鬱の時代2・追いつめられる自意識

閑話休題
ワールドカップについての、とてもすてきなサッカーコラムのブログを見つけた。
ブログのタイトルは「社会不適合者は羊男の夢を見るか?」というもの。なかなかセンシブルで凝っている。(悲しいことに、誰かにパクられてもいるらしいが)
そしてタイトルのつけ方同様、ものすごくゲームをきめ細かく見ている。今この国で、これほどの観察眼を持っている評論家はおそらくいないだろうし、評論家よりも文章が達者だから、つい読ませられる。
「どんな有名なサッカーコラムよりもここが一番」というコメントも寄せられていた。
ひっそりと仲間内だけで読まれているコラムらしいが、隠れた才能というのか、世の中、いるところにはいるもんだね。
恥ずかしいから僕はもう、二度とサッカーのことは書かない。
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本題に戻ろう。
太宰治玉川上水で心中したことに対して坂口安吾をはじめとする多くの識者は、そのとき彼は新聞小説の連載なども抱えている売れっ子だったのだから自分から死のうとするはずないじゃないか、ばかな女に無理やり引きずり込まれたのだ、といっている。
何をとぼけたことをいっているのだろう。
小説家にとって新聞小説がどれほどプレッシャーのかかる仕事であるかということくらい、ちょっと考えれば誰にだって想像がつくだろう。そういう仕事を抱えていたからこそ、なおのこと、全部投げ出してちゃらにしてしまいたい、という衝動も起きてくる。今ここで原爆が落ちたらどんなにさっぱりするだろう、というような追いつめられた気持ちを体験することが太宰になかったと、どうしていえるのか。
残念ながら小説家が小説を書くという仕事は、豆腐屋が毎朝ルーティンワークで豆腐を作ってゆくのと同じにはいかないのだ。小説というのは自分の魂を切り売りするような作業だから、太宰にすれば、ときに体調などによっては、われながら何をくだらないことばかり書いているのだろう、とうんざりしてしまうこともあるにちがいない。
責任感がない、だって?
責任感で小説が書けるなら、苦労はしない。
何が「新聞小説の連載を持っていたから死のうとするはずがない」だ。何が「女が引きずり込んだ」だ。おまえらみたいな俗物どものそういう鈍感な合意が時代の空気となって太宰を追いつめていたのだ。
坂口安吾の言い草には、ほんとにむかつく。もし太宰が泣いてすがって、女がしょうがなくつきあってあげただけのただの犠牲者だったら、おまえら女になんとわびるのか。ただのいかれた酒場女だったら、どんなにはずかしめてもかまわないというのか。友達の太宰の名誉さえ守れるなら、女が末代までも汚名を残してもかまわないというのか。
真相は、闇の中だ。
しかし、たとえ太宰が泣いてすがったとしても、その女々しく卑劣で無責任な態度にこそ、彼の魂の純潔も込められているのだ。
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太宰治は「家庭は諸悪の根源である」といった。それは、いかに彼が自意識に悩まされていたかを意味する。
戦後の核家族は自意識を守り育てる温床であり、太宰だけでなく、当時の男たちは誰もがどこかしらに核家族に対するうっとうしさと違和感を覚えていた。
そこでは「妻=母」が中心に居座り、たえず監視と検閲の目を光らせている。家庭の秩序は、権力関係の上に成り立っている。家庭とは「諸悪=権力」の温床だと思った。太宰の自意識は、それに耐えられなかった。家の中にいると、ますます自意識がふくらんでくる。家庭とは、ひとつの強制だと思った。心を身動きできなくさせるところだと思った。それは、安息という名の禁圧だった。
まあ、たいていの男は、家庭という空間をそんなふうに感じている。
戦後の核家族という制度が都市部を中心に定着していったのは歴史的必然だったのかもしれないが、それがスムーズに機能してゆくためには、男たちが毎朝家を出てゆくサラリーマンであることや、帰りに気晴らしをするための酒場文化などが必要だった。それらは、男たちに核家族のうっとうしさから解放される時間と空間を与えた。
そうやってひとまず戦後復興が進んでいった。
しかしそのとき酒場文化が花開いたということは、戦後の男たちは、けっして無条件に核家族になじんでいったわけではない、ということを意味する。太宰は、そういう時代のいけにえの羊というか殉教者だった。
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太宰治は、芥川賞欲しさのために、恥も外聞もなくすがり付いてゆくような手紙を選考委員の佐藤春夫などに送りつけていた、という話は有名である。
私には才能があります、芥川賞がもらえるなら一生あなたの奴隷になります、というような、あそこまであからさまに自分を卑しめるような書き方は誰にもできない。プロの作家の手紙ではない。ほかに書きようはいくらでもあるはずなのに、あえてあんな書き方をした。まともに受け止めれば、俺をばかにしているのかと思いたくなる。たぶん、わかっていて、あんな書き方をした。もしかしたら、こんな浅ましい人間に芥川賞なんかやらないほうがいいですよ、と暗にいっていたのかもしれないし、できるならそのあたりのニュアンスを汲んでほしかった。あなたも文豪といわれる人なら、自分の才能と自意識をもてあましている私の、そこんとこわかってくださいよ、と訴えていたのかもしれない。
それは、「俺と一緒に死んでくれ」と泣いて女にすがってゆくのと同じ調子の書き方なのだ。
自分で自分の自意識をずたずたに引き裂くような書き方である。自意識の自殺、そんな書きざまだ。そのとき彼にとっての「自意識にけりをつける」方法は、自意識を使い果たしてしまうしかなかった。
彼の中で、つねに「肥大化してゆく自意識」と「自意識にけりをつける」という問題がせめぎあっていた。そしてそれはまさしく、戦後という時代の意識でもあった。
自意識が、彼を身動きできなくさせていった。なまじひといちばい他愛なく人にときめいてゆく無防備なところがあるからこそ、そのありあまる自意識の強制もさらに大きかった。だから、あんなグロテスクな手紙を書くしかなかった。太宰にとってそれもまた、ひとつの「自殺」という行為だったのだ。
彼は上手に「自意識にけりをつける」ことができなかったし、「家庭は諸悪の根源である」という彼からすれば、あの時代に上手にそれができるのは「核家族」の外に立つ酒場の女だけだということも感じていた。
「女学生」だろうと「斜陽」だろうと「御伽草子かちかち山」だろうと、太宰の書く小説はすべて、「女というのはすごいなあ」という感動にあふれている。そしてその主人公たちはみな、「核家族」の外に立っている女たちだ。
あの心中した相手の女に対してだって、やっぱり「女というのはすごいなあ」という感動がたぶんあったのだ。
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太宰が生まれ育った雪国の青森は、もともとどこよりも人恋しさを募らせている人たちが集まっていると同時に、とても共同体の規制の強い土地柄である。彼らは、妙に屈折して内向的である反面、他愛なく人にときめいてゆく心の動きも持っている。
太宰にせよ寺山修司にせよ秋葉原通り魔事件の若者にせよ、みんなそうだ。自意識が強いから、制度に対して従順である反面、制度の強制に対する息苦しさもひといちばい感じている。
そのとき太宰治の自意識は、引き裂かれたまま、自意識を止揚してゆこうとする時代の流れに飲み込まれていった。もう引き返せなかった。彼の自意識は際限なくふくらんでゆき、みずからのその自意識に追いつめられていった。
ともあれ「家庭は諸悪の根源である」といって時代の波に溺れていった男にとって、酒場の女こそたどり着く岸辺であり、救世主(メシア)だった。彼は、その女に、男と一緒に死んでやることのできる解き放たれた心を見つけ出した。
彼は、時代の寵児であると同時に、時代に置き去りにされてもいた。時代は、彼の際限のない自意識を目標にして、少しずつ少しずつ自意識を止揚する方向に流れていった。
しかし彼は、ちょっとまってくれよ、自意識というのはそんなかんたんなものじゃないぞ、みんなそれでいいのか、というかのように心中して死んでいった。彼は、次の時代の先頭ランナーでもあると同時に、一周遅れのランナーでもあった。
そうしてバブル景気がはじけた今、われわれは、核家族を崩壊させ年間三万人以上の自殺者を生み出しながら、彼が抱えていた問題を問い直そうとしている。
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戦後の男たちは、新しく出現した核家族の制度に戸惑い追いつめられていた。
それは、伝統的な家族制度からは、そうとう趣が違っていた。今まで家の隅に置かれていた「妻=母」という女が、どっかりと中心に居座るようになったのだ。そして子供たちだけは、その母の権力に守られて思う存分自意識を膨らませてゆき、やがて全共闘運動などを組織していった。
それは、無意識的には、核家族に対する疎外感を抱いている「父」を追い出そうとする運動でもあった。だから彼らは、その運動のあとの70年代には「ニューファミリー」という極めつけの核家族を目指すムーブメントを起こしていったわけで、それによって「父」とともに「自意識にけりをつける」という歴史の水脈を屠り去った。
あとはもう、バブルに向かって一直線の道を突き進んでゆけばよかった。
戦後の核家族に自意識を守り育てられた団塊世代が次々に社会参加していった70年代以降はもう、「一億総中流」などといわれたりして、自我に耽溺する人間ばかりが目立つ世の中になっていった。それはもう、ある意味で、国が戦争をして、人々が団結していた時代と同じだった。
「自意識にけりをつける」という問題を持たなければ、追いつめられないでもすむ。他人に対する優越感をつむぎながら自意識を守り育てていけばいいだけだ。
そうやって人々は、先を争って消費活動に走った。他人より少しでもいいものを持とうと。それが、バブルの原動力になった。まあ資本主義というのは、人々のそういう意識(欲望)を煽り立てることの上に成り立っているのだろう。
日本列島の住民は、自意識と折り合いをつけて生きてゆくということができない。それは、西洋のように一神教の「神」という規範を持っていないからだろうか。
この国の住民が自意識を与えられればもう、際限なくふくらんでいってしまう。戦後という時代は、そいう環境が整っていた。敗戦による歴史の清算にはじまり、自我を守り育てる「核家族」と、「経済成長」という条件が加わっていた。
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戦後の日本列島の住民は、自意識に耽溺してゆく心の動きと、追いつめられて自意識にけりをつけてしまおうとする心がせめぎあって推移してきたような観がある。それはたぶん、一人の心の動きでもあろうし、そういう階層的な社会構造もあるにちがいない。
それは、核家族の内と外の問題だともいえる。
戦後社会は、男と酒場の女たちが核家族の外に置かれて追いつめられており、核家族の母や若者は追いつめる立場にいた。
そして、その若者が大人になって、今度は現在の若者が追いつめられている。
現在の大人たちは、核家族に対する疎外感は薄い。むしろ核家族をみずからの存在のよりどころにして、若者を追いつめている。大人たちはそうやって育ってきたのだから、それはもう、死ぬまでそうなのかもしれない。
世界中のどこの社会でも、「追いつめるもの」と「追いつめられるもの」がいるのだろう。
問題は、追いつめられるものが生きていられる仕組みになっているかどうか、ということだ。たぶん、なっていないのだろう。だから、年間3万人以上の自殺者が出る。
自殺者だけが追いつめられているのではない。たくさんの人々が追いつめられていて、その中の3万人が死を選んでいるのだ。
ひとりの人が、追いつめる立場に立ったり、追いつめられるがわに置かれたりもしている。そういうことを考えれば、誰もがどかしらで追いつめられている。
そして追いつめられているものは、いやおうなくふくらみすぎた自意識をもてあましてしまう。
日本列島の住民は、自意識と折り合いをつけてゆく文化を持っていない。「神」の監視を受けていないからだ。神は、人間を裁く。しかし「母」は、すべてを許す。だから、戦後世代の自意識の肥大化は、抑制がきかない。「24時間働けますか?」などといっていたバブル時代のエコノミックアニマルぶりは、まさにその象徴だ。
現在の戦後世代の大人たちは、自意識を抑制する作法を持っていない。そこが、若者にうっとうしがられている。戦後の核家族で育てられてきたその自意識が、若者を追いつめている。
つまり、この国の自殺率が高いのは、戦後世代をはじめとして自意識をとめどなくふくらませて追いつめている人たちがいるからだ。そして、追いつめられるほうの自意識もとめどなくふくらんでしまって抑制がきかなくなってしまっているからだ。
戦後の日本列島は、みずからの歴史の水脈である「自意識にけりをつける」文化を喪失してきた。
「あきらめる(断念する)」ことも、ひとつの「自意識にけりをつける」文化だ。その歴史の水脈を失ってしまったことが、あれこれの社会的な病理を大きくややこしいものにしているのだろう。
われわれは、そういう歴史の水脈を消去してゆくかたちで、戦後の60数年を推移してきた。それを取り戻すまでは、まだ戦後は終わっていないのかもしれない。