宗教者がいったい何を求めているのかということがよくわからない。
人は何かにせきたてられて生きているのであって、この生もこの世界も無常であるのなら、追い求める何があるというのか。
前述の彼にしても、何かを求めて禅の寺に入ったのだろうが、求めるものなど何もないと気づいただけだった。生きていればいいだけだし、生きてしまっているだけのこと。
生きなければ、死んでゆくことはできない。人は、死にせかされて生きている。生きていると思うことは、死が存在すると思わされることだ。
人は、この生に退屈して、何かを追い求めてゆく。まあ、人生に退屈しはじめて認知症になってゆく老人は多いし、座禅をはじめる老人もいる。。
彼も、いよいよ60代半ばを過ぎて老人の範疇に入ってきたが、今、文章を書くことに熱中しているのだとか。旅の思い出とか現在の生活周辺のこととか、書くことはいくらでもある。べつに人に読んでほしいということもないが、書くことが生きることだ、という。自分のまわりの森羅万象を、文章でスケッチしているだけのことさ、といって笑う。
世の中の文章家のほとんどはどこかに発表するために書いているが、有名な絵描きの中にも発表するつもりも売る気もないまま死ぬまで描き続けたという人はけっこういる。息をしたりものを食ったりするように、具体的な生のいとなみとして絵を描く、文章を書く。
発表する気のない人というのは、自分が書(描)いている、という意識があまりないのかもしれない。何かにせかされて書(描)いている、書(描)かされている。

「私」とは何なのだろう。「私のいとなみ」などというものはない。すべては「宇宙のいとなみ」なのだ……といっても自意識過剰の現代人にはピンとこないのだろうが、まあ、「私」にこだわって認知症になってゆく老人もいれば、なんの目的もなく息をするように文章を書くことに熱中している男もいる。
「小人閑居して不善をなす」などというが、退屈しなければいいだけのことで、自意識過剰だから退屈してしまう。自意識過剰だからボケてしまう、インポになってしまう、アスペルガーになってしまう、発達障害になってしまう、退屈して不安になって宗教に取り込まれてしまう、そうやってさまざまに精神を病んでしまうという現代病がある。
まあ、人としてものを思ったり考えたりするることが健康にはたらいていれば、退屈することなんかない。
宗教は、この宇宙(森羅万象)の不思議をすべて解き明かしているように見せながら、人を退屈させてしまう。退屈させて、その不安に付け込んで洗脳してゆく。
日本列島の古代の民衆は、仏教に洗脳されてしまうなんて退屈なことだと思って、祭りの賑わいの上に成り立った「古神道」を生み出していった。
目の前の森羅万象の不思議に驚きときめいていればいいだけのこと……若いころには自意識過剰で禅の寺に駆け込んだ彼は今、そういうところに還っていったのかもしれない。