鬱の時代

小林秀雄は、「自意識にけりをつける」といった。それは、みずからのこのうっとうしい「自意識」にけりがつけられると思ったからではない。
「自意識にけりをつける」という問題に、解決策などない。誰だって、自意識から解き放たれて人や世界にときめいているときもあれば、追いつめられれば一挙に自意識がふくらんできてしまう。また、自意識にけりをつけているつもりの、そののうてんきな自覚を自意識というのだ。
追いつめられている人は、避けがたく自意識に呪縛されている。人間は、存在そのものにおいてすでに追いつめられている。「自意識にけりをつける」という問題を抱えながら生きているのが人間存在なのだ。
追いつめられてあることから解放されることが問題の解決になるのではない。解放されても、まだ追いつめられてあるのが人間存在なのだ。誰だってもうすぐ死んでゆくのだし、この生はままならないことばかりではないか。しかし、追いつめられてあるから人は、世界や他者により深く豊かにときめいてゆくことができる。
「追いつめられてある」という自覚は大切にしなければならない。「自意識にけりをつける」という問題は、けっしてなくならない。その上で、追いつめられてあることそれじたいを生きられるかたちを問うてゆくしかない。
「追いつめられていない」と自惚れまどろんでいるそののうてんきな心性が、人間存在の本性であるのではない。
「世界は輝いている」とときめいているものは、避けがたくすでに追いつめられて存在している。彼は、自意識にけりをつけなければ、と身もだえして生きている。小林秀雄太宰治はとくにそうだったが、まあ、人間なら多かれ少なかれみんなそうやって生きているのだろう。
「自意識にけりをつける」という問題に対する安直な解決策など、大きなお世話だ。そんなことに解決策があるつもりの短絡的な思考など、われわれの知ったことではない。
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「鬱の時代」だという。
この国では、年間3万人以上の自殺者が出ているらしい。
1万人に3人。すると、10万人の大企業では毎年30人以上の自殺者が出ている、ということだろうか。あまり気持ちのいい数字ではない。彼らは、どこかで誰かが自殺したらしいという噂を毎年耳にしていることになる。十年勤めれば、一度くらいは身近の同僚が自殺したという体験をする。
平和と繁栄のツケだといっている人がいる。戦時中はそんなことはなかった、と。
だったら、平和と繁栄を謳歌していたあのバブル景気の時代は今よりもっと自殺者が多かったのか。そんなことはあるまい。
問題は、それほど単純なことではない。
自殺する人は、何かを苦しみ、何かから追いつめられて死んでゆく。
1960年代くらいまでの銀座や新宿のホステスの中には、男と心中する女がけっこういたらしい。しかし70年代以降の本格的な高度経済成長の時代に入ると、そんな心意気を持ったホステスもさっぱりいなくなってしまったのだとか。
これが何を意味するのか。
つまり、平和と繁栄に浮かれまくっていたバブル絶頂期の自殺率は今よりもずっと低かったということだ。
何はともあれ、「自我=自意識」が追いつめられて自殺に及ぶ。
国が戦争をしていれば、とりあえず人びとの自意識は満たされる。
平和で豊かな時代もそうだろう。
それに対して現在は、人びとの自意識が追いつめられている時代であるらしい。
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終戦後の人びとは、「アメリカ憎し」という自意識を捨てた。
と同時に、これからはもう国を当てにせず自分をしっかり持って生きてゆこうという自意識を膨らませていった。これからはもう、何もかも国に任せてしまうことをやめて、自分たちで国をつくってゆくという意識を持とうと、そういう新しくより本格的で西洋(大陸)的な「自我=自意識」に目覚めていった。
そういう自意識によって戦後の「核家族」という制度が定着してゆき、また核家族によってそういう自意識が守り育てられていった。
個人的なことをいえば、団塊世代である僕は、二十歳前後のころ、まわりの全共闘運動に熱中する連中が抱いている「自分たちで国をつくる」という民主主義精神なる政治意識がよく理解できなかった。「国」などというものに興味がなかった。
そのときどうやら僕は、戦後の核家族によって「自我=自意識」が守り育てられてゆく、という育ち方をしてこなかったらしい。もちろん年相応に自意識過剰な平凡でうっとうしい若者であったのだが、その一方で、学生運動にのめりこむほどの自我も政治意識もまったく希薄だった。
つまり戦後の二十数年は、近代的西洋的な自我意識と日本列島の歴史的な自我の薄い意識とが混在している時代だった、ということだ。戦後の日本はひとまず自我を捨てた、ということもたしかな成り行きだったわけで、その両方が混在して時代の空気がつくられていった。
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そのころの心中事件のホステスたちは、いわば「核家族」の外に置かれた存在だったのであり、そういう女たちは、いざとなったら「自我=自意識」にきっぱりとけりをつけて男と一緒に死んでやることができた。
男にいのちがけで惚れて心中しようとする女の自意識は強い。と同時に、自分をさっぱりと捨ててしまうということをしなければ、男と一緒に死んでやるということなどできない。
女は、そういう自意識が強い存在であると同時に、そういう自意識を「けがれ」として自覚している存在でもある。深く「けがれ」と自覚するから、さっぱりと捨ててしまうことができる。
ただ、さっぱりと捨てることができないほどさらに強い自意識に呪縛されてしまう、という事態も、戦後の女によってはじめて体験されたのかもしれない。そういう女にとって心中の誘いは、差し伸べられたひとつの救いの手であったのだろう。
彼女らは、家族という空間の中でちまちまと自我を育てて生きるということを軽蔑していた。そういう空間から逃げてきて、ホステスになった。
彼女らは自意識も強かったが、自意識にけりをつける作法も心得ていた。
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太宰治玉川上水で愛人と心中したのも、そうした戦後という時代のひとつの象徴的な出来事だったのかもしれない。
たいていの心中は、ひとりで死ねない男のために女が一緒に死んでやる、というかたちをとる。逆の立場に立ったとき、男にそんな度胸はない。
太宰の心中に対して坂口安吾は、「彼は酔っ払ったはずみで死んでしまっただけだ。彼のことを女々しく卑劣な男だと裁断してしまうべきではない」といった。
一見やさしく誠実な真情の吐露のように聞こえるが、何かから追いつめられていたに違いない太宰の心を無視した、これほど自分よがりの不誠実な発言もない。おまえがそう思いたかっただけじゃないか。
坂口安吾は、自我にしがみついて生きた。そして太宰は、自我に追いつめられて死んでいった。
いったいどちらが、現代的だろうか。坂口安吾のファンは、バブルの時代を生きた大人たちに多く、今どきの若者は太宰に関心を寄せている。おそらくその「自我(=自意識)に追いつめられる」というかたちを太宰と共有しているのを感じるからだろう。
戦後は、日本列島の住民がかつてないほど強く自意識を持ってしまった時代であると同時に、明治以来途絶えかけていた「自意識を薄くする」という歴史の水脈がよみがえった時代でもあった。
みじめな敗戦のあとだからいやがうえにも自意識はふくらんでくるし、惨めな敗戦のあとだからこそ同時に「自意識を薄くする」という歴史の水脈もよみがえって、その桎梏から、ときに取り返しのつかないところまで追いつめられてしまう。
坂口安吾に対して、僕はこういいたい。
女々しく卑劣であって何が悪い。太宰の追いつめられていた心は、おまえみたいな自我に耽溺しきった俗物にはわかるまい。どのツラさげて「堕落論」を書いたのか。「堕落論」の作者なら、太宰の女々しさも卑劣さも、全部肯定してやれ。そんな古臭い道徳論に回収してしまおうとするな、と。
「一緒に死んでくれ」、と泣いて女にすがり付いてもいいではないか。それほどに彼の自意識は追いつめられていたのだ。
川端康成だって、最後に自殺するとき、やっと太宰の気持ちがわかったのかもしれない。そのとき川端康成にとって「自意識にけりをつけてしまう」方法はもう、自殺することしかなかったのだろう。そうやって彼は、日本列島の歴史の水脈に帰っていったのだ。
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僕は、日本列島の歴史は「自殺」の文化だといっているのではない。外国人からすると、現在の日本における自殺率の高さの原因を、日本には自殺を美化する文化があるとか、名誉を守るために死ぬとか、というふうに見ているらしいが、そんなのはぜんぶ誤解だ。
われわれを追いつめているのは、そういうことではない。
自意識を「けがれ」と自覚し、そこから「けりをつける」という「みそぎ」のかたちを模索してゆくのがこの島国の住民の生きる作法であり、死んでゆくときの感慨でもあったわけで、そういう歴史の水脈が、現代の自意識を野放図に止揚してゆく社会の空気に追いつめられているのだ。
現代のこの国の自殺者は、自殺を美化しているのでも名誉を守りたいのでもない、そういう「自意識」にけりをつけてしまいたいのであり、けりをつけてしまおうとするのがこの国の文化なのだ。外国人は自意識で生きている人たちだから、ついそういうふうに見てしまうのだろうが、この国には、そういう自意識の伝統などない。自殺の美化とか名誉とか、そんな話は、遠い昔のごく一部の階層でささやかれていただけのこと、われわれ常民はもう、そんな価値観などすっかり忘れている。
追いつめられたら、誰だって自意識がふくらんでくる。この国の人間は、自意識がふくらんでくることに耐えられない。そうして、死を選ぶ。この国は、異民族に追いつめられた歴史がない。だから、追いつめられて自意識をふくらませながら生きてゆくという文化がない。ふくらみすぎた自意識からも追いつめられてしまう。
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戦後、日本列島の住民の自意識は、収拾しきれないほど肥大化していった。そして戦後の男たち、とりわけ太宰治は、その収拾しきれない自意識を収拾しなければならないという強迫観念に追いつめられていた。
太宰は、生まれてきたのが少し早すぎた。戦後生まれの団塊世代が中心となった80年代のバブル期なら、その収拾しきれない自意識こそ、生きるためのよりどころにすることができたのに。
まあ、太宰が生きた時代でも、それが生きるための武器になってもいたわけで、坂口安吾三島由紀夫のように自意識に耽溺しながら突っ走っていった作家もいた。
とすれば、太宰治こそ、坂口安吾三島由紀夫よりもずっと深く日本列島の歴史の水脈を生きていた、ともいえる。
ともあれそのとき、日本列島の男たちに、「自意識にけりをつける」能力はなかった。
だから女に、「一緒に死んでくれ」と泣いてすがった。そういう男は、太宰のほかにもたくさんいたのだ。
現在でも。死んでくれとはいわないまでも、泣いてすがる若い男はいくらでもいるにちがいない。僕は、そういう若者を否定しない。それはそれで、自意識にけりをつけようとする態度なのだ。そういう機会も与えられていない「もてない男」があれこれ批判してもしょうがない。
ともあれ、太宰の生きた時代に自意識にけりをつける能力を持っているのは、「家族」に属さない女だけだった。
そういう女を見つけて太宰は泣いてすがったのだし、そういう女が集まってくるところとして戦後の酒場文化が花開いていったのだった。
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バブルがはじけた現在の社会は、あのときのふくらみすぎた自意識をどう収拾してゆくかという問題を抱えている。
ふくらみすぎた自意識で生きてゆけるのは、のうてんきなバブルの暮らしを今なお維持している階層だけだろう。病気にせよ、経済問題にせよ、家族関係にせよ、追いつめられてあるものたちは、もはや自意識のままに生きることはできない。
現在のファッションやマンガなどにおける「ジャパン・クール」といわれる「かわいい」の若者文化は、いわばバブルでふくらみすぎた自意識を収拾してゆこうとするムーブメントでもある。
大人ばかりが今なお自意識にしがみつき、その大人たちに育てられた若者たちが今、そうした空騒ぎの収拾に向かっている。
ふくらみすぎた自意識にけりをつけること、それはまさしく、戦後の社会において太宰治が抱えていた問題でもある。だから今どきの若者たちは、太宰に共感を寄せてゆく。
戦後の社会も、敗戦の反動で、日本人の自意識が一挙に膨らんでいった時代だった。自意識のバブルだったのだ。
あのころ、そうした自意識を振りかざす若者ばかり元気で、大人たちは、戦後の核家族という制度やみずからの自意識から追いつめられていた。
今は、若者のほうが追いつめられている。そして、大人たちの中にも、病気や家族関係や経済問題から追いつめられている人はけっして少なくない。
若者は、「自意識にけりをつける」歴史の水脈を取り戻しつつある。しかし、その試みに絶望して追いつめられた大人たちにはもう、死を選択するしか残された道はない。
いずれにせよ、日本人の心が弱っている。自殺率が高いというのは、ようするにそういうことだろう。経済の発展なんか、根本的な解決にはならない。いつだって、景気がいいときもあれば悪いときもある、景気がいい人もいれば悪い人もいる。
われわれは、この自意識をどう始末すればいいのか……少なくとも現在の自殺率の高さは、そういう問題であり、そういう問題に戦後の日本列島の住民は、歴史上はじめて直面いしているのではないだろうか。
また、日本の若者たちがどうやって自意識にけりをつけているのかということを、世界中の若者が注目している。それが、「ジャパンクール」の「かわいい」の文化である。