祝福論(やまとことばの語源)・神話の起源

「神話」とは何かという話になってくると、何かむずかしい学問的な問題であるかのような印象だが、ようするに、双葉山はすごかったとか、プロ野球の創成期に沢村栄治というすごいピッチャーがいたとか、そういういわば「伝説」と、本質的にはそう変わりないものだと思う。
事実であったかただのつくり話かの違いはあるにせよ、それは、本質的な問題ではない。
双葉山の伝説を人々が共有することによって、そこに相撲ファンの「共同体」がつくられる。沢村栄治の伝説を共有してゆくことが、野球界という「共同体」の絆になってゆく。そうして「伝説」は、やがて「神話」になる。
伝説といっても、神話といっても、同じことだ。共同体の絆は、そういうものによって形成されてゆく。
共同体の絆をつくるためには、「神話」が必要なのだ。
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ローマ帝国の起源はオオカミに育てられた子供がつくったとか、すべての共同体は、そうした起源神話=伝説を持っている。
古事記」という神話だって、この国の起源を語ろうとするものだ。
ただ、大和朝廷の最初のころは文字がなく、ひたすら語り伝えられてきた。だからたぶん、最初の「伝説」としての話からは大きく変質してしまっていることだろう。
いずれにせよ、いつのころから語り伝えられてきたかといえば、大和朝廷という共同体が生まれたときからだろう。
それは、おおよそ、二千六百年くらい前にできたことになっている。弥生時代がはじまったころだ。
そのとき神武天皇という英雄が現れた、という伝説=神話。「神武東征」……神として九州の高千穂あたりに降り立った神武天皇が、そこで軍隊を組織して奈良盆地に攻め入り、土着の豪族を死闘の末に滅ぼして大和朝廷を打ちたてた。
弥生時代はじめの人々がどんな暮らしをしていたのかを考えるなら、こんな話が、本当であるはずがない。
そこから古事記成立の七世紀までに、千年の時の隔たりがある。
千年あれば、語り伝えの話などいくらでも変ってしまう。
だから、歴史家のあいだでは、いちおう四世紀の古墳時代の始まりが大和朝廷の始まりで、その前は卑弥呼の時代だったということになっている。
だったら、古事記成立の三百年前ということになる。そのときに、神武天皇大和朝廷を打ちたてた、という。
では、古事記を語り伝えた人々は、どうしてそれを、千年の話にしてしまったのだろう。
話半分にしても、五百年くらい前から大和朝廷はすでに成立していた、ということでもおかしくない。
奈良盆地纏向遺跡は、弥生時代後期の都市国家共同体跡で、そのときすでに大和朝廷が成立していたことの証拠だ、ともいわれている。
いや、それこそが神武天皇に滅ぼされた先住民の共同体の跡だという人もいる。
後者の説は、あまり信用しないほうがいい。
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すべての共同体は、みずからの起源を、英雄(もしくは神)によってうちたてられたものであるという「神話」を持っている。それは、それが事実であるからではなく、それによって共同体の絆がつくられるからだ。
「神話(伝説)」を持つことは、共同体の本能である。
古事記は、千年前から語り伝えられてきた「神話(伝説)」である、ということになっている。問題は、そこにどんな史実が隠されてあるかということではなく、それが長いあいだ語り伝えてこられたものである、ということにある。長いあいだ語り伝えられてきた、ということだけが史実なのだ。
たとえそれが話半分の五百年であったとしても、語り伝えられてきた、ということだけが史実なのだ。
なぜなら共同体は、それによってこそ絆がつくられるのであり、語り伝えようとする本能を持っているのだ。
奈良盆地の「稗田(ひえだ)」という集落は、その語り伝えの役目を負った集落だったといわれている。古事記の口承をした稗田阿礼は、その集落の住民だった。
そのとき奈良盆地の住民は、共同体の起源神話を組織的に語り伝える、ということをしていた。これはたぶん史実なのだ。
それは、権力者の命令によってつくられた組織ではない。民間の自発的な組織だった。すなわち、人々が「神話」を必要としたのだ。
その民間伝承を、権力によって採録したのが「古事記」である。
いったい、いつごろからこの民間伝承の組織がつくられたのであろうか。
おそらくそれが、大和朝廷という共同体の起源である。
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誰がどのようにして大和朝廷を打ちたてたかとか、そんなことはどうでもいい。どうせ、長い時間のあいだに跡形もなく変質してしまったほら話に決まっている。「神武東征」なんて、世界中にある神話の、ありふれたパターンだ。
共同体がつくる神話は、たいていそのようなパターンになってしまう、それだけのこと。古事記は、嘘八百の物語なのだ。
そこにどんな史実が隠されているか、ではない。そのとき人々は「神話」を語り継いでいたということ、それこそが問題にされるべきであり、それだけが史実なのだ。
縄文時代の終わりころから弥生時代のはじめにかけ、人々が奈良盆地に集まってきて農耕生活を始め、さらには「神話」によって共同体の絆を深めながら大きな集団を形成していった……そうやって奈良盆地大和朝廷は自然発生的に生まれ、どこからも侵略されることなくみずから国家へと発展していった。そう考えて、どうしていけないのだろう。
大和朝廷の起源と発展の問題は、嘘八百古事記の記述に勝手な類推を当てはめて、なんだか年増のホステスの厚化粧みたいな「古代ロマン」とやらをあれこれでっち上げるよりも、ひとまずさっぱりと何もなかったことにして、人類史における「共同体の起源」を考える上での絶好のサンプルとして扱っていったほうが、よほどまっとうな歴史思考になるのではないかと思える。