やらせ女はくるおしい・ここだけの女性論26


「やらせ女」とはなんなのでしょうね。
いろんなタイプのやらせ女がいて、いちがいにただ知能程度が低くだらしないだけともいえない。そういう女もいるかもしれないが、それなりに知的で感性的なやらせ女だっている。
まあフーゾク嬢は一種のやらせ女かもしれないが、やらせ女は不潔だともいえない。亭主や恋人を自分のもののよう囲い込んでいる所有欲や自己愛の強い女よりもずっと清潔でいさぎよいともいえる。
娼婦こそ天使だという一般的な通念もある。
どんな女にも娼婦性はある。
日本列島は、古代までは乱婚社会だったし、江戸時代は旅籠の飯盛り女がいたし現在はフーゾク産業が盛んで人妻の不倫も珍しくなくなっていて、やらせ女の伝統があるのかもしれません。
縄文時代は、山の中に女だけの小集落が点在していて、山道を旅する男たちの小集団を受け入れもてなしていた。一種の娼婦の里だったのでしょう。そして縄文文化は、そうした山間地のほうが進んでいた。縄文土器は、すべて女の手によるものだった。女ならではのデザインのものばかりです。それは、女だけが定住して、男たちは旅を続けて一生を送った、ということを意味するはずです。
縄文集落は、ほとんどが10戸か20戸の小集落ばかりです。それは女だけの集落だったからであり、もしも男と女が一緒に暮らして家族をいとなんでいたら、そのまま大きな集落になっていったはずです。でも、1万年のあいだ、そうはならなかった。
乱婚という男と女の関係は弥生時代にも続いていたはずだし、古代のはじめにも残っていました。
日本列島は、1万3千年の歴史のうち、1万1千年以上は乱婚社会だったのです。現在の人妻の不倫も、その伝統なのかもしれない。



ひとまず縄文時代は、やらせ女の社会だったといえるはずです。そこで、日本列島の文化の基礎がつくられ、男と女の関係の文化の基礎がつくられている。
日本列島は、娼婦の文化です。そして、娼婦の文化は、繊細なのです。男と女の関係の繊細な作法を持っているから、娼婦の文化が成り立つのです。
縄文文化は、山の中の文化です。
司馬遼太郎はこういっています。縄文文化火焔土器に代表されるようにごてごてした装飾の南方的な「野性美」で、大陸の影響を受けた弥生文化から日本列島の伝統の「簡素美」の文化がはじまった、と。
まあこれが一般的な歴史解釈でしょう。
しかし、考えてもみてください。大陸の文化やメンタリティは、日本列島に比べて簡素で繊細でしょうか。そうじゃないでしょう。大陸の影響を受けたら、文化も気質もごてごてしてくるのが当然のなりゆきのはずです。
弥生式土器がシンプルな姿になっていったのは、べつに大陸の影響を受けたからではなく、土器作りの手が女から男に変わっていったからです。男がつくると模様もシンプルで幾何学的になり、だいたいあんなかたちになりやすい。そして、あくまで機能を優先したデザインになる。
しかし、縄文土器は、女たちが長い夜を過ごす手遊(すさ)びとしてつくっていたのです。だから、どうしてもそこに女の情念というか生きてあることのくるおしさをこめられてくる。そうやって火焔土器が出来上がっていったのであり、それは呪術の道具でもなんでもない、純粋に女の芸術表現なのです。
まあ、縄文土器が夜の感性であり女の感性だとすれば、弥生式土器は昼の感性であり男の感性なのです。大陸の影響でもなんでもない。
そして縄文人の感性がただ野性的で大雑把だったかというと、それも違う。
山の中で暮らしていた人の心模様が、そんな野放図なものになるはずがないじゃないですか。
女たちはもう、そこで自由に広い場所を動き回ることなんかできず、狭い場所にうずくまるようにして暮らしていた。しかも、生活はあれこれとても不自由だった。とうぜん気持ちはこまごまとしてくるし、何かと敏感になってくる。山の天気は変わりやすく、ちょっとした風の気配にも敏感になる。その閉塞感や生活の不自由によるくるおしさとともに、豊かな装飾性の火焔土器が生まれてきた。ただ野性的で大雑把とか、呪術の道具だったとか、そんなものじゃない。それはあくまでも、女のなやましくくるおしい情感の表現だったのです。



縄文人は、集落の中央に広場をつくっていました。そこでたぶん、訪ねてきた男たちを歓迎するお祭りをしたのでしょう。そうして歌垣のような交歓の催しでその夜のカップルが決まっていった。
またその広場は、子供たちの遊び場でもあった。山の中は危険です。子供たちはなるべく広場で遊ばせるようにしていた。住居に囲まれるように広場があれば、出てゆく子供に気付くこともできる。そして子供たちは、その狭いスペースで遊びを工夫していった。日本列島の子供の狭いスペースでの遊びはじつに多様で、駒回しやベーゴマやおはじきやお手玉などの原型はすでに縄文時代からあったはずで、おそらくそのような子供の遊びの道具であったのだろう、今ではよくわからない何かこまごまとしたものを土器でつくって与えていたようです。
「花いちもんめ」というう遊びは大人たちの歌垣を模倣したものでしょうが、これだって縄文時代になかったとはいいきれません。
縄文人の感性は繊細で探究心が旺盛だった。だから、大陸から鳥の糞とともに運ばれてきて自生するようになった漆の木から漆を精製をしてゆくことを自前で覚えていった。
縄文人が男と女が一緒に暮らす家族をつくらなかったのは、山の中の閉塞感のせいでしょう。ただでさえ閉塞感が強いのだから、人と人の関係の絆は淡いものにしておかないと耐えられなかった。そうしていつのまにか自然に、男たちが旅をして女たちの集落を訪ね歩くという関係の習俗になっていった。
見ず知らずの間柄でセックスするのだから、それなりにお近づきの作法は生まれてくるでしょう。それが祭りの歌垣であり、さらには見ず知らずの間柄なのだから、女たちのおもてなしの作法もそれなりの工夫と洗練があったはずです。
縄文時代には富山県で採れるヒスイがすでに列島中に広がっていて、歴史家はこれを縄文人が交易をしていた証拠だというのだけれど、おそらくそうじゃない、男たちが訪問の手土産にしていたのでしょう。セックスさせてもらいに行くのだもの、手ぶらで行くわけにはゆかない。
手土産を持って訪問するという習俗は、縄文時代からはじまっていた。人類の「交易=交換」という習俗は、まずは一方的な「贈りものをする」という習俗から始まっているのであり、縄文人にはまだ「交易」という経済意識はなかったはずです。
とにかく彼らは、繊細な心のやり取りをしていたはずなのです。見ず知らずの間柄で親しくなってセックスをしてゆくということは、一緒に暮らしているものどうしがセックスする関係よりもずっと繊細で洗練した関係の作法を持っていなければできることではないでしょう。彼らは、その淡い関係を飛び越えてゆくだけの洗練された作法と他愛ないときめきを持っていたのです。おそらく山の中にはそういう関係が生まれてくるような条件があったわけで、それが日本列島の歴史を通じての文化の基礎になっていった。
日本列島に繊細な文化が生まれてきた契機は、ただ「細やかな四季があったから」とか、そんなことではない。山の中で暮らすことのくるおしさとときめきこそが日本文化の基礎になっているのです。
とにかく、見ず知らずの男を住居に呼び入れてセックスする。いいかげんなもてなしをしていたら親しくなれないし、乱暴されるかもしれない危険だってある。でも、そうならないでときめき合い抱き合ってゆく洗練された関係の作法を彼らはつくっていたのです。
何しろ、1万年も続けていたのだから、とうぜん洗練してゆきますよ。
大陸のように一緒に暮らしている男女がセックスしていたのではないし、強姦や権力関係でセックスしていたのでもない。



そばに男がいないとさびしくてしょうがないくせに、男と一緒と暮らすこともしたくない。
一緒に暮らして男に干渉されたくない。そうなると男がだんだんつまらなく見えてくるし、ときめかなくなってくる。そういう「絆」が生まれてくることの鬱陶しさに耐えられなくなる。意識が「日常」につながれてしまって、「けがれ」がたまってくる。
そんな気分の女は、現代にもすくなからずいることでしょう。男に自分を見せびらかして男を引っ掛けてはいい女自慢や幸せ自慢をしている女たちとは、また別のタイプです。
閉塞感の強い山の中では、どうしても「けがれ」の意識がたまってきてしまう。日本人の「けがれ」の意識は、おそらく縄文時代以来のものであり、もともとそれは何も他人を差別するための概念だったのではなく、生きてあることそれ自体に対する感慨だったのです。
だから人は、非日常の世界に入っていって「みそぎ」をする。
やらせ女の意識は、日常と非日常を往還している。たぶん「けがれ」の自覚が深い女はやらせ女になりやすい。現在の不倫をする人妻だって、それはそれで日常に対する「けがれ」の自覚がたまっているのだろうと思います。
生きてあることに対する「けがれ」を自覚することは、日本列島の伝統です。
昼間は、生活の雑事に終われて忘れていられても、夜になってひとりになるといやおうなくその思いが湧いてきて、体が落ち着かなくなってくる。 
縄文女は、その思いを宥めながらひとり部屋の中で土器づくりの夜なべ仕事をしていたのであり、そこからあの火焔土器が生まれてきた。
彼女らにとって男は、一緒に非日常の世界に入ってゆく相手だったのであって、日常を共にする相手ではなかった。



まあ、縄文女はやらせ女だったといってもいいでしょう。しかし、ただ低脳でだらしないだけのやらせ女だったのではない。男に対する繊細な配慮と他愛ないときめきの両方を持っていた。それは、漆の精製をみずから工夫し身に付けていったことと、火焔土器の巧緻でくるおしい装飾性にあらわれている。
日本文化の二面性、とても繊細で洗練された文化を持つ一方で、日光東照宮のあんな装飾過剰の建物もつくってしまう。あのくるおしさも日本文化なのですよね。太平洋戦争のときの、負けることなんかどうでもいい、もうこうなったら国が滅びるまで戦い抜くんだという狂気も、確かに日本人のメンタリティでしょう。
縄文女が知らない男とでも一挙に親しくなってセックスまでしてしまうというのは、もちろん日本列島が異民族に侵略される心配のない絶海の孤島だったということもあるのだが、彼女らがそれほどに他愛なくときめいてゆくくるおしさを持っていたからでしょう。そういうくるおしい「けがれ」の自覚があった。
つまりそれは、動物並みの単純なセックスをしていたわけではない、ということです。
おそらく彼女らは、深く豊かなオルガスムスを体験していたし、セックスの技巧の文化だってけっして未熟ではなかったはずです。
「けがれ」の自覚こそが女のセックスに対する快感を深くし、オルガスムスをもたらす。
彼女らは、すでにペニスのかたちをしたオナニーの道具をつくっていました。それは、セックスの快楽・快感を深く知っていたということを意味するはずです。
山の中の閉塞感は、そういうくるおしさを生む。日本文化は、ただ繊細で洗練されているだけじゃない。一方にそういうくるおしさを持っているからこそ、繊細で洗練された文化や人と人の関係を生み出してきたのでしょう。
日本列島の女は、用心しないとやらせ女になってしまうような生きてあることに対するくるおしい感慨を持っている。男に対する「絆」の意識などじつは薄くて、いざとなったらそこから離れて非日常の世界に入っていってしまう。今どきの婚活女や頭の薄っぺらなインテリ女の書く女性論のように、ただ「お得な」女の人生を欲しがっているだけの存在ではない。
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