散華の思想は美しいか・神道と天皇(157)

市民政治、などという。
民主主義とは、市民が主体の政治、ということだろうか。
しかしこの世の中には、「市民」であることから脱落しているものたちが少なからずいるし、「俺は市民じゃないよ」とやさぐれて格好つけているものだっている。
弱いもの、だめなもの、やくざなもの……彼らは「市民」だろうか。まっとうな市民からは、まるで部外者であるかのように憐れまたり、疎まれたり、さげすまれたりしている。
戦後民主主義は、民衆に「市民」の自覚を植え付けたようだが、それでも日本人の多くが、心のどこかしらに「自分は市民ではない」という気分を抱えており、それが日本人の「旅心」であり「無常感」でもある。
誰にだって、この社会からはぐれてしまっている心はある。だから「憂き世」という言葉が日本人の心に響く。
まっとうな市民の範疇からはぐれてしまったものたちは、どこへ行けばいいのだろう、どこに居場所が見つかるのだろう。
まっとうな市民というか、まっとうな日本人のつもりの顔をした右翼が「この国を愛せないのならこの国から出てゆけ」という。しかし「憂き世」という感慨のないものが、はたしてまっとうな日本人といえるだろうか。
まあいいかえれば、この国にまっとうな市民も日本人もいない。みんなそこからはぐれてしまっているだし、はぐれてしまっているのがまっとうな日本人なのだ。そういうことを、今どきの右翼はなんにもわかっていない。
まっとうな日本人=市民のつもりでいることの、なんと愚かで厚かましいことか。そうやって彼らは、平気で嘘をつき、デマを垂れ流し、平気で他人を支配し裁きにかかる。
日本人は、日本人=市民であると自覚したとたんに醜くなる。右翼の日本人主義だろうと左翼の市民主義だろうと同じこと、どちらも戦後民主主義の落とし子すぎない。
ネット社会ということもあるのだろうが、ネトウヨをはじめとして名もない庶民がいい気になって国の政治のことを語りたがるなんて、この国の伝統にはなかったこと。いやまあ、明治の初めから最近の全共闘運動まで、「近代化」という美名のもとに、すでに名もない庶民が政治に関わりたがる風潮がしだいのふくらんできていたともいえる。
しかしこの国の文化の伝統、すなわちその世界観や生命観や集団性は、日本人=市民からはぐれていったものたちによってリードされてきたわけで、日本人=市民であることにいくばくかの羞恥心を持っているのが日本人であり。日本人=市民になりきれないのが日本人なのだ。

江戸時代の身分制度のことを「士農工商」といったりする。どのような政治的たてまえがあろうと、ひとまずその時代の代表的な「市民」は農民だったのだ。
まあ古代から江戸時代までの支配権力は、基本的には税として農民から「米」を取り立てることの上に成り立っていた。だから武士の格付けや収入は、「石高」であらわされていた。
つまり日本列島の歴史においては「市民」であることはとてもつらいことだったわけで、大和朝廷発祥のときからすでに、「旅心」と「無常感」によって「農民=市民」の身分から離脱してゆくものが続々と生まれてきていたし、そのために大和朝廷は「墾田永代私有令」を出すなどして農民を土地に縛り付ける方策をさまざまに講じてきた。
もともと日本列島の住民は縄文以来旅をして歴史を歩んできたのであり、最初から土地に縛られることを嫌うところがあったし、土地を捨てることにもあまり抵抗感はなかった。そやって旅芸人や遊女や古事記や旅の層などが登場してきた。
旅芸人も遊女も、祭りの習俗から生まれてきた。
日本列島の芸能の起源は、宗教儀式にあるのではない。祭り、すなわち人と人が他愛なくときめき合う集団の賑わいから生まれてきた。
メソポタミアギルガメッシュ叙事詩とか、ギリシャホメーロス叙事詩とか、大陸の文明社会で最初に生まれてきた詩=歌は、英雄賛歌などの共同体の秩序や結束を止揚する内容になっているが、日本列島の万葉集のほとんどは恋や別れなどの「人情」を詠ったものが中心になっている。とくに「詠み人知らず」の民衆の歌にあってはすべてがそんなモチーフで、「憂き世」を生きていた彼らには共同体を賛美しようとする気持ちなどなかった。
日本列島の民衆は、最初から国家や政治に興味がなかった。そしてそれでも天皇を慕ってきたのは、天皇もまた、たとえ権力者によって支配者であるかのように偽装されていても、本質的には国家や政治とは無縁の存在だったからだ。
日本列島の最初の文学・芸能は、自然に対する感動や人情の機微をモチーフにしたもので、宗教にも政治にも興味がなかった。そしてその傾向は、ひとつの伝統として現在まで続いている。つまり日本列島の文学・芸能の歴史は市民社会の「外部」のものたちによってリードされてきた、ということだ。
国家共同体の中心に政治・宗教があるとすれば、文学・芸能をリードしてきたものたちはつねにその外部にいた。
古代の大和朝廷が仏教を基礎にしていたとすれば、なぜかその頂点にいるはずの天皇家は仏教に対するカウンターカルチャーとしての神道を守っていた。天皇だって国家共同体の外の存在だったのであり、そうやって民衆との直接的な関係で結ばれていた。
だから権力社会の側としては「神仏習合」の策を講じなければなかったわけで、そこから国家神道が生まれ、時代の変遷とともに勢力を伸ばしてきた。
ほんらいの古神道は、宗教でも道徳でもなく、国家の政治秩序に寄与するものではなかった。それを、国家権力と結びつきながら政治秩序の構築に寄与するように変質してきたのが国家神道なのだ。

国家神道は民衆の世界観や生命観や集団性にそぐわないものであり、だから民衆は、もともとの古神道を鎮守の森などを拠点にして現在まで守り続けてきた。明治の国家神道によって国家の庇護から外れた多くの古神道の神社が滅びてゆくことを余儀なくされたが、それでもなお生き残ってきた神社も少なからずあるのは、それが縄文以来の日本列島の歴史の無意識というかゆるぎない精神風土に根差したものだったからだろう。
古神道は、「祭り」の習俗の上に成り立っている。そしてそのイベントをリードしているのは、旅芸人や遊女や乞食や遊行僧などの共同体からも農村集落からも離脱していったものたちだった。そういう社会的に無用のものたちがこの国の文化をリードしてきたのであり、土地に縛られた農民たちも権力社会よりも無用者のほうを向いていたし、それは、政治権力とは無縁の天皇を祀り上げることでもあった。
古代・中世の天皇家は、つねにそうした共同体の制度から離脱していったものたちとのつながりを持っていた。南北朝時代のヒーローである楠正成の軍隊はサンカ等の山の民の群れによって組織されていた。また、そのころの旅をする職人集団は天皇のお墨付きを持つことによって日本中の各地域で受け入れられることができたわけで、今どきの「皇室御用達」はそこからはじまっている。              
つまりこの国の天皇制の歴史は、共同体の制度から離脱していったものたちによって文化がリードされてきた歴史でもあった。そしてそれはそのまま、民衆社会には権力社会とは別の民衆だけの文化が生成し受け継がれてきた、ということの証しでもある。
日本列島の民衆が国の政治に関心が薄いのは、天皇を祀り上げているからだともいえる。天皇は、権力社会の頂点に置かれながら、実質的な権力は持たされていない。まあこれは、農民が旅芸人や旅の僧などの、いわばみずからの共同体から追い出したものたちから文化的にリードされながら歴史を歩んできたこととも、構造的には同じであるのかもしれない。
いずれにせよ日本列島においては、どんなに支配権力がひどくても、民衆は民衆自身で世の中のことをやりくりしてゆく。
もしもこの国の文化や集団性に外国人観光客を魅了するところがあったとしても、それを安倍晋三百田尚樹櫻井よしこのような右翼が体現しているわけではない。彼らこそ、この国の文化や集団性の伝統からもっとも遠いものたちなのだ。
この国の文化や集団性の伝統は、「無常感」とともに政治的な権力に対する志向など忘れて「無主・無縁」の混沌をやりくりしながらときめき合い賑わってゆくことにある。

無主・無縁の集団性の文化だからこそ、共同体の秩序からはぐれたものたちが数多く生まれてきてしまうし、誰の心もどこかしらではぐれてしまっている。その心もとなさを共有しながらときめき合ってゆく。この国の集団性の伝統は、そういう仕組みになっているのであり、誰もが平気で他人を裁くようになったらおしまいなのだ。
正義・正論よりももっと大事なものがある。程度の低い正義・正論で、何を偉そうな顔をしているのだろう。
人は幸せでなくてもかまわないし、辛くて悲しい人生が幸せで楽しい人生よりも劣っているということなどない。「この世にあなたが生きてある」という事実以上に大切なことなど何もない。この国の集団性の文化の基礎はそういうところにあるわけで、まあそういう文化は戦争のない歴史からしか生まれてこないし、現在のこの国の集団性も戦争の世紀を潜り抜けることによって表面的にはずいぶん変質してしまった。
そしてこの文化は、支配し裁いたり戦争をしたりすることが本能の権力社会から生まれてくることはありえない。権力社会から離れた民衆だけの文化として生まれ育ってきたのであり、日本列島だけではない、本能的なところにおいては世界中の民衆が共有している。
人がこの世に生まれ出てきて最初に体験するのは、一個の個体としてこの世界の放り出されたことの絶望や不安と、それと引き換えにやってくる他者との出会いにおける他愛ないときめきである。その体験の延長上に、無主・無縁の集団性の文化が生まれてくる。だからこれは、人としての本能的な部分においては世界共通なのだし、政治的な正義・正論で人を支配し裁くことを覚えてしまうと成り立たなくなってしまう。われわれ民衆が、何を好き好んでこんな醜悪な思考態度を身につけねばならないのか。
日本列島の民衆が政治に対する関心が薄いのは、政治とは対極にある世界観があるからだ。そういうかたちで権力社会の文化に対するカウンターカルチャーを持っている。それが「無主・無縁」の集団性であり、すべてを許し他愛なくときめき合ってゆくという、その「祭り」の集団性を基本というか理想として共有しながら歴史を歩んできた。これはもう、おそらく、日本列島にはじめて人が住み着いて以来の数万年の伝統なのだ。いや、原初の人類が二本の足で立ち上がって以来の数百万年の人類普遍の伝統、と言い換えてもよい。

人はみな、誰もが他愛なくときめき合える社会であれば、と願っている。まあその願いの上に憲法第九条が成り立っているわけで、それはけっして現実的ではないが、人類普遍の理想を表明しているということは、世界中の誰もが認めるに違いない。そんなことでは国家は成り立たない、といっても、成り立たなくてもよいという思想なのだもの、その覚悟の上にこの憲法が制定されたわけで、それがこの国の伝統である「無常感」なのだ。
そんなことでは国家は成り立たない、といっても、誰もが他愛なくときめき合うという「そんなこと」が実現すればどんな国家も成り立つのだもの。そんな理想を掲げて、何がいけないのか。そんな理想を掲げることができない卑しい国民になることが、そんな立派なことか。
健保第九条は、戦後の日本人の決意表明であって、べつにアメリカから押し付けられたとか、そんなことではない。そのときはもう、総理大臣以下のほとんどの国民がそう決意したのであり、なんのかのといってもだから現在まで維持されてきたのだ。
理想を掲げて滅びるならそれも本望だ、というのは、あのときの日本人が戦争を遂行するときの原動力でもあった。そうやって「散華の美学」とか「うちてしやまん」と合唱していたのであり、その延長上に憲法第九条が生まれてきた。それはもう、日本人のどうしようもない性根であり、精神風土なのだ。それが、「大和魂」であり「やまとごころ」なのだ。
核兵器を持てば抑止力になるとか、そんないじましいことをいうなよ、という話で、それは、日本人の美意識にそぐわない。
今どきの右翼は性根が腐っている、と僕は思う。つまり彼らは、国家神道に洗脳されて、日本人ほんらいの古神道の精神を失っている、ということ。
戦時中の日本人は、国なんか滅びてもかまない、という心意気で戦った。
日本人は、国家に殉じるのではない、人類の理想に殉じるのだ。あのときみんな、人類の「生贄」になる覚悟で戦っていた。そしてそういう心意気は、「処女=思春期の少女」こそがもっともラディカルにそなえているのであり、その心意気にリードされながら日本列島の歴史が流れてきた。
まあ日本的な心情としての「散華の美学」も「うちてしやまん」ももともとは「処女=思春期の少女」の心意気からきているということは、じつは本居宣長がすでに指摘していることでもあった。彼は、師匠である賀茂真淵の「大和魂」という言葉を排して「女子供のようなやまとごころ」といったし、小林秀雄は「現代人は鎌倉時代の生女房ほどにも無常ということがわかっていない」といった。
「死=滅び」に魅了される心は、誰の中にもあるではないか。それだけのことだし、それだけのことが彼らはなんにもわかっていない。そしてそれは、時代は、死のそばに立っているもの、すなわちこの世界の「市民」の範疇からはぐれていったものたちによってリードされながら移り変わってゆく、ということでもある。
もちろん「処女=思春期の少女」たちの心は、誰よりもこの世界からはぐれてしまっている。