祝福論(やまとことばの語源)・ネアンデルタールと縄文人

拝啓、BROODY_Rさんへ
あなたがブックマークされておられる中沢新一氏のページを少し拾い読みさせていただきました。
しかし、どうも納得がいきません。
縄文時代のこともネアンデルタールのことも、ステレオタイプに考えているだけで、ちっとも刺激的じゃないし、この人は人間をなめている、と思えてなりません。
人類の歴史は、直立二足歩行歩行をはじめた数百万年前から、ずっと連続性として流れてきたと、考えています。
つまり、滅び去った人類種などいない、ということです。
最初のひとつの人類種がやがていくつかの違うグループに分かれていったとしても、また交じり合ってべつの新しいかたちになったり、みずから変っていったりしてきただけだと思っています。
ネアンデルタールと新人(クロマニヨン=ホモ・サピエンス)は別の種でネアンデルタールは滅びたのだという人類学の通説を、どうして当たり前のように信じることことができるのか、僕にはわかりません。
人間に対して、どうしてそんなニヒルで冷たい思考ができるのか、さっぱりわかりません
ネアンデルタールが滅んだことにして平気でいられるその神経がよくわかりません。
まだ、そうと決まったわけではないのです。ネアンデルタールとクロマニヨンとのあいだには連続性があるといっている研究者だっているのだし、百年後もネアンデルタールは滅びたなどというその鈍感で傲慢な説が大手を振って通用しているとは限らない。
このことはもちろんそうかんたんにはいえないことだけど、たとえば、五十万年を氷河期の極地で営々と生き延びてきた人びとが、アフリカからいきなりやってきた熱帯的体質の人種にあっという間に滅ぼされてしまうなんて、そんなことが考えられますか。
寒さに耐える体質も、寒さの中で暮らしてゆく知恵も、チームワークや狩の戦闘意識においても圧倒的にまさっていた人々が、ぽっと出のアフリカ人にあっさり蹂躙されてしまったなんて、そんな話がよく信じられるものだと思います。
ほんとに、そういう人々があっさり滅んでしまったことにしてしまっていいのか。
ネアンデルタールには芸術を生み出す「象徴化の思考」ができなかったんだってさ。
彼らがことばを話したということは、「象徴化の思考」ではないのか。「埋葬」をするということは、「象徴化の思考」ではないのか。シャニダールの洞窟のネアンデルタールは、埋葬する死者に花を手向けていたという説もある。彼らの遺跡からフルートのような楽器が出てきたという話もある。それは、芸術ではないのか。
フルートが出てきたということは、彼らが「歌」を歌っていたということですよ。人類の歴史は、「歌う」という体験から、楽器を生み出していったのだ。
「歌」は、芸術でしょう。「象徴的思考」でしょう。
ネアンデルタールからクロマニヨンにいたる連続性はたしかにあるのだ。
なぜ2万年前のクロマニヨンの時代になって「洞窟壁画」などの芸術が花開いたかといえば、彼らの体質が変ってきて、以前ほどには寒さに耐えることができなくなってしまっていたからだろう。その受苦性(嘆き)から芸術が生まれてきた。
それは、氷河期になって北のネアンデルタールの体質の遺伝子がどんどん広がってゆき、ついにアフリカ北部まで達したとき、そこでホモ・サピエンスの遺伝子と混じり合った、ということから起きてきている。
寒い環境を生き延びるために早く成長するがそのぶん寿命も短いという性質のネアンデルタールミトコンドリア遺伝子に対して、ホモ・サピエンスのそれは、ゆっくり成長して長生きできる。両者が混じり合えば、あるていど寒さに耐えることができて長生きもできるという個体が生まれる。
ただミトコンドリア遺伝子は、女親からしか伝わらない。したがって、長生きできる体質の個体は、すべてホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになってしまう。
遺伝子なんて、べつにアフリカ人が旅をしなくても、地球上のすべての集落が隣の集落と女を交換するということをしていれば、数万年のうちには、地球の全域にまで伝わってゆく。
ようするに、間氷期の少し気候が和らいだ一、二万年の時期に、ネアンデルタールが、いつの間にかホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになってしまっただけです。
そうしてまたもとの激烈な寒さが戻ってくれば、もう以前のようには耐えることができない体質になってしまっている彼らはそこで、かつてない深い「嘆き」を体験した。その「嘆き」とともに「芸術」が花開いていった。
ネアンデルタールと新人=クロマニヨンの知能は別のものであったのではない。彼らが北の極地で生き延びてきた50万年の歴史の上に、その「洞窟壁画」の芸術が花開いたのだ。
氷河期のアフリカ人が、わざわざ極寒の北ヨーロッパまで旅をしてゆくなんて、あるはずがないじゃないですか。この時期にアフリカから出て行ったアフリカ人など一人もいない。暖かい赤道直下に集まっていっただけです。
そうして行き止まりの南アフリカでは大きく人口を減らし、北は、ネアンデルタールの体質持った人々と混血してゆくことによって生き延びていった。
人間が旅をするようになったのは、氷河期が明けてからの話です。ましてや、民族大移動なんて、つい最近のことでしょう。5万年前の氷河期のアフリカ人が、最近のヨーロッパ人がアメリカに移住していったのとおなじようなことをできるはずがないじゃないですか。
欧米人は、人類の歴史をひとまずそういうことにして、みずからの侵略の過去に免罪符を得ようとしている。
こんなはしょったいい方では何の説得力もないかもしれませんが。
ともあれ僕は、中沢新一氏のもてあそぶ「芸術」ということばに、めちゃめちゃむかつきます。
安っぽく「右脳」だの「左脳」だのと連呼されても困る。そんなものは、彼らが懸命にそこで生き延びてきたことの「結果」であって、それが「原因」で芸術が花開いたのではない。
中沢氏は、ネアンデルタールの生命力にも心映えにも、まったく敬意を払っていない。
僕は、ネアンデルタールのそうした歴史をひとまず尊重し、ひとまず既成の学説を疑ってみる。そこから考え始めてみたい。
また、縄文人が、「神話」をたくさんつくっていた、という話だって納得できません。
「神話」というのはどのようにして生まれてきたのか。
人類のことばの芸術の歴史は、はじめにまず「歌」があった。ことばとは、声を発することのカタルシスなのだから、まずはじめに「歌謡」という形式が生み出されていった。そこからどのような形で「神話」になっていったのか。これは、原初の「神の起源」の問題ともかかわってくる。原初の「かみ」と「神話の「神」と、果たして同じであったのか。
原初の「かみ」は、そのまま「神話」になることのできるようなものであったのか。
そのへんのところを、今考えています。
かんたんに、縄文時代には「神話」がたくさんあった、などといってもらっては困るのです。僕にとってはそうかんたんにすむ問題ではない。
また、僕の「人間は根源的に他者にまとわりつかれて存在している」という問題提起は、あの人の「対称性の人類学」と矛盾するのかもしれないが、やっぱり、それこそが人間であることの根源的な不幸であると同時にそれこそが存在理由にもなっている、と思えてなりません。
そしてこのことに関しては、あなたのブログから学ばせていただいたことも、少なからずあります。