祝福論(やまとことばの語源)・神話の発生3

あなたがもし、病気に苦しんでいるのなら、
あなたがもし、なくした恋に身もだえしているのなら、
あなたがもし、貧しさに追いつめられているのなら、
それは、誰かが人間であることの真実と向き合っていなければ、この世から人間であることの真実が滅びてしまうからだ。
人間であることの真実は、そういう人が知っているのであって、「自分」の中にあるのではない。
「あなた」の中にあるのだ。
「自分」の中にあるのではない。
そしてそれは、聡明な知識人が舌なめずりして味わっている知能ゲームの愉楽によって見つけ出されるのでもなければ、世の人格者がみずからの人格や行為の中に確認しているものでもない。
彼らが語ることのできる真実なんて、たかが知れている。たいていが嘘っぱちだ。
人間であることの真実は、「あなた」の「嘆き」の中にある。
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人は、「知(し)る」という体験をする。
「知る」の「し」は、「汁(しる)」の「し」でもあり、「沁(し)みこむ」の「し」でもある。
「汁」とは「味=成分」がしみこんだもの。
「知る」とは、心に何かがしみこむこと。古代人は、そのようにして「知る」という体験をしていた。
そして「知る」の「し」は、「死ぬ」の「し」でもあり、「しおれる=しなえる」の「し」でもある。
人間であることの真実を知ることは、真実がしみこんで心がしおれてゆく体験である。
すなわち「なげく」という体験である。
「なげく」の「な」は、ほっとして安らぐ感慨の表出、「親愛」の語義。
「け」は、「蹴(け)る」「消(け)す」の「け」、「分裂」「反応」「消滅」の語義。
「なげく」とは、対象に反応して心が安定を失いしおれてゆくこと。この世界の真実に気づいた心は、そのようにして動いてゆく。
「心が動く」とは、心がこの世界に反応することであり、心は「なげく」というかたちで動きはじめる。「心が動く」とはそのようなことだと古代人は感じていた。
すなわち「知る」とは「心が動く」ことであり、それは「なげく」というかたちではじまる、と。
「し」は、「しーん」の「し」、「静寂」「固有」「孤独」の語義。
「知る」という体験は、心が「しーん」としてしまうことだ。すなわち古代人にとっての「世界を知る」という体験は、世界からの疎外感に立ち、みずからの孤立に気づいてゆくことだったのであり、世の知識人たちが説明する「自然と一体化していた」などというステレオタイプな解釈ですむような心の動きではなかったったのだ。
世界から疎外されて孤立してゆく……それは、死んであの世に旅立ってゆく、ということでもあるだろう。だから、「知る」ことは、「死ぬ」という体験でもあったのだ。
古代人は、そのような感慨とともに「し」という音声を発していた。
かんたんに「自然と一体化していた」などといってもらっては困るし、そういう薄っぺらな思考の知識人がこの世界の真実を所有しているなんて、われわれは断じて認めない。
それは、「あなた」の「なげき」のもとにあるのだ。
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不幸な人、嘆いている人は、「死」のそばにある。
「知る」ことは、「死ぬ」ことだ。
人は、「死」を知るようにして、この世界の真実を知る。
「知る」ということのおどろきやおそれやおののきがある。
死を知る、ということのおどろきやおそれやおののきがある。
神を知る、ということのおどろきやおそれやおののきがある。
それは、この世界に対する疎外感である。一体化してゆくことではない。
そのおどろきやおそれやおののきという、この世界に対する疎外感を共有してゆくことで共同体の結束をつくってゆこうとしたのが、古事記という「神話」である。あの荒唐無稽な話の展開は、そのようなこの世界に対する疎外感から生まれてきた。
おどろきおそれおののくこと、古代人は、そこで人間であることの真実を体験していったのだ。
「なげく」とは、おどろきおそれおののいて心が混乱することであり、そこにおいて「知る」という体験がなされる。
「知ることはひとつのパラドキシカル・ジャンプである」とは、ギリシャの昔からいわれてきたことだが、やまとことばではそれを「ものぐるおしい」といった。
「知る」ということのものぐるおしさがある。
それは、はんぱな知識人が舌なめずりしてもてあそんでいる愉楽のことではない。彼らは、古代人という「他者」を、「自然と一体化していた」というステレオタイプな解釈で規定することによって、みずからの「個」の固有性を守ろうとする。
みずからの「個」の固有性に執着しているものは、そうやってもう無意識のうちに「他者」をステレオタイプに規定してしまうという習性がしみついている。それが、近代および現代人の病理であり、ことに知識人はそういう人種なのだ。
だから彼らは、古代人の心の動きに推参できない。
「個性」などという。他者との関係や「社会=システム」との関係からみずからの「個」を確立してゆこうとするのが、現代人の病理だ。あるいは、懸命にそうした「個」にしがみついている、というべきだろうか。
しかし人は、先験的根源的に「個」としてこの世界から疎外されて存在しているのであり、旅に出れば、不幸になれば、そういうことをおのずと知らされる。古代人は、その「なげき」とともに「知る」という体験をしていったのであり、その「なげき」を携えて寄り集まって「神話」を語り合い、共同体をつくっていったのだ。
日本列島における最初の共同体は、縄文時代の旅路の果てにつくられていった。そしてそこで、それぞれがそういう「個」としての旅の「なげき」を持ち寄り、古事記という「神話」が語られていった。
「神武東征」という物語に隠されてある史実とはおそらくそういうことであり、神武天皇の戦争がどうのこうのということは、あくまで話のデコレーションにすぎない。
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古代の日本列島の住民にとっての「知る」ことは、「死ぬ」という体験でもあった。
「死」が体に沁みこむ体験を、やまとことばでは「知(し)る」という。
それは、「死」について語ることではない。そんなことくらい誰にでもできるし、誰もできない。「死」に気づくことは、あくまで「ものぐるおしい」体験なのだ。
徒然草」を書いた吉田兼好は、ひとまず人間観察の達人ということになっているが、彼は、人間が生きてあることの真実に触れることを「あやしうこそものぐるほしけれ」といった。現代人の舌なめずりした愉楽とは、ちょっと違う。彼は、それによって、現代人のようにみずからの「個」を確認したのではない。あくまで「人間」に気づいていったのだ。
その「ものぐるおしさ」は、旅の孤独や不幸をなげくときにもっともヴィヴィッドに体験される。
「死ぬ」とは、自分が消えてゆく体験であり、それは「嘆く」という心の動きのことでもある。
「なげく」とは「個=自分」が消えることだ。
そのとき人は、「人間である」ことになげいているのであって、「自分」になげいているのではない。つまり「自分」が消えて「人間であること」を自覚したとき、「なげき」が純粋になる。
不幸な人は、不幸であるがゆえに「自分」をあれこれ吟味するというようなことはしない。不幸だから、そんなことはできない。
不幸であるとは、自分を吟味することの不可能性の中に身を置くことであり、そのとき人は、「人間であることの真実」を一身に背負っている。
不幸な人は、「自分」になげかない。「人間であること」になげいている。
人間であることの真実は、そういう人のもとにある。知識ばかりが豊富で薄っぺらなことしか考えられない「あの連中」が知っているのではない。