祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」2

中沢新一氏は、縄文時代からたくさんの神話がつくられていた、といっておられるが、それは違うと思う。
「神」という概念を持てばすぐ神話が生まれてくるかといえば、そんなものではない。
原初の「かみ」と、共同体の結束(絆)のためにイメージされていった神話の「神」とは、また別のものだ。
共同体の発生とともに「神話」が生まれてきた。
「共同体」の定義はむずかしい。
ここではさしあたり、150人以上の集団、ということにしておく。
生きものとしての適正な群れの数なら、チンパンジーも人間もそう変わりないのだろうが、ただ人間は、150人くらいまでなら妙な決め事をつくらなくても何とかまとまって暮らしてゆける能力を持っている。
しかし、150人を超えたくらいから、決め事をつくらないとまとまりがつかなくなる。
「禁忌(タブー)」の発生、それが、共同体の発生だろうか。
それに、そんなふうに密集してくればうっとうしさも募ってくるから、みんなが仲良くやってゆくための楽しみも工夫してゆく必要がある。
それが、「祭り」であり、「神話」を共有してゆくことだった。
150人は、軍隊の一個師団の数の上限らしい。そのレベルまでなら、統制の取れた動きをとることができるようになる。
人類の歴史において、そのレベルを超えたとき、「共同体」になった。
直立二足歩行をはじめた原初の群れがこのレベルになるまでに、700万年かかった。
人間が「共同体」をいとなむことはけっして本能ではないし、それは、とても困難な試みだったのだ。
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神話は、集団の正当性を語っている。
そして群れの中にあるあることのカタルシスを共有してゆく機能を持っている。
すべての共同体は「起源神話」を持っている。
戦いに勝利して獲得した、という起源。現代においても、あいも変らずそうした「物語の構造」を書いておられる作家先生もいる。
では、すべての共同体が、前の共同体を滅ぼして新しい共同体を打ちたてたところからはじまっているのか。
そんなことはあるまい。
侵略国家なら、なおのこと、この地は最初からわれわれのものだったのだ、という神話をつくろうとする。
古事記が、大和朝廷神武天皇が侵略して打ちたてた国家だ、などとのうてんきにいっているということは、じつはそんなことが何もない自然発生的な国家だったことを意味しているのかもしれない。
自然発生しただけの国家でも、どこかから英雄があらわれて戦い勝ち取った国家だ、という「神話=伝説」を持とうとするのであり、そうやって住民は結束してゆくのだ。
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共同体が発生すれば、人々は「神話=伝説」を共有しようとし、稗田阿礼のような語り部が生まれてくる。
古事記語り部の集団は、支配者が組織したのではない。
支配者が組織したのなら、あんなにも荒唐無稽な話にはならないし、編纂者の太安万侶もあんなにも苦労しないですんだだろうし、支配者の意図に沿ったもっとそれらしい話になっていたことだろう。そうではなかったから、古事記のあとに「日本書紀」という、支配者がわのつじつま合わせのような物語を作り直さねばならなかったのだ。
そのころ、民衆自身によって組織された語り部の集団があったということは、その時点までどこからも侵略されていない自然発生的な共同体であったことを意味する。
神武天皇が侵略して打ちたてたのなら、その時点で支配者による「神話=伝説」づくりが組織される。
しかし古事記が編纂れたその時点において、大和朝廷は、みずからが組織する語り部の集団を持っていなかったのである。
天皇は、侵略者であったのではない。奈良盆地の人々がみずから祭り上げた共同体の中心であり、「神」であったのだ。
神話は、共同体の発生とともにはじまっている。生きものとしての限度を超えて密集した群れを維持してゆくためには、神話によって群れの結束=絆をつくってゆく必要があった。
神話とは、共同体の結束=絆を止揚する装置である。共同体が存在しなければ、神話もまた存在しない。
したがって、共同体が存在しなかった縄文時代にも、神話が語られることはおそらくなかった。彼らは、勝ち取るべき共同体を持たなかった。(つづく)