「感じる」文化・ネアンデルタール人と日本人98


海を眺めていると、感情が鎮まり安定してくる。
山の中に入ってゆくと、感覚が研ぎ澄まされてくる。
どちらにしてもそこは日常とは別の「非日常」の空間である。
人間は、「非日常」の空間に入ってゆくようにして旅に出る。
「ときめく」とは、意識が「非日常」の空間に入ってゆく体験であり、人はたぶん、そのようにして死んでゆく。だから、「死にたい」という言葉がついこぼれ出てくる。人間は、どこかしらで、死に魅せられている。それは、そこが「非日常」の空間だからだろう。
誰だって急いで天国や極楽浄土に行こうとも思わないが、生きている今ここで、すでに死に魅せられている。心はすでに「非日常」と往還している。
人が「死にたい」と思うときの死の世界は、宗教者が説く天国や極楽浄土とはちょっと違う。
心が「非日常」の世界に入ってゆくという体験は、誰もがしている。人と出会ってときめいたり、何かに夢中になって我を忘れているとき、心は非日常の世界に入っていっている。
我を忘れているからといって、心が動いていないわけではない。そのときのほうがもっと豊かに動いている。



「感じる」というと何かあいまいな響きで、「わかる」ということよりも一段下の頭のはたらきのように取られがちだが、「感じる」ということができなければ高等数学など成り立たないともいわれている。
山の中に入ってゆくと、この「感じる」という意識のはたらきがとても豊かに起こってくる。
日本語は感性的だとか身体的だとかとよくいわれるが、日本文化が基本的に「山の中に入ってゆく」というコンセプトの上に成り立っているからだろう。
日本人にとって生きることの何かは、感じることであって、わかることではない。「感じる」という体験の上にこの生が成り立っている。
そして昔の日本人がなぜかんたんに死んでゆくことができたかというと、それもまた人々がそこに何を感じていたか、という問題になるのだろう。
西洋人はこのことを指してよく「日本人は死を名誉なことだと考える民族だからだ」などと分析してくれるが、おそらくそういう観念・思想の問題じゃない。西洋人はそうやって観念や思想で意志決定できる人たちだろうが、おそらくもっと感覚的に死に魅入られてしまう体験を昔の人は持っていたのだろう。
「無常」といっても、それは観念や思想ではない、「感じる」という体験なのだ。だから中世の道元をはじめとする知識人たちは、無常のことになると、突然饒舌で詠嘆美文調の物言いや書きざまになった。
おそらく、論理的になど語りようがないのだ。この世がはかないという以前に、なによりもまず、死に魅入られている心がある。この世のことなんかどうでもいい。心はすでに非日常の世界に入っている。「諸行無常、ただ春の夜の夢のごとし」などといっても、嘆いているようでいて、嘆いていない。みんな、嘆きつつ、うれしそうでもあるのだ。彼らは、自由に日常と非日常を往還できたのだろうか。「死は案(=心)の内、生は案の外」などという武士の言葉もある。
とにかく、死が使命だとも名誉なことだとも思っていないのだが、死に魅入られている。
現在の自殺する人たちでもそうなのだろうが、人間は普遍的に、死の瞬間の恍惚のようなものを直感できるらしい。なんだろう?僕にはわからないが、何かそういうものがあるらしい。
日本文化の基底としての「非日常に向かってフェイクしてゆく」という心の動きは、つねにそういう死に魅入られてしまう危険をはらんでいる。人間の生の危うさというのだろうか。しかし、その死と生のはざまで人間は「感じる」という体験をしているのだろう。



日本人には思想がない、とよくいわれる。それはきっとそうだろう。何しろ共同体(国家)の発生が大陸より数千年も遅れた場所である。良くも悪くも思想は、共同体(国家)の規範のもとに置かれた観念から育ってくる。日本人は、そういう思考回路を持っていない。つまり、主義・思想による意志決定ができない。そういう思考回路を持つ前に、すでに「感じる」という体験をもとにした文化を洗練発達させてしまった。
日本人の「無常」は、思想ではない。死に魅入られてしまう「感じる」という体験なのだ。
思想で死を厭わなかったのではない。思想で行動する思考回路ではない。
あの太平洋戦争突入にしても、論理的思想的に決断されていったわけではあるまい。誰もがそういうこの世界のなりゆきを感じ、それに従ったのだろう。もちろん、こんな言い方をしても欧米人には通じない。戦争に突入しようとする「意志」を持ち「決定」していったはずだ、と彼らはいうのだが、ほんとうにそうではないのだ。日本人からしたらもう「この世界のなりゆきとしてすでに決定されていることを感じたからそれに従ったまでだ」としかいいようがない。通じなくても、そうとしかいいようがない。そこのところはもう、思想で行動する民族と思想を持たない民族との、どうしても通じ合えない部分がある。これは、言葉の構造や機能の違いでもある。
だから、彼らのいう意味での「反省」というものがない。そういう「反省」は、主義・思想で意志決定できる人たちのもので、日本人にあるのは、どうしようもない絶望とかなしみだけある。「慙愧の念に耐えない」としかいいようがない。



大東亜共栄圏」といっても、欧米の植民地支配が進む中で東アジア最後の砦としてまわりから頼みにされたということだってあるし、じっさいにあの戦争によって世界中の植民地支配が終焉に向かったともいえるのだろう。東アジアは、日本の壊滅的敗北を生け贄にして解放された、のかもしれない。
それでも戦後の日本人はそんなことはいっさい口にせず戦勝国の方針に従っていったし、賠償も払えるだけ払っていった。それは、ただ口だけで「反省している」というよりももっと正直な態度だったのかもしれない。そうして日本人であることすらもかなぐり捨てるようにして出直していった。
思い切り恥もし後悔もしたが、「しなくてもすんだ」とは思っていない。それは自分たちの「意志」であったのではない。抵抗することのできないこの世界のなりゆきだった……こんな言い方が世界のどこにも通用しないのはわかっているが、正直にいえといわれるのなら、そうとしかいいようがない。
日本人は、「意志」よりも「感じる」ということが優先してしまう。
あの戦争は「意志」によって決定されたのではない。戦争をするべき状況がすでに存在していると「感じた」のだ。その「状況」に日本人の誰もが動かされていった。当時の戦犯やそれに従った民衆をどんなに糾弾したり反省したってせん無いことだ。日本人にとってたとえそれがどんなに愚かなことであろうと「しなくてすんだ」過去など存在しないのであり、それが無常感である。自分もこの生も「案(心)の外」なのだ。この生がはかないのではない、この生をはかないと嘆く心がはかないのだ。この生がはかないと嘆くなんて、この生を充実したものにしたいという欲望にすぎない。この生のことなどどうでもいい、この生のことなどどうでもいいのがこの生なのだ。心は、「非日常」に向かってフェードアウトしてゆく。したがってこの生(=日常)を決定する「意志」など持たない。おそらくそうやって日本人は死に魅入られている。
死に魅入られるように戦争をはじめてしまったのだろうか。
戦後の日本人は、その「反省」とともにひたすら作為的な「意志」で生きてきた。そしてその結果として、現在の精神的貧困を招いている。団塊世代をはじめとする現在の大人たちは「感じる」という知性や感性を喪失してしまっている。それはもう、日本的というより、人類普遍の精神のはたらきだというのに。
80年代は、世界中の人間が「感じる」という部分のはたらきを残しているときに日本人だけが作為的な「意志」に邁進して経済競争に一人勝ちをし、バブルの繁栄を迎えた。それはそれでよき時代だったのだろうが、そのツケが現在の大人たちの貧しい精神や顔つきに表れてきている。
あれほど死に親密だった日本人が、現在、なぜこんなにも死を前にしてうろたえたり暴れたりしないといけないのか。日本の大人や老人は、こんなにも醜くかっただろうか。
能においては、翁舞が至高の名人芸として伝承されている国なのである。



たぶん、人と人の関係の絆やこの生(=日常)との関係の絆に対する意識が強すぎる社会になっているのだろうと思える。
そういう「絆」の意識の淡さこそ日本列島の伝統だったのだが。
お金との絆、物との絆、知識との絆、そういう欲望=意志が強すぎるのだろう。
根本は、人との関係やこの生(=日常)との関係の絆に対する意識にある。戦後は、そういう意識が180度反転してしまった。戦後を生きはじめた大人たちはともかく、戦後に生まれた子供たちはもう、それだけが頭の中に刷り込まれてしまった。
西洋人が意志決定する心と感じる心を半々にして上手にやりくりしているのだとしたら、戦後世代を代表する団塊世代の頭の中はもう、作為的な意志決定の欲望ばかりになってしまっている。その欲望で、人との関係の絆やこの生(=日常)との関係の絆を濃くしていっている。彼らのそうした絆の意識は、西洋人よりももっと濃い。
まあ日本人全体が、他人や子供に干渉してゆくことが平気になり、絆の意識の淡さで上手に「見守る」ということができなくなってしまっている。
もともと日本人は、感じる心の豊かさと絆意識の淡さで人と人の関係の文化を育ててきた民族であるのに。
死に魅入られる心を持っていてもいいのだ。それが人間の自然であり、その危うさを人間は生きている。その危うさの中で知性や感性を発達させてきた。
絆の意識が淡い人こそ、もっとも豊かな「感じる」心を持っている。他者とのあいだに「すきま」があるから「感じる」というはたらきが起こる。
人類はもともと他者の身体とのあいだの「すきま」をつくろうとする猿として歴史をはじめた。そうして、たがいにときめき合っていった。
「感じる」という心の動きを持たないと、人と人の関係なんか成り立たない。とくに日本列島ではそのようになっているし、そのようになれるような文化を育ててきた。
日本人がとくべつ敏感であるのではない。基本的に人間はみな同じだが、日本列島では敏感になってゆく作法の文化を育ててきた。それは、人間の原始性の上に成り立った文化であり、人間はもともと他愛なくときめき合っている猿だった。



人間は、集団をつくろうとする存在ではない。他愛なくときめき合いながらいつのまにか集団になってしまっているのが人間の基本的な生態である。
他愛なくときめき合っているのなら、集団をつくろうとするまでもなく、集団になってしまう。
日本人の原始性は、ときめき合い感じ合いながら集団になってゆく流儀で、基本的に集団をつくろうとする衝動=欲望を持っていない。
だから、「憂き世」というし、明治になるまで国歌も国旗もない歴史を歩んできた。
つまり、集団運営の「意志決定」などしないのだ。今ここの集団がどのようになりつつあるかをみんなで感じ合いながら、みんなでその「なりゆき」にしたがってゆく。そうやって太平洋戦争に突入していったのだ。
ほんとにもう、誰が決定したのでもない。誰もがそういう「なりゆき」を感じたのだ。
原初の人類の歴史において、集団の外をうろつくものどうしが出会って他愛なくときめき合っていったとき、誰もがそこに新しい集団が生まれつつあることを感じていただけで、べつに新しい集団をつくろうとしていたわけではない。リーダーもいないその烏合の衆の集まりが集団になれるはずもないのに、なっていった。集団になってしまうほどにときめきあっていたからだ。人類は、この体験の繰り返しで地球の隅々まで拡散していった。
太平洋戦争突入の会議だって、おそらくこのような「なりゆき」を感じ合い合意していっただけだろう。
日本列島の文化は、そういう原始性を持っている。みんなで集団をつくってゆこうという「絆」の意識は淡い。ときめき合うから淡いし、淡いからときめき合う。もともと絆などない雑多な人間がどこからともなく集まってきて生まれた集団なのだ。弥生時代奈良盆地だってそのようにしながらやがて都市国家という大集団になっていったのだ。



まあ今どきの「空気を読む」というムーブメントがいいのか悪いのかわからないが、日本人はいつまでたってもこんなことを繰り返している。
集団をつくろうとする意志よりも、集団の「なりゆき」を「感じる」ことが優先される。
だから「山の中に入ってゆく」というコンセプトの文化になっている。山の中に入ってゆけば、感覚が研ぎ澄まされる。
よく「日本列島には四季がある」などといわれるが、四季なんか同じくらいの緯度の地域ならどこにだってある。そういうことをいうなら「四季を感じる」というべきだろう。
夏の終わりにはもう秋の気配を感じている、正月は冬の最盛期なのに「初春」という。そして初雪とか初鰹とか、とにかく「初もの」が好きである。敏感になってゆくことがコンセプトの文化だからだろう。そして「敏感になってゆく」ことは「山の中に入ってゆく」ことである。
その「感じる」文化の基本は、人と人がときめき合うという体験にある。それがないと人間は生きられない。
「あはれ」も「はかなし」も「わび」も「さび」も「無常」も「数寄」も「幽玄」も、すべて人と人がときめき合う体験の上に成り立った美意識であり世界観であり生命観である。日本列島の住民は、その美意識や世界観や生命観を抱きながら、他愛なくときめき合ってきた。そして、他愛なくときめき合ってゆく生態を持っているから、他愛なく死に魅せられてしまうし、他愛なく「非日常」の空間に入っていってしまう。
絆を淡く保っておいてときめいてゆく、という文化。親子兄弟の絆の中でときめき合っているなんて、あまり現実味のある話ではない。



現在の若者たちが結婚したがらなくなったのは、前の世代の親たちが絆にしがみつきすぎたことの反動と、絆を淡くしてときめきあってゆくという伝統文化がうまく機能しなくなっていることもあるのだろう。
もともと人間には絆とか集団をつくろうとする衝動はないのだから、結婚したいという衝動もまた根源的には存在しない。結婚なんか、人生のなりゆきでしょうがなくするものだろう。ときめいてしまったら、するしかない。できちゃったら、するしかない。
だから相手なんか同じ職場かサークルで見繕っておけ、といっても、顔なじみの近い間柄だからこそ絆を淡くしながらときめき合ってゆくという作法が必要になる。近ごろはすぐなれなれしくなってしまって、婚活の合コンとか、職場の外でしかときめきを体験できなくなっているのだろうか。それは、とても不自然なことだ。
現在の職場は女も同じレベルの高度な仕事をしているから、そういう環境では共犯者や戦友のような絆の関係になって、おたがいがよくわからないという男と女の関係にはなりにくいのかもしれない。
絆を意識してしまったら、ときめく感性はどんどん鈍くなってゆく。
まあ「生活者の思想」とか「市民社会」などという言葉がもてはやされて、非日常的な感慨が起きてこない社会の構造にもなっているのだろう。だからこそ、非日常的な悪霊や妖怪変化のマンガやアニメが流行る。日本人がそれらの話が好きなのは、それらの存在を信じているからではない。非日常的なときめきの体験のバリエーションとして関心を寄せているだけである。
まあ悪霊や妖怪変化は絆が成り立たない相手であり、だからこそときにときめいたり引き寄せられたりする。信じていない絆の淡い相手だからこそ、心を揺さぶられたりもする。
ときめくとは、他者とのあいだの越えがたい断絶を飛び越えてゆく体験である。そういう非日常のお祭りである。
「感じる」とは、非日常的な体験である。
ひとりぼっちで山の中に入ってゆかないと、ときめきなんか起きてこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ