百鬼夜行・ネアンデルタール人と日本人95


日本人は、悪霊や妖怪変化が好きだ。
水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」からはじまって、現在の多くのマンガやアニメも悪霊や妖怪変化をモチーフにしている。
それらは、この世界の混沌を象徴する存在である。この世界の混沌を意識すれば、心は「非日常」に入ってゆく。日本人はべつに悪霊や妖怪変化を信じているわけではないが、生きてあることに対する嘆きがあって、意識はどうしても「非日常」に向かってフェイクしてゆこうとする。その「非日常」に向かう契機として、この世界を混沌としたものにイメージしたがる傾向がある。そういう心が、この世界に悪霊や妖怪変化を跋扈させる。
ひところ流行った「蟲師(むしし)」というマンガなどはまさにこの世界を混沌一色に塗りつぶしてしまう世界観だったし、「隣のトトロ」や「もののけ姫」をはじめとする宮崎駿ジブリアニメだってそういう要素を加えることによって成功しているのだろう。
日本人は、ありえない神や霊魂や妖怪変化を信じてゆく。ありえないから信じてゆく。そうやって神や霊魂や妖怪変化を好き勝手につくり出す。もう、古事記の昔から、そんなことばかりやってきた。
その「つくり出す」手際の妙を楽しみながら、一方では本気で信じてゆく。まあ世界中の人間がひとまずそんなメンタリティを共有しているわけだが、その証明もしないで平気で信じてゆくのうてんきさと非日常に向かってフェイクしてゆく傾向においては日本人が際立っている。
この世界の秩序=絆を解体して悪霊や妖怪変化が跋扈する混沌にしてしまう。
鎮守の森の祭りだって、悪霊や妖怪変化が跋扈する混沌だったのだ。だからこそ、山の民や乞食や漂泊民がその賑わいの中心になっていった。
現在のこの国の若者たちだって、生きてあることや生まれてきてしまったことのかなしみやくるおしさを知っている。だから、悪霊や妖怪変化のマンガやアニメが流行る。
それらはひとまず「ありえない」ということを前提にしているから、多彩に想像=創造することができる。
日本人の悪霊や妖怪変化に対する親しみは、絆の意識の淡さである。「ありえない」から信じる。「ありえる」という絆の中で信じているのではない。



日本人の人と人の関係は、はにかんだり遠慮したり深くお辞儀をしたり「つまらないものですが」といって贈り物を差し出したり「愚妻・愚息」などと謙遜したり、とにかく関係を淡くしておこうとする傾向がある。
その淡い関係を飛び越えてときめき合ってゆく。それはもう、「ありえない」神や霊魂や妖怪変化を他愛なく新手ゆくのと同じ心の動きの作法に違いない。
日本列島の祭りは、見ず知らずの人間どうしが他愛なくときめき合ってゆく場として発展してきた。海に囲まれた島国で異民族との軋轢を知らないまま歴史を歩んできたから、そういう無謀なジャンプをしてゆく文化が育ってきた。
祭りの場では、誰もが絆も帰属する集団も持たない孤立した存在として、見ず知らずの相手に他愛なくときめいてゆく。
しかしこのはぐれてしまった迷子のような心は、なやましくくるおしい。その裸でこの世に放り出された赤ん坊のようなひりひりした嘆きを抱えているからこそ、他愛なくときめいてゆくのだし、「ありえない」神や霊魂や妖怪変化を他愛なく信じてゆきもする。
基本的には、誰だってこの世界の孤立した個体であるという生き物としての自覚は持っているに違いない。そうしてその、まったく赤ん坊のような「いったいこの事態はなんなのか?」というかなしみやくるおしさが心の底に疼いている。人間はもう、そういう感慨を持つほかないような存在のしかたをしている。それが「死を意識する生き物」であることのゆえんだろうし、日本人はもともとことさらに死に対する親密さを抱いて歴史を歩んできた。
だから、百鬼夜行の妖怪変化の話を紡ぎだすのが好きなのだろうか。
この世界にたった一人で放り出されてしまった生まれたばかりの赤ん坊の気分、それが、日本文化の基礎であり、「山の中に入ってゆく」という体験なのだ。
「山の中に入ってゆく」という体験には、なんだか知らないが悪霊や妖怪変化がよく似合う。



「山の中に入ってゆく」思考は、探求する思考である。知識をつぎはぎして広げてゆく思考ではない。縄文人は、そうやってなんの知識もないところから漆の精製や稲の育て方を覚えていった。
「畔(あぜ)」という言葉はやまとことばだろう。もしも稲作が大陸から伝わったのなら、大陸の言葉が残っているはずであるが、稲作に関する言葉はやまとことばばかりだ。
「あぜ」とは、水がこぼれ出ないようにせき止めている土手のこと。「あぜ」の「ぜ」は、「せき止める」の「せ=ぜ」、「不可能性」の語義。
縄文人はすでに水田耕作を知っていた。しかも山の斜面でつくっていた。だから、「水をためる」という意識よりも「水をせき止める」という意識で「あぜ」といった。これはおそらく、平地での農法から生まれてきた言葉ではない。
そうやって、一枚一枚棚田をつくってゆく。これは縄文時代からはじまったのではないだろうが、ひとまず探究心の成果である。日本列島の水田耕作は、山間地からはじまっている。日本人の探究心は、田んぼがつくれるはずがない山の斜面にも田んぼをつくってしまった。
狭い部屋をいろいろ工夫して広く使うことの愉しみから中世の「数寄屋造り」が生まれてきた。まあ「物好き」の「数寄(すき)」だ。「すき」は「すく」の体言。「すく」とは、「紙(髪)をすく」などというように、「すべりぬける」こと、すなわち「融通(工夫)」すること。
「数寄」というのはたんなる当て字だが、あれこれ工夫しておもしろくすること、というようなニュアンスだろうか。
工夫することは、探求することである。
おしゃれな人間のことを「すきもの」といった。たとえば着物の裏地に凝るとか、煙草入れや財布などの小ものに凝るとか、おしゃれのことにあれこれ工夫しているからである。
まあ、悪霊や妖怪変化の話を手を変え品を変えつくり出すことも、ひとつの「数寄(すき)」の精紳である。江戸時代は、傘お化けとか提灯お化けとかろくろっ首とか、そういう百鬼夜行の「数寄(すき)」の話が大流行した。
探求するとは、「数寄(すき)」の精紳である。
「好き」という言葉の最初には、「ただの物好きです」という自己韜晦があったわけで、その「物好き」ということ自体が探究心である。
それはまあ「山の中に入ってゆく」という精紳であり、縄文人が漆の精製や稲作を覚えていったところからすでにはじまっている。彼らは、知識という「絆」などに頼っていなかった。なんにおいても日本人は、絆の意識が淡いから、探究心が旺盛になっていったのだ。
知識などに頼っていない。生まれたばかりの子供のような好奇心で探求してゆく。そのようにして「ジャパンクール」のマンガは、世界があっと驚くような悪霊や妖怪変化の話を生み出す。



日本人が悪霊や妖怪変化の話が好きで、さまざまの工夫しながらその話を生み出してきたことは、日本人が悪霊や妖怪変化を「ありえる」ものとして信じているのではなく、「ありえないもの」として信じていることを証明している。「ありえる」という範疇に縛られていたら、好き勝手につくり変えたりデフォルメしたりできない。
日本人は、今なお、新奇な悪霊や妖怪変化を造形し続けている。
この「数寄」の精紳こそ「ジャパンクール」である。
日本人は、悪霊や妖怪変化の話をつくり続けることによって、宗教とは無縁の信じる心を守ってきた。「ありえる」と思って信じるので花「ありえない」という非日常の世界に入り込んで信じてゆく。
これは、日本人の死生観ともかかわっている。
死んだら何もない「黄泉の国」に行くということは天国も極楽浄土も死後の世界も信じていないということである……ということは再三いってきたが、けっきょく「ありえない=非日常」に対する視線を持っているから、日常の無限遠点(=ありえる)としての天国や極楽浄土や死後の世界が信じられない。
「非日常」は、「今ここ」の死の世界である。無限遠点まで旅しなくても、「今ここ」で一気に死の世界に入ってしまう。
だから、「今ここ」に悪霊や妖怪変化が現れてくる。
日本人の死生観は、縄文時代以来何も変わっていない。
おそらくずっと、天国も極楽浄土も死後の世界も知らないまま歴史を歩んできたのだ。
そうでなければ、今なお新奇な悪霊や妖怪変化の話をつくり続けられるわけがない。
そして世界中の人が「今ここ」に現れる悪霊や妖怪変化の話に関心を示すということは、彼らもまたどこかしらに「非日常」に対する視線を持っているということだろう。どうせ同じ人間なのだ。
とにかく、日本人の死は「今ここ」の「ありえない=非日常」の中にある。そうやって「山の中に入ってゆく」ことが死ぬことでもある。



特攻隊の兵士が恋人の名やお母さんを呼びながら死んでいったとすれば、やっぱりそれによってたちまち恋人やお母さんのもとに帰っていったのだろうか。天国や極楽浄土なんか知らないから、そういう気持ちになれる。天国や極楽浄土に行くなんて思っていない。もう「今ここ」の「非日常」の空間しか思い浮かばない。そこに、恋人やお母さんがいる。「今ここ」にいないからこそ、「今ここ」の「非日常」の空間にいると確信することができる。
恋人やお母さんとは絆でつながっている、と思うのではない。思っているのなら、呼ぶ必要なんかない。たとえば、そばでお母さんが見守っていてくれる気分になれる。そんな絆の意識は淡いからこそ、ひたすら思いをはせる。その一途な思いが、「非日常」に入ってゆかせる。
そうやって死んでゆくことは不幸なことだろうか。心が一直線に恋人のもとに帰ってゆく。そういう至福の瞬間というのも、ないわけではないだろう。
どっちにしても、死んでゆくのだ。その先のことなんかわからない。それが死んでゆく瞬間の至福ならそれでもいいのだろうし、日本人がわりと死んでゆくことに平気な歴史を歩んできたのは、天国や極楽浄土や死後の世界を信じていたからではないし、死が名誉だと思っていたのでもない。何か、死の瞬間と和解できるイマジネーションを持っていたからだろう。直感的に、和解できる自信というか確信があったのだろう。
それはまあ、歴史の無意識だ。誰の中にも、歴史的な日本人の死に対する思いが無意識として息づいている。それがたぶん、死の瞬間は死と和解できる、という直感あるいは確信をもたらす。さらには、昔の人は、死の瞬間の至福というのを確信できたのかもしれない。
しかし戦後の日本人は、そういう歴史意識を失った。それが、現在のターミナルケアを困難なものにしている。上手に死んでゆくことができる人もいれば、できない人もいる。
どうせ死んでゆくのなら死の瞬間なんかどうでもいいといえばどうでもいいことなのだが、現代はそこにいたるまでの待ち時間が長いから、やっぱり待ち時間の過ごし方という問題はあるのだろう。
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