戦争がやめられない集団性・神道と天皇(72)

奈良盆地最初の大和朝廷は九州・中国地方の豪族による連立政権として生まれてきた」だなんて、僕からしたら、中学生の昼休みの雑談じゃあるまいし何をふざけたことをいっているのだろうと思うばかりだが、世間ではそれがほとんど通説のようになっている。
それは、奈良盆地の人口が都市集落のレベルになってくるとともに、ある集団がだんだん政治組織のようになっていっただけのことであり、いきなりそこに支配者があらわれ朝廷が打ち建てられたということなど、どう考えてもあるはずがない。彼らは、弥生時代がはじまって以来の奈良盆地の歴史風土というものを何も考えていない。最初は民衆の歴史であったに決まっているではないか。
ひとつの地域にいきなり支配者が降臨してくるというようなことは、平安末期から戦国時代にかけての歴史にすぎない。
日本列島の歴史における最初の都市集落は、弥生時代後期から古墳時代にかけての奈良盆地で生まれてきた。まあこのことは纏向遺跡をはじめとするこれからの考古学の発掘によって次第に明らかになってくるに違いない。
奈良盆地の都市集落は、日本中から人が詰まってくることによって生まれてきたわけで、べつに豪族たちがつくったのではない。纏向遺跡はそういうことを物語っているいるのであり、そのころに豪族などという支配者が存在した証拠など何もない。
奈良盆地の巨大前方後円墳は、支配者が民衆を使役して造らせたのではなく、民衆自身が湿地帯の干拓のために造ったのであり、はじめにそういう民衆の歴史があった。
仏教伝来以降の文字による政治支配のかたちを、文字が存在しなかった時代の社会構造に当てはめることはできない。
たとえ都市集落であっても、最初は世界中どこでも民衆社会だったのであって、政治支配としてはじまったのではない。
ことに日本列島は、「民衆社会」の歴史が長く続いた。日本列島で政治権力というか支配制度が本格化してきたのは6世紀の仏教伝来以降のことであり、それまでは権力支配も階層もほとんどない「原始的で混沌とした民衆社会」だったのだ。そうしてそれをそのまま発展させていった結果として「天皇制」の「大和朝廷」が生まれてきた。
日本列島に天皇制が残っているということは、「原始的で混沌とした民衆社会の集団性が歴史の無意識として残っている」ということを意味している。

日本列島の集団性の基礎=本質は、政治的な「団結=秩序」志向ではなく、民衆自身がなりゆきまかせにどんどん集まってきて、なりゆきまかせの「混沌」のままいとなんでゆくことにあり、そのかたちを基礎にして洗練発達してきた。
起源としての奈良盆地の都市集落は、政治支配による「秩序=団結」とともに生まれてきたのではなく、民衆どうしの、「混沌」を収拾してゆく「連携」のダイナミズムとともに生まれてきた。纏向遺跡は、そういうことを物語っている。そこでは民家の跡が見つかっていない。それは、支配する対象が存在しなかったということであり、どんな大きな建物があろうとそれで朝廷という支配権力が成り立つはずがないではないか。そこは、祭りや交易の場としての「市(いち)」だったのであり、政治権力が存在しない場だったのだ。
「交易」という関係があったかどうかもわからない。もしかしたらそこは見知らぬ土地からやってきた旅人が集まってくる場で、近くに住んでいるものたちが食料や宿泊の世話をしていたのかもしれない。そして世話されたものたちも、遠い地の物や情報を差し出していたのかもしれない。
もしもそこでの建物のほとんどが高床式のものだったとしたら、そこは大雨などですぐに水浸しになってしまうような土地だったのであり、瀬戸内海に続く水上交通の港のような場所でもあったのかもしれない。
弥生時代は、奈良盆地より地方の文化のほうが進んでいた。奈良盆地の人々は、地方から入ってくる人や文化を進んで受け入れていった。そうしてそこには、日本中から人が集まってきて賑わう「祭り=市(いち)」の広場がつくられていった。それが、纏向遺跡だったのではないだろうか。日本人はもともと旅が好きで、いったんそういう場がつくられれば、そこにどんどん人が集まってくる。

奈良盆地の都市集落は、政治権力が下りてきてつくったのではない。いつの間にか日本中からたくさんの人が集まってきて都市集落になっていったのだ。政治権力が人を集めたのではない。それは、論理矛盾だ。人が集まってきた結果として政治権力が生まれてくるだけのこと。政治権力は人を支配することができるが、人を集めることはできないし、集めようとする動機も持っていない。むやみに人が集まってくれば「混沌」が生まれてしまう。その「混沌」の中から自分だけ生き延びようとする政治権力が生まれてくるだけのこと。
奈良盆地の人口が無際限に膨らんでいったのは、いつまでも「混沌」のままを生きて、政治権力が生まれてこなかったからだ。
したがって纏向遺跡には、まだ政治権力は存在しなかった。政治権力など存在しないままどんどん人が集まってくる場だった。
弥生時代奈良盆地で発達したのは、混沌を混沌のままに生きてどんどん人が集まってくる祭りの文化だったのであって、人々を支配して階層秩序をつくってゆく政治権力だったのではない。
そこは、祭りの賑わいが日本中でもっともダイナミックに起きている場だった。
つまり天皇は「祭りの賑わい」から生まれてきたのであって、政治権力が生み出したのでも政治権力そのものだったのでもない。政治権力が天皇に寄生していっただけのこと。というか、天皇に寄生しながら政治権力になっていった。

今どきの右翼が天皇に寄生している存在だとしたら、政治権力が欲しいのだろう。
そして古代以前の奈良盆地の民衆は、天皇に洗脳され寄生していったのではない。彼らこそが天皇を生み出したのであり、混沌を混沌のまま生きるためのよりどころとして天皇を祀り上げていった。
日本列島の民衆は、基本的に、「秩序」を生み出す装置である政治権力や宗教に洗脳されることはない。神道天皇は、そういうこととは無縁の、むしろ反対の機能として生まれてきた。
もしも天皇制を廃止すれば、日本人の心は今よりずっと政治的宗教的になってゆくのだろうか。それとも、政治や宗教に寄生しつつ、政治や宗教をめちゃくちゃにしてしまうのだろうか。何しろ混沌を混沌のままに生きる民族であり、われわれは集団の「秩序=団結」だけをよりどころにして生きることはできない。
「村の寄り合い」というような習俗は、おそらく弥生時代以来続いているのだろう。そこでは、みんなが勝手なことをいい合ってまとまることがない。だから、最後はリーダーに決めてもらい、恨みっこなしでみんながそれに従う、というかたちになる。議論をしながらひとつにまとまってゆく、ということができない。
戦時中だって、支配者層だろうと民衆だろうと、「団結」していたのではない。誰もがひとつの「空気」に流されていただけであり、どんなレベルの話し合いも、内心での考えはばらばらだったのだ。だから戦後の極東裁判でも、東条英機以下の誰もが口をそろえて「そういう<空気>だったからそれに従った」というような答え方をしていた。それは、逃げ口上だったのではない。正直にそうだったのだ。
最後のポツダム宣言の受諾に際しても、最上層部の会議では賛成と反対の真っ二つに分かれ、けっきょく天皇の「御聖断」を仰がねばならなかったし、受諾が決まったあとでもクーデターを起こそうとする若手将校のグループもあり、もうバラバラだった。最後の最後で、日本人がけっして一致団結していたわけではないことが、みごとに浮き彫りになった。
いったんはじめた戦争をやめることはとてもむずかしい、などと詠嘆的に語られたりするが、「もう死んでもかまわない」というところまで行ってしまう民族だからであって、生き延びることを無上の価値としているなら、もっと早い段階から戦争を続けることよりもやめることに必死になっていったにちがいない。最初から負けることがわかっている戦争だったのに、やめるための努力を最後の最後までしなかった。
そのときクーデターを起こそうとした将校たちに、何が正しいか間違っているかという基準などなかった。彼らだって、あくまで「混沌」を生きようとする日本列島の歴史の無意識に突き動かされていた。彼らは、続けることが正しいと判断したのではない。その「判断=決定する」ということ自体に対する身体的な拒否反応があった。
世界の戦争の常識からすれば、「やめない」ことのほうがずっとむずかしいのだろう。
とはいえ、やめることが正しくてやめなかったことは間違っているといってもしょうがないし、やめるべきではなかったということが正しいことにはならない。
どうすればよい結果になったかという問題など存在しない。
よい結果になれば正しいともいえないし、悪い結果であっても、それはそれでしょうがない。日本列島の集団性に、そんな「正しい」とか「間違っている」というような基準など存在しない。
日本列島の集団性は、「混沌」のコンセプトの上に成り立っている。したがって、人が生きることに「正しい」という「秩序」が必要かどうかということは、日本人にはじつはよくわからない問題なのだ。
ネバー・ギブ・アップ、けっして諦めないという日本人のメンタリティは、「混沌」を生きているからだろう。それは、「決定しない」ことでもある。「諦める」という「決定」ができないだけで、なにがなんでも勝ちたいというのとはちょっと違う。
「正しい」という「秩序=規範」を持っていれば、「決定」することができる。「諦める」ことができる。
しかし、それでいいのだろうか?
まあ、「判断=決定」しない民族だから、戦後のアメリカによる占領政策もスムーズに受け入れていったのだろう。それが日本人の「進取の気性」であり、あのときの日本人は腰抜けだった、などといってもしょうがない。戦時中だろうと戦後だろうと、いつだって日本人は日本人だったのだ。
日本人が日本人でなかった時代などない。そして、日本人ではない日本人などいない。
僕は、いつの時代にも誰にも当てはまる日本人の普遍的なメンタリティというか、歴史の無意識が知りたい。