閑話休題・「日本文化論のインチキ」(小谷野敦 著)という本

ある人のブログで、そういうタイトルの新書のことが紹介されていた。著者は、東大の学者先生らしい。
既成の日本文化論100冊を片っ端から批判しまくっているとかで、興味を持った。と同時に、ちょっとびびった。
そういう先生から見れば、僕がここ三年余り書き続けてきたこの「日本文化論」もただの「トンデモ論」なんだろうな、と思いながら読んでみた。
東大の先生だから、学問に対しては、さすがにこだわりとプライドを持っておられるらしい。
学問というのは、ちゃんとデータの検証がなされているもので、たとえば勢いだけで書き飛ばしたようなニーチェの哲学なんか学問の範疇に入っていないと考えておられるのかもしれない。
そういうのは学問ではなく評論という、といっておられる。評論は学問より一段低いものと思っておらるのかな、という気がしないでもないが、真意はわからない。
僕なんか、評論だって学問だと思っている。
学問とは、考えて考えて考え抜く行為であり、それ以上でも以下でもないと思っている。
小林秀雄は、文献に頼るものは文献につまずく、といっている。
データの検証が必要ないとはさらさら思わないが、そんな行為はただの労働だろう、労働と学問とはちがう、という気も少しはある。そういうことは、そういうことが好きな人がやればいいし、それだけが学問でもない。
僕は今、自分に与えられた自分の時間は全部考えることに使いたいわけで、今はもう本を読む時間もじつはもったいない。
だから、「直立二足歩行の起源」や「日本文化論」に関しては、ぼくは基礎的なことを考えているだけで、データの検証とか、そんなめんどくさいことにはあまり興味がない。
学問とは、考えることだと思っている。
悪いけど小谷野先生の考えておられる角度での批判には、あまり興味がなかった。けっきょくこれもまた学者どうしのあらそいごとで、僕は、ちょっとそういうのとは違うレベルで考えたいのだ。
こんなふうにいっておられる。
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……なぜ人は「日本文化論」を求めるのか、といったことを書けば……それは……敗戦国である日本の、自尊心を取り戻したいという気持ち、あるいは逆に、もっと強烈に反省したいという気持ちがあり、あるいは自国文化論というのは何も日本特有の現象ではなくて、それは要するに近代的な国民国家というものができて以来、国民は自国のことを何より気にするようになってしまった、という風に説明できるだろう。
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先生、それでは、思考がぜんぜん中途半端なのですよ。
「自尊心を取り戻したい」とか「もっと強烈に反省したい」とか、そういうことは、この国を背負っているつもりのあなたたち知識人の考えることで、われわれ日本列島の「常民」の「気持ち」ではないのです。
われわれ「常民」は、日本列島一万三千年の歴史において、「自尊心」を携えて歩んできたのではない。「自尊心」など持たないのが、この国の歴史的な文化だった。だから、深く頭を下げてお辞儀をする。みずからの生を、「あはれ」とも「はかなし」とも嘆き、「自尊心」よりも「けがれ」を自覚して「みそぎ」を果たしてゆくのを生のいとなみとする歴史を歩んできた。
われわれにとってその戦争と惨めな敗北は、われわれの「運命」であり「成り行き」だったと思っている。
われわれは、反省なんかしていない。「運命=成り行き」に殉じるほかなかった歴史に悲しんでいるだけだ。深く悲しんだだけだ。
だから、一部の左翼系知識人は、もっと強烈に反省せよ、とせきたててくる。
そして、戦後生まれのわれわれに「反省」しなければならない義務があるのか、と僕は言いたい。東京裁判での戦犯たちの発言に象徴されるように、そのとき日本人は反省なんかしなかった。戦犯たちは途方にくれて呆けてしまい、われわれ民衆は、深く悲しんだだけだ。また、今どきののうてんきな若者たちだって、広島の原爆記念館や朝鮮の韓日併合資料館に行けば、あなたたち知識人ほど反省はしないが、あなたたちよりももっと深く悲しむだろう。
われわれ「常民」は、国を背負って「正義」で戦ったのでも「自尊心」で戦ったのでもない。そんな意識は、戦勝国であるアメリカ人やヨーロッパ人にあっただけのものだ。そこに、この絶海の孤島における「やまとごころ」と大陸の「からごころ」の違いがある。
われわれにとってそれは、われわれの「運命」であり「成り行き」だったのだ。この意味、わかりますか?この心の動きにこそ、日本列島の歴史の水脈がある。「日本文化論」は、ここにおいて語られねばならない。
また、「自国文化論」を気にするのは世界共通だというのは、一面の真実ではあるが、それだけで済ませてしまうのは、思考停止だ。
日本人には日本人の気に仕方がある。われわれ「常民」は、意識の基層において、「国家」という概念を持っていない。だから、江戸時代までは国旗も国歌もなかった。そのような、意識の基層において国家という概念を持っていない日本列島の住民が、明治以降、とりわけ戦後において、国家あるいは国民という意識を持たねば生きていけない社会環境におかれてしまった。大陸の人々とちがって、われわれにとって「日本」という国家は、自明の前提ではない。だから、国旗や国歌がいまいち定着しない。だから、「日本人論」や「日本文化論」が出ればとりあえず関心を持って読んでみる。そのことの歴史の水脈は、知識人のあなたにとってはどうでもいいことかもしれないが、日本列島の「常民」である僕は掘り進みたいのだ。そこには、広くて深い問題が横たわっている。そこを掘り進まなければ、「日本文化論」は語れない。
だから僕は、あなたのように「天皇制が続いてきたのは侵略されたことのない島国のたんなる地政学的な偶然だ」というような安直なことはよういわない。僕は、右翼でもなんでもなく、「日本」ということばすら恥ずかしくていいよどんでしまう人間であるが、それでも皇帝が次々に入れ替わってきた大陸の「からごころ」と、替わらなかった「やまとごころ」との違いはたしかにあると思っている。「王殺し」の歴史を歩んできた「からごころ」と、権力の外に押し込めてしまうことはしても「王殺し」を一度も発想したことのない「やまとごころ」の違い、とでもいうのだろうか。そこには、「ただの地政学的な偶然さ」というだけではすませられない問題が潜んでいる。これは、心理学あるいは哲学における「自我」の問題でもある。
僕は、日本列島の住民にとって「天皇」とはなんだろう、といつも考えてきたし、今も考え続けている。