ギャルのたしなみ・ここだけの女性論5


男と女とどちらが賢いかといえば、これはもう圧倒的に女ですよ。
男なんか、かんたんに女にだまされる。
生き物の自然においてオスはメスに寄ってゆく存在だから、だまされてしまうようになっているのです。だまされても寄ってゆきたいのです。
それを考えるなら、むやみに男をだまそうとしないのが女のたしなみというものでしょう。いい女であることを見せびらかそうとしたり男の扱い方を研究するなんて、男をだまそうとしているのと同じです。
男をだまして引っ掛けるのは、おもしろいですか。結婚というのは、そうやってするものですか。そういうハウツー本を書いていい気になっているインテリ女がけっこういて、それに扇動されて日本中の多くの女たちが迷子になってしまっている。
そりゃあ、だまされてよろこんでいる男もたくさんいるだろうが、そのせいで日本人の無意識の世界がおかしくなり、結果的に結婚しない男女やセックスレスの関係が増えてきたりもしている。
結婚なんか、他愛なく不用意にしてしてしまうものであって、よく考えてするものじゃない。よく考えたらできるものじゃない。言い換えれば、考えるといったって、損得勘定をあれこれ思い巡らしているだけのことです。そんなことを誰もが考えるような社会になれば、結婚しなくなってゆくのは当然のことです。
そして結婚しても、男を飼いならすことばかり考えている。男なんか、飼いならされてしまいますよ。しかし、そんなお母さん見て育った子供が結婚する気になれるはずがないじゃないですか。
そういう悪循環が今、日本中を覆っているのでしょうか。



もしかしたらいまどきは、女子高生くらいの年頃がいちばん頭を使ってものを考えているのかもしれない。彼女らは、ちゃんと小ずるい女の見え透いた手口を見抜いてる。そして自分たちも、無意識じゃなく、小さなところではけっこう確信犯的に男をたぶらかしている。
まあいつの時代も、そのくらいが一番感受性も観察力もある。しかも現在の彼女らにとっては狭い教室内が全宇宙になってしまっているから、そこでの女どうしの関係や男との関係を、じつにまあ微に入り細に入り観察している。
「うける〜」とか「ばかじゃね」とかとはやしたてて盛り上がっているハンバーガーショップやファミレスなどでの彼女らの会話を聞いていると、まったくみごとなものだと感心させられます。
彼女らは、男なんかかんたんにだませることをちゃんとわかっている。しかし、わかってはいるがここから先は自分はしない、という彼女らなりの自己規制を持っていて、その一線を越える女を「ずるいやつだ、友達にはなりたくない」とみなす。
まあ彼女らは、お母さんがお父さんを飼いならしている家庭で育ったから、女が男をだましたりたぶらかしたりすることには既視感を持っているわけです。



わからないのはいつも男だけです。
そういう小ずるい女に手玉に取られて結婚させられそうになっている男はこの世の中にいくらでもいることでしょう。そうなったらもう、どうしようもない。気付かせてあげられる良い知恵なんかありません。最良の知恵が、騙されたふりでいっしょに相手の手口に乗りまくって油断させ、なるべくはやく尻尾を出させるということだろうが、時間は待ってくれない、いつのまにか結婚式の招待状が届いている。
そうしてまわりは、「結婚なんかする気になれないなあ」と嘆息して語り合う。
「いい女」になるための指南書なんか、そういう小ずるい女を増やすのに役立っているだけじゃないか、と思わないでもありません。まあ、書いている当人がそういう女であり、そういう女だって時代に踊らされているだけだから、われわれはもう時代を嘆くしかない。
いったい、当たり前で自然な男と女の関係とは、どのようなかたちなのでしょうか。女とは、どのような存在なのでしょうか。
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