「日本文化論のインチキ」のインチキ

「日本文化論のインチキ」(小谷野敦 著)という本のことを知らされて僕は、かなりびびった。おまえの考えていることなどこの本の中に全部書いてある、といわれたら、僕のこの三年間はいったいなんだったのだろう、ということになる。
だから、無理してでも、小谷野敦がなんぼのもんじゃい、というしかなかった。
まあ、威勢がよくておもしろい本だったが、この人だって「比較文化」の表層というか上澄みをすくっているだけじゃないか、とも思った。
たとえば、小谷野氏はこういう。「恋愛という概念は明治(近代)になって輸入された」というような最近よく出てくる説がとんでもない話であることはとうぜんで、また学者や評論家たちがいっている日本独自の恋愛のかたちなんか全部外国にも例があって、そういうことをよく調べもしないでいっている彼らの説はことごとく学問になっていない……と批判しておられる。
東大の人だからしょうがないのかもしれないけど、「学問になっていない」というその上から目線が、僕は気に入らない。人間が何かを考えれば、すべて「学問」なのだ。学問という概念そのものを疑いもう一度考え直してみようという態度は、この人にはない。なんのかのといっても、「東大」という牙城を守って商売をしたいのか。
ほんとうにそれがたしかな牙城になっているならそれでもかまわないが、そんなことをやって思考停止しているから、最後の決めぜりふが薄っぺらになってしまうのだ。
この本が、日本列島の住民の恋愛と西洋や中国などの大陸の人々のそれとの根源的な差異をちゃんといってくれているかといえば、けっきょくなんにもいっていない。
この人はようするに日本独自の恋愛などというものはない、といいたいのだろうが、そんなことはない。大陸の恋愛と日本列島の男と女の関係との根源的な違いというのはたしかにあるのだ。
恋愛なんか、猿でもしている。それは、生きものとしての生きてあることの居心地の悪さをどうやりくりしてゆくかという実存的な契機を持って生まれてくる。そしてそういうことに対する感受性が人間と猿では違うだろうし、大陸の人々と日本列島の住民との地理的歴史的な違いというのはやっぱりあるだろうし、そうなればとうぜん恋愛に対する実存的な意識の違いも生まれてくる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「日本文化論のインチキ」では、娼婦の歴史をわりと詳しく語っているのだが、江戸時代は「娼婦との恋という変態思想」が一部で流行したがしょせんは亜流である、という。そうじゃないのですよ先生、日本列島の歴史においては、「娼婦との恋」こそ恋愛の正統なのですよ。女に惚れるというのはどういうことだろう、と一度でも本気で考えたことのないあなたには、けっきょくそのていどの認識しかできないのしょうね。
家族制度が生まれる前は、世界中どこでも女は娼婦であり「やらせ女」だった。チンパンジーの世界では、母子関係はあるが、家族関係はない。その延長で人類の歴史ははじまったのだから、はじめに家族関係があったということはありえない。一夫一婦制は、人類700万年の歴史において、せいぜい氷河期明けの1万年ていどのことでしかない。
そして日本列島で本格的に一夫一婦制が定着したのは、さらに新しく、中世以降の1千年ほどの歴史しかない。古代以前は、おおむね自由な恋愛の社会だった。
縄文時代の集落は、ほとんどが女と子供だけで暮らしていた。そこに、旅をしている男たちの小集団がたずねてきた。いわばそこは、遊里だったのだ。
縄文土器は、原始の感性で作られたのではない。女の感性による作品なのだ。縄文集落が女子供だけのものだったと推測できる材料はいくらでもある。その集落の規模のほとんどが十戸か二十戸ていどで共同体に発展していかなかったのも、女子供だけの集落だったからだろう。
そこは、遊里だったのだ。つまり、男と女が一緒に暮らすのではなく、「出会う」場所だった、ということだ。それは、まぎれもなく「恋愛」の文化だろう。だから、古代の女たちはあまり貞操観念なんかなかったし、中世の「白拍子」や近世の「花魁」といった高級娼婦が最上の女とされたのも、おそらく縄文以来の歴史の水脈なのだ。
それは、日本列島の社会が、根源的には「一緒に暮らす」文化ではなく「出会う」文化の上に成り立っていることを意味するのであり、そこが、一夫一婦制が早くから発達した大陸の文化とは違うところだ。
小谷野氏が日本史のあれこれの文献に詳しいからといって、日本列島の常民における恋愛観の根源のかたちを問い詰めようとする思考なんかぜんぜんなっていないと思う。資料を調べるだけのことなんか、ただの労働じゃないか。みずからの想像力を駆使して根源のかたちを問い詰めようとする思考なんかぜんぜんできていない。それで「学問」といえるのかよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕の信用するあるブログでこの「日本文化論のインチキ」が絶賛されていて、なぜかもう、自分が問う問題はすべてこの本で解決されているのか、というようなショックを受けてしまった。
だから、ひとまずこの本に対する反論を書いておこうと思った。そのていどの薄っぺらな思考で日本文化の根源の何が明らかになるというのか、文献をいじくりまわすしか能がない人間の思考なんてそのていどのものさ……とでもいっておかないと立ち直れないような気がした。
そんなふうに思うということはつまり、僕自身に、自分にしか問えない問題のかたちがある、というような妙な自信があったのかもしれない。文献に頼るのは、想像力や思考の持続が足りないからだ、という思いもないわけではなかった。
だから、そんなもの学問じゃない、といわれると、ちょっとムカッとくる。ろくに考えることもできないで文献を当てにしているだけのくせにえらそうなことをいうな、と言い返したくなる。
小谷野氏の説明でも、やっぱり、それは違う、それだけではまだだめだ、と思う。あのていどの思考では日本文化論を根底から問い直していることにはならない。
文献を精査する、といえば聞こえはいいが、そんなもの、子供がポケモンカードを集めて自慢しているのとたいして変わりないじゃないか。そんなことだけが「学問」というわけでもないだろう。
ようするにこの人は、知識人どうしの勢力関係を変更したいのだろう。そういう部分の書きざまは、やけに力が入っている。そういう政治的な権力闘争というのは、はたで見ていてもおもしろい。まあ、がんばってやってくれ。
われわれは、知識を自慢したいのではない。たとえ日本文化論であれ、人はどうすれば生きていられるのだろう、あるいは、どうすればちゃんと死んでゆけるのだろう、というところに立って考えている。そこが、あなたたちとはちがうところだ。
小谷野氏の説を擁護したい人からのお叱りの反論は拒みません。できればいただきたいと思っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もともとこのブログは、直立二足歩行とネアンデルタールのことばかり書いてゆくつもりで始めた。それについては、世界中を敵にまわしてもいいたいことがあった。
それが、ちょっとした成り行きで日本文化論を考える方向に変わっていった。
今にして思えば、もしかしたら僕のいちばん考えたかったのは、このことだったのかもしれない。ただ、そういうことは自分よりももっと深く問い詰めている人がこの世にはたくさんいるはずだから、手を出してもしょうがない、という思意があって、最初からあきらめていたらしい。
だからこそ、底の浅いカードゲームみたいな思考でえらそうにいわれたら、我慢がならないのだ。
僕だって、それなりに学者先生というか知識人と呼ばれる人たちに対する敬意は持っていた。そして自分の領分を外れるまいと自制もしていた。
しかしいざこうしたネット社会に参加してみると、知識を自慢して優越感に浸りたい人間がたくさんいて、その上に知識人や学者先生が立っている、という構図が見えてきた。
そんな連中ばかりのさばっているなんて、なんか変だ。
だったらこっちだってもう、覚悟を決め、おまえら、ほんとうにわれわれより深く遠くまで考えているといえる自信があるのか、と捨て身で問うてゆくしかないではないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小林秀雄は「自意識にけりをつける」といった。
世の中には、そういうことをちゃんとしないと、息をすることも体を動かすこともままならなくなるくらい「私」という意識から追いつめられてしまう人がいるらしい。
つまるところこれこそが日本列島の歴史的な問題であり、現代人も誰もが程度の差こそあれこの問題を抱えており、そこから、まいとし自殺者が3万人を越えるといったようなこの国独自の「鬱の時代」という現象が起きてきているのだろう。
日本列島においては、「自意識」とはひとつの「けがれ」なのだ。
それは、日本列島の歴史的な問題であると同時に、人間の根源の問題でもある。
小谷野氏は、「もてない男」とかいう本を書いてベストセラーになったらしいが、彼が威勢よくまわりの知識人を切りまくるのは、もてないブ男の逆襲というところだろうか。
しかし、生きにくいのは、もてないブ男だけじゃない。ブ男だからもてないなんて、そんな言い訳はするな。世の中には、ブ男に寛容な女はいくらでもいるし、僕のように女なら誰でもいい、という男だっている。
あなたがもてないのは、ブ男だからではなく、その他人に対する優越感を振りまわす態度が目障りだからだ。というか、その「ブ男」という告白だって、ひとつの自己愛じゃないか。
人間なら、誰だって「けがれ」を負って生きがたい生を生きているのだ。もてないブ男であることなんか、なんのいいわけにもならない。もっと生きがたいところを生きている人は、ほかにいくらでもいる。そしてそういう人は、「東大」とか「学問」といったもので優越感を代償になんかしていない。もっと深いところで「けがれ」を自覚して追いつめられている。
優越感を代償として持てるなら、けっこうなことだ。しかし日本列島の住民は、避けがたく「けがれ」の自覚から生きはじめなければならない。
ブ男であるとことなんか「けがれ」でもなんでもない。「学問」がどうのと、そうやって優越感を振りまわしたがる自意識を「けがれ」というのだ。あなたにはそういう「けがれの自覚」がないのであり、それこそがまさに現代社会の病理なのだ。あなたたちのそういう病理が、「けがれ」を自覚するという歴史の水脈に浸されている人たちを追いつめている。
日本列島においては、「自意識」という「けがれ」が、この生のいとなみの自由を奪ってしまう風土がある。小林秀雄は、そういう日本列島の風土の「いけにえ」として存在するほかない運命を背負っていた。だから、最後に「本居宣長」を書いた。
日本人は、自意識(自我)が薄いのではない、「けがれ」を自覚しながら「みそぎ」を果たしてゆくという、「自意識(自我)にけりをつける」文化を持っているだけのこと。しかし現代社会は、その文化を蹂躙しながら戦後の高度経済成長を果たしてきた。そのツケが、年間の自殺者が3万人以上、という現象を引き起こしている。
日本列島の住民は、避けがたく「けがれ」の自覚に追いつめられてしまう心の動きを抱えている。われわれは、そうやって追いつめられて生きている人から何かを学び、何かを共有していければと願っているわけで、そのための「日本文化論」なのだ。学問であるとかないとか、そんなことは関係ない。あくまでも、「生きられる論理」を掘り出したいのだ。
まあ、あなたたちのように、優越感(=自己愛)がなければ生きていけるはずがないじゃないかと居直り、それを抱きすくめている鈍感な人たちにはわからない話ではある。