まとまらない会議・神道と天皇(74)

近ごろの右翼系論客のひとりであるらしいある評論家が、自分のブログで『日本人よ、外国人観光客誘致などに浮かれるな』というタイトルの記事を書いていた。つまり、そんなことに頑張っても国レベルではたいした経済効果にもならないし、もっと日本人としての誇りを持て、といっているのだろうが、べつに「外国人観光客誘致」をしたらいけないというものでもないだろう。
まあ最近のテレビは、外国人の目を通して日本や日本人を再発見する、というようなコンセプトのバライティ番組がけっこう多くて、それが気に入らないのだろうか。
しかし日本人は日本人としての誇りが希薄で、「日本人とは何か」ということがよくわかっていないところがある。それはもう昔からずっとそうで、外国人に教えられてはじめて気づく、ということも少なくない。
まあ外国人観光客といってもほとんどは中国・韓国人で、右翼系の人たちにとってはあまり来てほしくない客かもしれないが、欧米からの観光客も年々増えている。そうしておおむね、日本人はフレンドリーで礼儀正しく献身的だとか、街は清潔で治安が良いとか、文化が多様で洗練されている、というような感想を抱いて帰ってゆく。だから増えているのだろうし、彼らとの関係によって、われわれが自分の国のことを見直すきっかけにもなる。
ジャパンクールの文化が広く発信されたこともあるのだろうか、欧米で日本が観光地として本格的に注目されてきたのは最近のことらしい。ファー・イースト(極東)というくらいでなんといっても遠いし、一般的な欧米人はあんがい日本のことを知らないのだが、一部のマニアックな人たちのあいだでは、ひとつのことに特化して日本人以上に日本のことを知っていたりする。
人文学では「アジア的」という概念があるように、欧米人からしたら、日本なんか東南アジアや中国や韓国とそう変わりないだろうというような先入観もあるらしいが、いざ来てみたらまるで異質な文化や国民性があることに驚く。つまり彼らは、西洋近代主義の物差しでは測れないものがこの国にあることに気づくらしい。
なのにわれわれ日本人は、西洋に対するコンプレックスのせいか、西洋的な物差しでみずからの文化やメンタリティを考える癖がしみついてしまっている。
日本列島の文化は、たしかに特殊なのだ。しかしその「日本的」ということは、「原始的・普遍的」ということでもあり、人類全体で共有しているものでもある。
外国人が「日本人はフレンドリーで礼儀正しくて献身的である」という印象を抱くとき、それは新鮮であると同時に、どこか人としての懐かしさにもなっている。

日本人は集団主義個人主義かというような議論があるが、「集団性」といっても、日本列島の場合は、集団の団結=秩序を構築してゆくというより、混沌を混沌のままに収拾してゆくことにある。
日本人の集団性は、集団の秩序を構築して一致団結しているのではなく、混沌のままに誰もが他者を生かそうとしながら「連携」してゆくことにある。そういう「サービス=おもてなし」の文化が、外国人観光客誘致の際のひとつの売りにもなっているらしい。
集団性というとき、社会で起きるトラブルをどう収拾調停するかという問題がある。
人類の歴史において、限度を超えて大きな集団で定住してゆくようになったとき、とうぜんトラブルは起きてくる。人と人のあいだでも、集団と集団のあいだでも起きてくる。
それは、力で決着をつけてしまうだけではすまない。それだけですませていれば、いずれ収拾がつかなくなってくる。力が拮抗していれば永遠に争い続けないといけないし、力で決着をつけることが許されるのなら誰もがそうするようになって、いずれ集団は崩壊してしまう。力が弱いもののも生きられるようにしないと、限度を超えて大きな集団は成り立たない。
限度を超えて大きな集団をいとなむということは、力の弱いものでも生きられる集団にする、ということでもある。
「神」という概念が機能している地域では、神の裁きとして収拾する。神の裁きを信奉して一致団結してゆく。ともあれトラブルが多発しエスカレートする地域ではもう、「神」を持ち出してこないと収拾がつかなくなる。まあ大陸の都市国家の歴史のはじめにはそういう状況があったわけだが、日本列島では、祭りの賑わい(混沌)のまま他愛なくときめき合いながら集団をいとなんでゆくという文化が洗練発達してきた。
人が人を裁いても、裁かれたものはそうかんたんに納得しないし、裁いたものを殺してしまえば、その裁きは無効になる。であれば、裁きの絶対性を担保する存在として「神」が見い出されていったのかもしれない。それは、人を縛る絶対的な規範であると同時に、人を救済に導く存在でもある。
人類史において、最初に神とい概念を生み出したのがエジプト・メソポタミア地方だったということは、そこがもっともトラブルが頻発しエスカレートしてゆく地域だったことを意味する。人類最初の法律がメソポタミアの「ハムラビ法典」で、それはきっと神によって担保された法律であり、王は神の代理人というか生まれ変わりだった。
べつにハムラビ王が偉かったのではない、そういう「神の裁き=法」を持たないと収拾できないくらいトラブルが頻発しエスカレートしていただけのこと。そういう状況が「ハムラビ法典」を生み出した。
現在のイスラム地域だって強力な「神の裁き」がないと収まりがつかない地域であり、その点は、日本列島の伝統とずいぶん違う。
習慣法というのだろうか、日本列島の「民俗」は、基本的に「神の裁き」がない。
人類の「規範=法」は、「神」という概念に担保されながら進化発展してきた。
「規範=法」とは、すなわち「神の裁き」ということ。現在の裁判所だって、ひとまず「神の裁き」という観念性の上に成り立っている。大陸では「ハムラビ法典」以来の5000年以上の「神の裁き」歴史があるわけだが、日本人がそうした裁きを知ったのは1500年前の仏教伝来のときにおいてであり、それまでの縄文・弥生の1万年以上は知らないままの歴史を歩んできた。だからその後の歴史においても、「村の寄り合い」等の「裁判官=神の裁き」が存在しない民事調停の習俗が残ってきた。
日本列島においては、民事のことで「お上に訴える」ということをあまりしない歴史を歩んできた。そんなことは、「村の寄り合い」でなんとかなった。人殺し等の犯罪であればもちろんお上が介入してくるが、民衆どうしの「自分たちでなんとかする」という領分は、歴史的にちゃんと守ってきた。だから、紛争を調停するということだけでなく、民衆どうしで助け合うという習俗もちゃんと守られてきたのであり、だからあの大震災のときの略奪や暴動が起きない日本的な「連携」の集団性が生まれてきた。なにはともあれそのとき、誰もが他者を生かそうとしていたし、誰もが他者に生かされていた。

縄文・弥生時代に「アニミズム(原始宗教)」が機能していたということはありえない。機能していたのなら、そのときすでに「神の裁き」を持っていたということであり、そういう歴史を歩んできたのなら、その後の歴史において「裁判官=神の裁き」が存在しない民事調停の習俗が残ってくることなどあるはずがない。
日本列島では、人と人の関係それ自体が、基本的には「神の裁き」が機能していないのであり、そういう「混沌」を生きることが基本的な人と人の関係の作法にほかならない。その「混沌」を収拾してゆくかたちで「おもてなし」の作法も生まれてきた。
日本列島の古代以前には「神」という概念が存在していなかった。そのとき彼らは、どのようにしてトラブルを収拾し、限度を超えて大きな集団である都市集落をいとなんでいたのだろう。
彼らは、神も裁判官もいないただの人と人の「寄り合い」でそれを収拾していた。つまり、基準となる「規範=法」がないのだから、それぞれ勝手なことを主張し合っていっこうにまとまらない。それでもその「混沌」の中に漂っていれば、やがてなんとなく決着の「空気」が生まれてくる。それは、正しいことを決定するのではない。みんなが「まあそんなところだろうな」と思える位相、日本列島ではそれを「落としどころ」といったりする。何が正しいか間違っているかとか、よいか悪いかというような基準値はない。そういう基準値があれば太平洋戦争という無謀なチャレンジをしなかったし、したとしてもできるだけ早く戦争をやめる方策を講じたはずだ。
宗教=神(ゴッド)を知らない民族は、解決策を求めない。なんとなくの「空気」に流されながら、なんとなくの「空気」がトラブルを収拾してゆく。日本列島のトラブルは、「解決策=神の裁き」によってではなく、おたがいが争う気持ちを捨ててなんとなく「空気」に身をまかせてゆくことによって収拾される。
それは、多数決でも神の裁きでもない。村の寄り合いでは、みんなで酒を飲んだり飯を食ったりしながらグダグダと話し合ってゆくうちに、なんとなくの「最終的な空気」が醸成されてくる。それが、日本的な会議や民事調停の作法なのだ。

日本列島の集団性においては、「この国の未来はかくあらねばない」などといってもしょうがないのだ。この国には、そういう「神の裁き」など機能していない。宗教や共同体の制度性として「神の裁き」が機能しているとしても、日本人の歴史の無意識としての集団性においては、なんとなくの「空気」が優先するし、そうやって歴史が流れてきた。
日本人は「神の裁き」にしたがって歴史をつくってゆくというようなことはしない。ただもう無原則に、みんなして「歴史のなりゆき」に身をまかせてゆくということをしてきただけだ。
だから太平洋戦争はあんな無惨な結末になってしまったし、終わったらたちまちあっけらかんと占領政策に従っていった。なんとまあ「日本的」であることか。「神の裁き」がないから無謀なことを承知で戦争をしたのだし、「神の裁き」がないからどんなに負け続けてもやめられなかったし、その後にあっけらかんとアメリカにすり寄っていってもたいして後ろめたさもなかった。
「日本人としての誇り」とか「同質性」とか、そんなことで戦争をはじめたのでもやめられなかったのでもないし、そんなことで結束してゆくことができるわけでもない。
日本人は、「連携」しても「結束」することはない。あの戦争においても、支配者たちだって初めから終わりまでわいわいがやがやとまとまらない議論を繰り返してきただけだし、もちろん民衆も同じで、みんなして歴史の運命に流されていたのであり、日本人は避けがたくそういう「混沌」を生きてしまう。
しかしまあ、だからこそそこから人としての本質的必然的な「なりゆき」を汲み上げてゆくこともできるわけで、その「なりゆき=混沌」に身をまかせることによって、いかにも「日本的」な他愛なく原始的であると同時にきわめて高度な「連携」の「集団性」が生まれてくる。
ざっくりといってしまえば、今どきの団塊世代をはじめとする戦後世代の大人=老人たちがリードする集団性はずいぶん「神の裁き」に冒されており、若い世代のほうがずっと本格的で日本的な「集団性=連携」をそなえている。それは、彼らが「他愛なくときめき合う」ということができるからだ。それがなければ高度な「連携」の集団性も生まれてこないわけで、そこのところに外国人観光客は新鮮さと懐かしさを覚えている。それは、人間ならほんらい誰の中にもある「集団性」なのだ。
日本的な集団性の基礎は、「神の裁き」を持たないことにある。その「混沌」のさまに興味津々の外国人は少なくない。