戦後社会の病理・ネアンデルタール人と日本人96


今どきの団塊世代の知識人は、よくこんな言い方をする。
「私たちの若いころと比べてこのごろの若い人は気の毒だ」
自分たちの青春時代は充実していた、という。
しかしそんなことは彼らが勝手にそう思っているだけで、彼等のいう「充実」が本当の充実かどうかはわからない。
どうしてそんな人を見下したようなものの言い方をするのだろう。自分たちのほうが豊かな知性や感性や人格を獲得しているといけしゃあしゃあといってしまう、そのくそあつかましい神経はいったいなんなのか。
人生の盛りを過ぎてもうすぐ死んでゆく身としては、そのように思いたいのだろうか。
みっともなくてひどい人生だったなあ、と思ったらいけないのか。
自分たちは充実していたと思うための材料として、「若者は気の毒だ」ということにする。「充実している」などという自覚は、充実していないこととの相対的な比較の上に成り立っているのであって、絶対的な基準などない。
深く悲しむ人生の豊かさだってあるし、充実していたといっても、現在のその人がそれに見合うだけの豊かな知性や感性や人格を備えているかどうかはわからない。
生きてあれば、誰だってその人のありったけの心で目の前の世界に立ち向かっている。
みんなでわいわい議論するのも、ひとりで考え込んで途方にくれてしまうのも、まあそれぞれの人生の味わいだし、優劣なんかつけられない。
今の団塊世代の大人たちに、充実した青春時代を送ってきただけの成果があるだろうか。内田樹にしろ上野千鶴子にしろ、戦後社会のゆがみをそのまま背負ってきてしまっているだけではないかと思える。



ひとまず終戦からバブルまでの戦後社会の歩みは、はたして団塊世代がいうほど健全だっただろうか。それは、日本人としての歴史意識を失っていった時代だったのであり、それで当事者たちは充実し満足していたとしても、そうやって無反省に突っ走ってきたことのつけがここにきてさまざまなかたちであらわれてきている。
団塊世代は絆の意識が強い。まあ、あんなふうに全共闘運動で盛り上がっていった世代なのだ。その絆の意識で、自分たちの青春時代は充実していた、という。
そして現在の若者たちの絆の意識は淡い。
しかし、この絆の意識の淡さこそ日本列島の歴史意識であり、人間存在の普遍性でもあるのだ。
団塊世代は、その絆の意識で無反省に自我を肥大化させてきた。まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。それが、彼等の「市民意識」になっている。彼らには、孤立した個体としての心細さなどはない。それは彼等の知性や感性の一部が欠損しているということであり、心細さからもたらされる知性や感性だってあるのだ。
もちろん、完璧な知性や感性などないわけで、だからこそ自分たちの若いころのほうが充実していたということなどいえないのだ。
彼らには、日本人がいかに絆の意識が淡い民族かということはわからないし、絆の意識が淡いことを人間としての欠落だと思っている。
戦後の核家族の絆の意識こそが、現在の家族の崩壊をもたらしたのだ。団塊世代は絆の意識で充実していたのかもしれないが、もともと日本人はそれに耐えられないメンタリティで歴史を歩んできたのだ。彼らの子供たちは、親たちが持っているその絆意識の濃さに耐えられなくなって自分の部屋に引きこもってしまった。
自分たちのほうが充実していたという団塊世代の論理では「家族の絆を取り戻さないといけない」ということになるのだが、おそらくそれではますます家族崩壊を加速させるだけだろう。また上野千鶴子のように「ネットワークの絆が大事だ」ということだって同じで、大人たちのその絆を当てにする意識が子供たちを追いつめている。
市民意識を持てばいいというものでもない。その絆意識こそが、人々の心を息苦しくさせる。閉塞感というなら、そういうことだろう。
これはまあ、世界的な傾向かもしれない。世界がグローバル化してグローバルなネットワークの絆が、人々に閉塞感をもたらしている。
そのような構造の世界になってしまったのならそれはもうしょうがないことだが、そのような構造だからこそ、絆意識を淡くしておかないと耐えられなくなってしまう。
核家族の絆だろうとグローバルネットワークの絆だろうと、人を閉塞感に陥らせるということにおいて根は同じなのだ。絆意識で人が救われるわけではない。



もともと人間は絆意識の淡い存在であり、絆の濃さに耐えられなくなって二本の足で立ち上がったのだ。
おそらく、どんな動物の社会も絆が濃くなり過ぎないようなしくみは持っているのだろう。それは、すべての生き物が「孤立した個体」として存在しているからだ。
現在のわれわれがさまざまな絆=ネットワークの中に投げ入れられてあるとしても、それを止揚するかたちでは生きられない。
二本の足で立っている人間は、絆の意識を淡くして生きてゆこうとする作法を持っているからこそ、絆=ネットワークをつくることができるのだ。
団塊世代は、昔の方が絆があった、絆を取り戻さないといけない、という。しかしじつは、彼らこそ、できるかぎり絆を淡くして生きてゆこうとする現在の若者たちの作法から学ぶべきなのだ。
絆を淡くして生きてゆこうとすることこそ日本人の歴史意識であり、人間の普遍的なメンタリティなのだ。
おそらく世界は、そのことに気づきつつある。だから、この国の若者たちの絆の意識の淡さから生まれてくる「クールジャパン」のイメージに関心を寄せる。
彼らが、やたら重ね着したりじゃらじゃらとたくさんのマスコットをバッグにつけていることは、それぞれに関係性=絆を持たせてゆくのではなく、それれぞれの関係性=絆を淡くさせるタッチの上に成り立っている。
その関係性=絆の淡さが、彼らをほっとさせる。これはまあ、江戸時代の町娘が髪に櫛やかんざしなどの飾りをあれこれ無作為にくっつけていたことの伝統であり、そういう関係性=絆を淡くしてゆくタッチこそ、日本人の歴史意識なのだ。
日本人は、けっして「日常=絆」に耽溺してゆくことはしない。そしてそれは、人間の普遍的なメンタリティや生態でもある。
この世界を混沌にして「非日常」の感慨に入ってゆくことを「あはれ」という。
この世に生きてあること自体が、ひとつの混沌なのだ。
その混沌のくるおしさがあるからこそ、「あはれ」の感慨もひとしおになる。
ひどい人生だったなあ、と思えば「あはれ」の感慨もひとしおになる。
「自分たちの人生は充実していた」だなんて、「あはれ」の感慨を知らない人間のいうせりふだ。そのいじましさは、いったいなんなのか。
今や、悪霊や妖怪変化のマンガが流行ったり、ギャルの「かわいい」のファッションが注目されたりするということは、この世界を混沌にして「非日常」に向かってフェイクしてゆこうとするいかにも日本的なムーブメントがすでに起きているということであり、団塊世代による「絆=日常を取り戻そう」という掛け声など、ただの騒音に過ぎない。
しかしその騒音が、若者たちを追いつめている。何か絆を大切にしなければならないという強迫観念があって、それがかえって彼等の関係をギクシャクしたものにしてしまったりもしている。
いじめだって、ひとつの絆をつくろうとする意識だろう。
絆なんかどうでもいいと思えるなら、そうそうむやみに他者に干渉してゆこうともしない。なのに、大人たちから、干渉する技法を教え込まれてしまっている。
大人たちの「絆を取り戻さないといけない」というかけことばがいじめを生んでいる。



戦後社会はひとまず「生命賛歌」としてはじまったわけで、その社会的な気分が団塊世代の絆意識の基礎になっているのだろう。彼らには生きてあることや生まれてきてしまったことに対する煩悶がなく、日常にもっと耽溺したいという欲望というか欲求不満で生きてきただけである。
その生命賛歌の延長としてテレビのホームドラマが大流行し、人々の絆の意識を強化していった。
日本人はもともと絆に対する意識が淡い民族なのに、団塊世代は例外的にその意識が濃い。まあその意識でここまで戦後の日本人を引っ張ってきた。というか、戦後という時代がまさにそのような意識をつくる様相だったわけで、彼らが先頭を切ってそれに踊らされてきたということだろうか。
彼らは絆の意識が濃いから、人も同じであることを要求する。そうやって高度経済成長に邁進してきた。
人間の絆の意識はやっかいだ。それが人間と人間をくっつけるということは、支配しあったり憎みあったりもさせているということだ。
絆の意識が強いからいじめになる。それだって「仲間の絆」の一表現なのだ。人殺しだって、絆の意識である。この、人に対するなれなれしさはいったいなんなのか。
幼児体験として過剰な絆の意識を持たされてしまうと、一生ついてまわる。この絆の意識の強さで人に干渉しながら社会的に成功してゆく人もいれば、逆に人を憎んだり怖がったりしないといけない羽目にもなる。現代社会でそういう病理的現象に陥っている人は、けっして少なくないはずである。
引きこもりといったって、絆の意識が強すぎてかんたんに人を憎んだり怖がったりしてしまう場合も多い。絆の意識が欠落しているのではない。
いじめに精を出す子供も引きこもる子供も、絆意識という一枚のコインの裏表かもしれない。この国の戦後という時代は、人にむやみな絆意識を持たせてしまう社会をつくり出してきた。
ひとまず戦後は、子供という存在に対する賛歌としてはじまった。小さな子供というのはどうしようもなくかわいくて、そりゃあどの親も絆意識を持ってしまうものだが、しかし同時に、この世に生まれ出てきてしまった存在であることに対する傷ましさの感慨だって疼く。おそらく赤ん坊のかわいさに対する感慨には、そういう無意識もはたらいている。
原初の人類は、けっして生きてあることに喜んでいる存在ではなかった。だからこそどうしようもなく人にときめいてしまってセックスして子供を産んでしまう。そしてその生まれてきてしまったことに対する傷ましさとともに大事に育てていった。
人間は、ただの生命賛歌だけで生きている存在ではない。われわれの無意識の中には生きてあることのかなしみやいたたまれなさがあり、この世に生まれ出てきてしまった生命に対する傷ましさの感慨がどこかしらで疼いている。
人間の親子は、ただ手ばなしの絆意識だけでつながっているのではない。絆意識の淡さの中にこそ人間の親子の関係の自然がある。まあこれは、世間一般の人と人の関係においても同じだろう。絆意識の淡さの中でときめき合っている。
人は絆意識が淡いからおもてなしということをするのであって、絆意識があればそんなことをする必要は何もない。絆意識の淡さこそ人間の自然なのだ。人間は、そういう生きてあることのかなしみやいたたまれなさを持っている。
なのに戦後社会はもう、手ばなしの絆意識で子供を育てていった。そうして、絆意識が強くて人になれなれしい団塊世代があらわれてきた。



東日本大震災のあとにもいっとき「絆」という言葉がもてはやされたが、そういう言葉をもてはやしてしまうこの社会の病理というのがある。この絆意識こそが、人を閉塞感に追いつめてしまう。
人と人は絆意識で家族や友情のネットワークをつくっていけばいいというのが、団塊世代の流儀である。
親の絆意識に囲い込まれて身動きできなくなっている子供がいる。絆意識を武器に人になれなれしく寄っていってネットワークの関係をコレクションしていい気になっている「おひとりさま」の団塊世代のおばさんがいる。みっともなくブサイクな顔つきをしていたって、勝ちは勝ちだ。
勝ちは勝ちなのだけれど、みっともない顔つきになってしまうし、「探求する」という思考も美意識も欠落してゆく。えらそげにこの社会や人間を分析・吟味するばかりで、人間について何かを発見するとか人間と出会ってときめくという「探求する」体験なんか何もしていない。
しかし人は、いったん絆から離れてひとりぼっちになり、そこからあらためて世界や他者にときめいてゆく。それが日本列島の「山の中に入ってゆく」という文化のコンセプトであり、人間の「探求する」という態度なのだ。
人間の自然は、絆意識の淡さとともに誰もがこの世界の孤立した個体になりながらときめき合ってゆくことにある。そういう「この世界の孤立した個体になってゆく」ことこそが日本文化の基底になっている「山の中に入ってゆく」という心の動きであり、そうやって日本人は深くお辞儀をする。人と人のときめき合う関係はそこからはじまる。
日本人の絆意識は淡い。それが、われわれがこの日本列島で共有している歴史意識である。
かつての日本人は、人がこの世界に生きてあることは傷ましいことだという感慨があり、それを「あはれ」といった。その絆意識の淡さを携えて彼らは、深く豊かにときめき合っていた。
絆意識があるなら、ときめき合う必要なんかないのである。絆を持つことの不可能性の中で、人と人はときめき合っているのだ。そして戦後社会は、「民主主義」だの「市民社会」だのと合唱しながら絆の意識を押し付け合うばかりで、他愛なくときめき合うという関係を失っていった。
たとえば現在の「婚活」というムーブメントは、みずからの望む条件に合った相手を探すという活動で、目の前のもので見つくろっておくという他愛なさを失っているからだろう。昔はみんなそうやって恋愛をし結婚していたはずだが、戦後社会は、どんどん人をそういう方向に引きずってきた。
人が他愛なさを失った社会で生きてゆくのはしんどいし、他愛なさを持った人と出会うとほっとする。まあ、誰の中にも他愛なさはあるに違いない。
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