祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」4

よけいなおせっかい、というのがあるじゃないですか。
僕が選挙の投票に行かないのは、そういうことかもしれない。
選挙の投票に行くと、なんかよけいなことをしに来ているという居心地の悪さがあり、帰るときにはいつも、なんかよけいなことをして来たという後味の悪さが引っかかっていて、少しもさっぱりしない。
あんまり、政治のこととはかかわりたくないのですね。
選挙の結果はものすごく気になるけど、かかわりたくはない。
どんな結果になろうと甘んじて引き受けますから、どうかほっといていていただきたい、とも思う。
政治のことには参加したくはない。
住民が参加しないですむために「お上」というものがある。そういうことはそういうことが好きな人がやってくれ。どんな社会になっても受け入れるから、どうかそんな面倒なことに参加することだけは免除していただきたい……そんな気分があります。
どんな社会になればいいのかということはよくわからないのです。自民党が負ければきっと、ざまあみやがれ、と思うだろうけど、それがこの国にとっていいことか悪いことかということはよくわからない。
僕は、いいか悪いかで物事を判断したくないし、そういう判断の能力がないのです。
恥ずかしながら、政治意識が低いのです。
と同時に、そのような政治意識の高さをひけらかす人を、じつはひそかに軽蔑してもいます。
こんな世の中になればいい、ということなんか、よくわからないのです。
こんな世の中になった、ということに一喜一憂して生きてゆくのが分相応かな、と思っています。
正直なところ、政治なんかけがらわしい、という気持ちがどこかにある。
それでもその政治の下で生きてゆくしかないのだから、それなりに気にはなるけど、選挙で投票をして、そんな汚らわしいことを進んでやろうとしている人に対しておまえなんかだめだというのは、やっぱりよけいなお世話の範疇に入ることで、どうも後味が悪い。
進んで政治をやろうという人種に対して、半分の嫌悪と、半分の後ろめたさがある。
だから、選挙の投票は、してもしなくても後味が悪くて、つい野次馬になって眺めていることを選択してしまう。
僕には、選挙の投票をすることがいいことかどうかよくわからない。べつに「壁にぶつかってゆく卵」になりたいとも思わない。良くも悪くも、自分のまわりにたくさんの人が群れているというそのことが気になるばかりです。
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原始時代に最初の共同体ができたときに、リーダーはどのようにして生まれてきたのか。
権力を持ったものがリーダーになった……などという言い方は、言語矛盾です。リーダーになったから、権力を得るのだ。
一番強いものがリーダーになった、などということではたぶんない。人間の共同体は、サル山ではない。サル山は、ちょうどいい個体数でいとなまれているから、みんなをまとめるということにいちいちわずらわされることなく、一番強いボスが好き勝手にのさばっていられる。
しかし人間の共同体は、限度を超えて密集しているから、一番強いというだけでまとめきれるものではない。人間は、その密集した状態を嫌がっているのだ。その嫌がっているものたちをまとめてゆくのだから、誰もがやりたがるというわけにはいかない。一番強いからといって、やりたがるとはかぎらない。やらないことが、一番強いという立場を守るもっとも懸命な方法だ。
二本の足で立って胸・腹・性器等の急所を外にさらしている人間は、一番強いものでもやっつけられる危険をつねに抱えている。もしも一番強いという理由だけでリーダーになるのなら、毎日のようにリーダーが変って群れそのものが自滅してしまうしかない。
人間の群れの場合は、一番強いからリーダになるのではなく、リーダーになることによって一番強い存在になるのだ。
原初の共同体は、一番強いものがリーダーになって甘い汁を好きなだけ吸い尽くすというような、そんな仕組みにはなっていなかった。みんなの犠牲になってみんなにサービスする、そんな誰もやりたがらないことを進んでやりたがる人間、あるいはみんなから「おまえやれ」と指名された人間がその地位についていた。
だからその代償として、リーダーには権力と財産が与えられた。権力と財産を持ったものがリーダーになったのではない。
おまえをリーダーにするからには、おまえの言うことには従う……住民がそう誓ったのが、原始共同体におけるリーダーの誕生だった。
リーダーの仕事は、みんなにサービスすること。そしてみんなの仕事は、そのサービスと支配がスムーズに行くようにひとまず結束してゆくこと。それが、原始共同体だった。
多くの原始共同体には「王殺し」という伝説がある。つまり、原始共同体においては、住民にサービスしなくなった(できなくなった)王は、殺されるかその地位から引きずりおろされるかしていた、ということだ。
人間社会の権力闘争の大義名分は、いつだって「おまえは住民にサービスし切れていない」ということにあるのであって、「どちらが一番強いか決着をつけよう」ということではない。そこが、サル山のボス争いとは違うところだろう。
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原始共同体において、「ボス争い」などということはほとんどなかった。
そこでは、ちょうどいい個体数が保たれているサル山のように、みんなが結束するということが当然の前提ではなかった。そうした限度を超えて密集したこのうっとうしい人間の群れにおいて、一番の課題はみんなが結束するということだったのであり、みんなをほったらかしにして「ボス争い」している余裕などなかった。そんなことをしたがる人間は、みんなから引きずりおろされた。
みんなが結束するために、リーダーが選ばれた。みんなが結束するために、「神話」や「祭り」が生まれていった。
リーダーの権力を守るために「神話」や「祭り」が生まれてきたのではない。原始の社会において、一箇所に人がたくさん集まってきて、さらには農耕生活を覚えたりして、もうみんなで結束してやってゆくしかないという状況になり、そこからリーダーが生まれ、さらにはリーダーのサービスだけではまとまりきれないほどに密集してきて「神話」や「祭り」が生まれてきたのだ。
つまりそこで、リーダーよりももっと超越した存在としての「神」がイメージされていった。
日本列島においては、それが「天皇」だった。
天皇は、それぞれの集落のリーダーを超越した存在だった。そしてこのことは、日本列島においては集落ごとの連携を持っていた、ということを意味する。稲作農耕は、水の問題などで、そういう連携を持たなければ成り立たない。そういう状況から「天皇という神」が生まれてきたのだ。
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弥生時代における原始国家に「天皇」が存在したということは、集落間の戦争などというものはなかったことを意味する。
少なくとも「天皇」を持っていた奈良盆地、あるいは畿内地方においては、そういう平和が実現されていた。
弥生時代の青銅器が盛んにつくられていたころ、九州・中国・四国地方は「銅剣・銅矛」を祭祀の道具とする文化圏で、畿内・関東は「銅鐸」の文化圏をつくっていた。それは、前者が集落間の対立や戦争がしばしば起きてくる地域で、後者の地域では農耕文化が発達してすでに集落間の連携が止揚されていた、ということを表している。
したがって、歴史家がよくいうような、そこで出雲・吉備・九州の豪族が連携して奈良盆地に攻め入り大和朝廷を打ちたてた、ということもありえない。
共同体間の連携は、農耕文化が発達し、しかも「天皇」という神を持っている畿内地方のほうがずっと進んでいたのだ。そしてそのころの畿内地方に銅剣や銅矛がなかったかといえば、そうではない。そんなものを祭祀の道具にすることはすでに卒業して実用化され、「天皇」を知らない地域を侵略してゆく準備を進めていた。
つまり、大和朝廷の一人勝ちの時代だったのだ。
日本列島においては、古代ギリシャのような本格的な都市国家間の戦争は、千年以上あとの戦国時代まで待たねばならなかった。
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だから、古代の大和朝廷には、城壁などというものはなかった。
古代の環濠集落の環濠は侵略を防ぐ城壁の役目を果たしていた、などと多くの歴史家がいっているが、そうじゃない、それはあくまで水をどう利用するかという問題としてつくられていたのであり、稲作農耕民の本能として集落のまわりに水を確保しておきたかっただけだろう。
古代の日本列島に城壁がなかったということは、集落間は戦争をしていたのでなく連携していた、ということを意味する。連携しなければやっていけなかったのだ。
その、集落間の連携を成り立たせる装置として、「天皇」がいて、「神話」が語り継がれていた。
(べつに天皇制を擁護するつもりはないですよ。現代においてはすでに天皇の役割は終わっている、と思わないでもないし、そういうことはよくわかりません)
とにかく、奈良盆地の原始共同体はそうやって生まれてきた、ということだ。
たとえば、あの巨大な前方後円墳を、支配者の権力だけでつくれたか。古代の日本列島には、そんな巨大な権力が存在したのか。日本列島の歴史は、巨大な権力が機能する伝統になっているのか。
日本列島の歴史に、巨大な権力が存在した時代などないのだ。そんな伝統があるのなら、この国だって、とっくに大統領制になっている。
ただむりやり奴婢をかき集めてあの巨大古墳を造ったのではない。そんな数の奴婢をかき集めることなど不可能だったし、城壁もないようなお国柄だったのだから、誰もが逃げようと思えばいつでも逃げ出せた。
それを可能にしたのは、すなわち集落間の連携だった。民衆が、率先してその巨大古墳を造っていったのだ。それは、まわりの湿地帯を干上がらせて水田に変えつつ、なお水を確保しておくためにそうした巨大な環濠を必要としたのであり、さらには、その中心の人工の山を信仰して「神話」を語り継いでゆくという役割もあったのかもしれない。
ともあれ、古代国家における一番のテーマは、その限度を超えて密集した群れのうっとうしさを克服してみんなが結束してゆくということにあったのであり、「神話」もまた、支配者がみずからの権力の正当性を誇示するために生まれてきたのではなく、民衆みずからが、自分たちが仲良くやってゆくための装置として語り継いでいたのだ。