日本的な・神道と天皇(73)

人類集団におけるもっとも普遍的本質的なカリスマとは、どんな対象だろうか。
「神」ではない。それは絶対的な存在として上から下りてくる存在であって、こちらから憧れてゆく対象ではない。
いつの時代も人は、神に裁いてもらったり救ってもらったりしているわけで、そういう「生き延びるため」というか「自我の充足のため」の装置として神という概念を生み出した。しかし人しての自然・根源において、はたして人は生き延びたがったり自我の充足を欲しがったりしているだろうか。生き延びることや自我の充足によって、はたしてこの生は活性化するだろうか。そんなものを欲しがることによってこの生の停滞・衰弱を招いているということはないだろうか。
まったく、「神」という問題はやっかいだ。
人は生き延びるとか自我の充足のための装置というか知恵として「神」という概念をもてあそび利用しているだけで、純粋に生まれたばかりの子供のような心で無邪気に憧れているわけでもない。
「神」は、人類の絶対的な支配者であると同時に人類の奴隷でもある。人は、神を畏れ敬いつつ、体よく利用しているだけでもある。神が救ってくれるとか神に罰せられるとか、そのような「関係性」を想定しているところに宗教の限界がある。
僕はもう、宗教者の考えることなんか、まったくもって不純で俗っぽいものだと思っている。
「憧れる」というのは、そういう関係性の成り立たないところで、ただもう一方的に想いを馳せてゆくことにある。生きるためのいっさいの欲望を失っても、それでも人は何かに憧れている。
生き延びる(=救われる)ことも自我の充足も願わない無心な心で、いったい人は何に憧れているのだろうか。

人が普遍的本能的に憧れているのは「若さ」ではないだろうか。それは、いったん失ったら、永久に取り戻せない。それが何かということを誰もが知っているのに、誰も取り戻せない。「若さ」の真っただ中にいても、すでに喪失感が忍び寄ってきているし、人生でいちばん鬱陶しい時期でもある。生きたくても生きられないことはどの世代にもあるが、生きてあるのが面倒だというような心地は思春期特有ものだろう。そういう意味で「若さ」とは、誰も手に入れることができないものかもしれない。
つまり、きらきら輝いている「若さ」というのは他者の眼において体験されるのであって、当人が実感できることではない。
誰も「若さ」を手に入れることができない。それは、人類永遠の憧れであるのかもしれない。若さの真っただ中にいても、若さに憧れている。
「若さ」の不可能性、それによって「若さ」が特権化される。そして、もっともきらきら輝いている「若さ」は、思春期の少女のもとにある。
人はなぜ、この時期の少女を美しいと感じるのだろう。
「美しい」とは何だろう。人はなぜ美しいものに憧れるのだろう。なぜ「美しい」と感じるのだろう。考えたらこれは、とても不思議なことだ。美しいと感じても、生きることになんの役に立つわけではない。それでも「美しい」と感じてしまう。それはきっと、この生を超えている、ということだ。美しいものは、この生よりももっと美しい。人類は普遍的に、そういう「超越性」に対する遠い憧れを共有している。
この生はくるおしくいたたまれないものであり、人は、避けがたくこの生を超えたものに憧れてしまう。
人が思春期の少女の姿を美しいと思うとき、そこにそういう「超越性」を感じている。
思春期の少女が持つ非日常性、彼女らは、この生の向こうがわの世界に棲んでいる。
ロリータ趣味は未熟だとか少女買春はいけないといっても、そういうこの生を超えたものに憧れ引き寄せられるという、人類普遍の無意識がはたらいているのかもしれない。ロリータ趣味は、思春期の少女の中にもある。そうやって「レズビアン」に目覚めたりするのだろうし、今どきは「ロリータ・ファッション」などというものが一部の思春期の少女にもてはやされていたりする。
人類は普遍的に「処女(思春期の少女)」に対する「幻想=信仰」を共有している。それはすなわち、この生を超えた世界に対する「遠い憧れ」を持っている、ということだ。
フランスには「ジャンヌ・ダルク伝説」というのがあるし、この国の巫女だって、そういう「処女(思春期の少女)に対する幻想=信仰」として生まれてきたのかもしれない。
起源としての巫女は呪術師だっただなんて、僕は信じない。
古代以前の人々は、生き延びるための呪術よりも、この生を超えた世界に対する遠い憧れを紡ぎながら生きていたのだ。それは、この生を司る「神」という存在を思うことよりも、人としてもっと根源的でもっと切実な思いなのではないだろうか。
起源としての天皇はお祭りのアイドルとしての「巫女」だった、ということは、「支配者」だったとか「呪術師」だったとか「神」だったということよりも、もっと普遍的本質的なことなのだ。

もしかしたら日本人は、この1500年か2000年のあいだ、天皇の「処女性」というものを祀り上げてきたのかもしれない。
処女性こそもっとも美しく高貴な人間性である、というか。
人や世界を支配する「神」の、どこが美しく高貴であるというのか。
日本人は、人を裁いたり支配することに対するはにかみを持っている。そういうはにかみを持っているものでなければ人と「連携」してゆくことはできない。
「神なき世界」の「混沌」こそ、日本人が生きる世界なのだ。
奈良盆地に都市集落が生まれてきたときの民衆は、起源としての天皇である祭りにおけるカリスマを祀り上げていったが、そのカリスマから支配されていたのではない。自分たちがときめき合い「連携」してゆくためのよりどころとして勝手に祀り上げていただけだった。
日本的な集団性のダイナミズムは、良かれ悪しかれ天皇の存在によって照射されている。そのことを考えるとき、京都の町は、天皇のお膝元である歴史を長く歩んできたというアドバンテージを持っている。
京都の町は、集団を「団結=秩序」ではなく「連携=混沌」によっていとなんでゆく文化が洗練発達している。その、混沌を混沌のままで連携してゆくことが日本列島の集団性の本質であり、人類の集団性の基礎と究極のかたちでもある。そしてそれは、とうぜん「団結=秩序」をめざす政治意識ではなく、ひとつの美意識の上に成り立っている。それによって「舞妓」や「おもてなし」の文化が洗練発達してきた。
ともあれわれわれ民衆は、天皇の存在から「人はかくあらねばならない」というところを何も学ぶことができない。天皇はそんな「規律=法」を何も持っていない。すべてを赦している。天皇とはひとつの「混沌=無原則」であり、まあそこが、大陸の「ゴッド」とか「エホバ」とか「アラー」とかいう神との違いかもしれない。
国家神道における、天皇を絶対的な存在として敬ってゆくことが正しい人の道だといわれても、それによって人間の何がわかるわけでも、賢い人間になれるわけでも、魅力的な人間になれるわけでもない。
国家神道に冒された今どきの右翼には、正しいことがいえても、小林秀雄福田恒存のような魅力的な人がいない。人格の清らかさが感じられないというか、まあ、正しいことをいおうとするそのことが魅力的ではないのだ。
日本人は他愛なく天皇にときめいているだけで、それ以上でも以下でもない。
日本列島においては、正しい人間がいちばん魅力的で、いちばん尊敬されているわけではない。
原初の天皇は、誰もがときめき祀り上げてゆく存在であったが、絶対的に正しい存在としての神であったのでも、支配者であったのでもない。
この国では、どんなに自分の正しさを吹聴しても、本人が思うほど尊敬されるわけでも好かれるわけでもない。むやみに自分を正当化したがる人間は嫌われることも多い。
日本人は、天皇を絶対的に正しい存在として「神=ゴッド」のように崇めているのではなく、ただもう他愛なくときめいているだけだ。
天皇とはひとつの「混沌」であり、混沌を混沌のまま収拾しながら生きるためのよりどころとして存在している。

日本人は「規範=法」の秩序によって団結してゆくことは、あまり得意ではない。戦時中だって、軍国主義に行動や観念をがんじがらめに縛られていたとしても、国民が一枚岩で団結していたのではない。ただ、「いつ死んでもかまわない」という「混沌」を生きようとする歴史の無意識がはたらいていたのだろう。たとえば都会の子供が田舎に疎開してすんなりと受け入れられたかというと、そうでもない。勤労動員といっても6〜7割の出勤率で、誰もが週に二日くらいは休んでいたらしい。
そのとき日本人をして戦争に突き進ませていたのは「いつ死んでもかまわない」という覚悟だったのであり、じっさい最後はもう、そういう無茶な戦い方をしていたではないか。それは神風特攻隊だけの話ではない、兵士たちはみな「死にものぐるい」で戦っていた。
日本人は、最終的には「もう死んでもいい」という心理状態になってしまう。それは、「混沌」を生きるものとしてどんな困難な状況も耐えることができる、ということでもある。
第二次世界大戦の日本人は団結力で戦っていたのではない。上巻の鉄拳制裁で無理やりやり部下に従うようなことをしていて、団結が生まれることなんかあるはずがないではないか。それでも、誰もが「もう死んでもいい」という心地に浸されていた。
団結力で戦うことには限度があり、「混沌」の中に飛び込んでゆけば、死んでも戦える。
たとえ軍国主義の戦時下で誰もが行動をがんじがらめに縛られている状況であったとしても、人々の心はなお「混沌」のままだったし、他愛なくときめき合う人と人の関係も機能していたのだ。
無残な敗戦に継ぐ敗戦の生きられない状況に置かれたら、兵士であろうと銃後の民であろうと、誰だってほんの小さな人の親切や微笑みにも大きく心を動かされてしまうではないか。日本列島にはことにそういう「混沌を混沌のまま生きようとする」伝統があるわけで、誰もが自分だけは生き延びようとあくせくしていたわけではないし、人の心を失っていたわけではない。
まあ戦時中の日本人は、誰もが良かれ悪しかれ「もう死んでもいい」という心を共有していた。それによって神風特攻隊という愚劣で残酷な戦法も成り立っていたわけで、だから誰もそれを批判することができなかった。
戦時中であろうと現在であろうと、歴史の無意識として(あるいは人間性の自然として)「いつ死んでもかまわない」という「混沌」を生きようとする心を共有しているところに、日本人の集団性がある。
そりゃあ観念的には誰もが生き延びようとあくせくして生きているわけだが、それでもというかだからこそというか、そういう欲望からすっきりと解き放たれいるような思春期の少女の他愛なく清潔な表情やしぐさには、世界中の誰もが心の底のどこかしらで「遠い憧れ」を抱いている。いやもう思春期の少女自身が、その生きてあることのくるおしさやなやましさとともに、誰よりも深く切実にそうしたこの世ならぬ存在の仕方に対する「遠い憧れ」を生きている。
日本列島の文化や集団性は「処女性」にある。そして天皇こそそうした処女性をもっとも確かにそなえた存在であり、天皇が外国に訪問してそこの王族と並んだとき、天皇だけは何かしら別の気配を漂わせているのがわかる。
この国を訪れた外国人旅行客を驚かせているのは、日本人のそうした「処女性」であるのかもしれないと思わないでもない。