時代と世代・「時代は変わる」3


戦後のこの国は、団塊世代に代表されるような「頭でっかちで妙にアクティブで騒々しい」人間をたくさん生みだした。
それは、人を説得・支配しにかかる態度である。
僕だってまぎれもなく団塊世代のひとりであるから、ときどきそんな態度をとってしまうことがあり、あとで思い出すと恥ずかしさがこみあげてきてキャッと叫び出したくなる。
まあ育ちの悪さもあるのだろうが、始末に負えない世代的な傾向でもある。内田樹先生などはこの態度で押しまくって生きているのだから、大したものである。
多くの団塊世代が、この生態を避けがたく抱えこんでしまっている。そしてこの病理的な生態は知能が高くなればなるほど強くあからさまになってくるわけだが、僕などは知能が中途半端だから、そのあらわれも中途半端になっているらしい。
いや、知能が低くても、そんな恥知らずでクソ厚かまし団塊世代はいくらでもいて、あちこちで嫌われまくっている。おそらくこの先寝たきり老人になったりしてゆけば、さらに救い難い存在になってしまうのだろう。
自分にはそんな傾向はないというつもりはさらさらない。しかしそんな傾向を抱え込んでしまっているからこそ、そのみっともなさも骨身にしみて知っているつもりだ。
ほんとに団塊世代はみっともなく恥知らずな世代だ。
そして団塊世代こそ、もっとも正統的な戦後社会の落とし子である。そのみっともなさは、戦後社会のみっともなさでもある。
戦後社会はどうしてこんなにも度しがたくはた迷惑な世代を生み出してしまったかといえば、とにもかくにも歴史上はじめて国が戦争に負けて侵略されるという体験をしたからだろう。
そうして大人たちは人格的な自立心を失ってしまった。そんな大人たちに育てられて、まともな子供が育つはずがない。
人格的な自立心を失うとは、伝統を失うということであり、無国籍的な人格になってしまうということである。そうやってアメリカを受け入れアメリカを模倣しながら戦後という時代がはじまった。
しかし、人格的な自立心を失ったといっても、生きるためのバイタリティを失ったわけでも、人と人の関係の親密さを失ったというわけでもない。人を押しのけてでも生きてゆこうとする意欲は戦時中よりずっと強くなったのだろうし、また人格的な自立心が薄い者どうしがかんたんに共鳴現象を起こして仲良くなっていったりもしたのだろう。
団塊世代どうしは、腹の底から「共感」し合っているわけではないが、なれなれしい関係になるのは上手である。それは、親たちと一緒になってアメリカから学びとっていった人づき合いの作法かもしれない。アメリカは多民族社会だから、どうしてもそういう関係の仕方が主流になる。
団塊世代には、「共感する」とか「人の心に寄り添う」というような能力はない。人になれなれしくするのが上手なだけである。彼らは、親だけでなく、世の中の大人全体がそのような人づき合いの作法で生きている時代に生まれ育った。



団塊世代というと、ベビーブームの時代の大きな集団の中で育った世代だということになっている。たしかに都市部の中学高校では、1クラス60人1学年500人600人という例は珍しくなかった。で、彼らの性格形成はそういう大きな集団の中でもまれて育ったことによるといわれているのだが、必ずしもそれだけが原因だともいえない。彼らが生まれたときの日本の人口は、現在のおよそ半分だった。べつに現在ほど世知辛い競争社会ではなかった。戦争は終わったし、自然は豊かに残されていたし、のどかな時代だった。
けっきょく、日本人全体が自立した人格が希薄で集団の共鳴現象を起こしやすい時代だった、ということだろう。
現在の方がよほど、集団が大きく密集していることに対する圧迫感や閉塞感は強いにちがいない。
共鳴現象とは集団ヒステリーのようなものだろうが、海に囲まれた島国の歴史を歩んできた日本人は、そのような閉塞状況でも集団ヒステリーを起さないで按配してきた伝統がある。
アメリカには人種が違う相手とも仲良くできる文化があり、日本には、狭いところにひしめき合ってしまってもおたがいになれなれしくならないで関係を按配してゆく作法の文化がある。
東日本大震災の被災者の人々は、狭い体育館に大勢で詰め込まれても、ひとまずみんなで協力し慰め合って過ごすことができた。彼らの心は、「共感」し合っていたが、「共鳴」し合っていたのではない。この国の人と人の関係の文化は、そうなってもヒステリーを起こさない作法の伝統がある。
現在の若者たちがたがいの内面に干渉し合うまいとする傾向を持っているのも、それなりに密集状態を生きようとするこの国の伝統的な作法でもあるのだろう。
現在は大人たちの人口が多く、子供の数が少なくなってきている。しかも大人たちは子供を干渉し支配しようとする傾向が強いから、なおさら子供たちの集団は閉じ込められている。現在の大人たちは子供の衣食住をじゅうぶん満たしてやっているせいか、容赦なく干渉し支配してしまう傾向がある。。
子供たちは、大人たちがたくさんいる社会だということと、大人たちに飼いならされてしまっているということと、二重に閉塞感を募らせている。
戦争直後の時代は、大人と子供の人口の割合が拮抗していたし、衣食住が不自由だったぶん大人たちの支配欲も希薄だったから、子供たちにそれほど世代的な圧迫感や閉塞感はなかったはずである。だからこそ、団塊世代特有の粗雑でなれなれしい人と人の関係が生まれ育ってきたのだろう。
欧米には「神の規範」という歯止めがあるが、団塊世代の子供たちはもう、そんな歯止めもなく野放図になれなれしい関係を築いてゆき、それが、のちの全共闘運動や欧米を凌駕する経済活動のダイナミズムになっていった。
現在の若者たちは、もっと繊細に関係を按配し合っている。それは、彼らの閉塞感であり、閉塞感の中で人と人の関係を按配してゆくのがこの国の伝統である。
団塊世代には、そのような閉塞感はなかった。かんたんに干渉し合う関係になれた。子供が解放されている時代だった。たがいに干渉しあい、同じ趣味で遊ぶことができた。
しかしバブル以後の若者や子供たちはもう、そのような関係をつくることはできない。たがいの存在(身体)のあいだの「すきま」を按配し合っている。そしてこの繊細な関係の方が、じつは原始的であり、人間の自然(普遍)なのだ。原初の人類は、たがいの身体のあいだの「すきま」を按配してゆくようにして二本の足で立ち上がった。
そして地球上の人類がこんなにも密集してしまえばもう、そういう「すきま」を按配し合う関係になってゆくほかない。それこそが人と人の関係の自然=普遍でもあるわけで。
現在は、社会制度にきつく支配されて身動きが取れないという閉塞感と、集団の密集状態からくる閉塞感と、二重の閉塞感を人々が感じているのだろうか。
しかし人間は、もともと閉塞感を生きる猿なのだ。閉塞感を感じていないと、人と人の関係は洗練してこない。閉塞感とともに人と人の関係の文化は洗練してきた。
団塊世代は大きな集団の中で育ったといっても、閉塞感なんか感じてこなかったし、閉塞感とともに人と人の関係を洗練させてゆく作法は持っていない。閉塞感とは無縁のままにかんたんに共鳴現象を起こしてつるんでゆくのが彼らの作法であり、まあそれによってひとまずバブル経済の繁栄という成功を収めたわけだが、誰もが閉塞感を自覚するほかない今となってはもう、彼らの流儀ははた迷惑で目障りなだけである。
現在の若者たちは、団塊世代とは逆の、閉塞感ともに生きる人と人の関係を模索している。つまり彼らは、戦後社会の団塊世代的な人と人の関係の文化を清算しようとしている。もちろん彼らがそういうことを計画しているわけではなく、あくまで歴史の「なりゆき」としてそういうかたちになっている。
僕は社会学者ではないし、現在の若者たちの人と人の関係を具体的に記述できる能力もないのだが、団塊世代が若者であった時代とは大きくさま変わりしてきていることは確かだろう。
団塊世代と現在の若者たちでは、知性のかたちも感性の色もずいぶん違う。それはおそらく、その基礎となる人と人の関係の作法が違うからだろう。
人間の知性や感性の基礎は、猿としての限度を超えて密集した集団の中に置かれてあることの閉塞感にある。原初の人類はその閉塞感から二本の足で立ち上がったのであり、その人と人の関係の作法の発展洗練とともに、知性や感性も発展洗練してきた。
時代とともに人と人の関係がさま変わりしてゆくことは、人々の知性や感性がさま変わりしてゆくことでもある。
限度を超えて群れてしまう猿である人間存在の基礎は、人と人の関係にある。そしてそこから人格や知性や感性が形成されてゆく。
時代が変わる契機は、人と人の関係がさま変わりしてくることにある。
戦後の団塊世代的な人と人の関係の流儀(思想)は、ようやくここにきて清算されつつある。
団塊世代というか戦後の日本人は、あまりにも人間の自然(普遍)から逸脱しすぎた。もともと逸脱して生きることのできない民族が逸脱して戦後を歩んできたのだ。われわれは逸脱して生きるための歴史的な伝統も、その不自然な生き方を保証してくれる「神」という概念も持っていない。
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